いとうせいこう「震災から10年、国が支援から退き始め、ボランティアの数も少なくなっていた頃。東北の被災者たちの声を集めて」
2024年5月19日(日)8時0分 婦人公論.jp
いとうせいこうさん(撮影:本社・奥西義和)
ラッパー、タレント、俳優、作家など多岐にわたって活躍中のいとうせいこうさん。2011年の東日本大震災をテーマに書いた小説『想像ラジオ』では野間文芸新人賞を受賞しています。その後福島で被災した人たちの声を集めた『福島モノローグ』を21年に出版。今回の『東北モノローグ』は、福島以外の地域の人たちの声、在宅被害者の人たちの思いも聞いたそうで——。(構成:内藤麻里子 撮影:本社・奥西義和)
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当事者でない自分が書いていいのか
東日本大震災については、三回忌に当たる2013年に小説『想像ラジオ』を書き、10年後の21年に福島で被災した方々の声を集めた『福島モノローグ』を出しました。そして今回、それに続いて、福島以外の地域を含めた『東北モノローグ』を刊行できました。
初めて東日本大震災について書いたのは、12年、哲学者で作家の佐々木中(あたる)さんとの連作小説集『BACK 2 BACK』です。印税は寄付しました。実は16年ほどスランプで小説が書けずにいたのが、この時、なぜか書けたんです。
その直後、園芸家の柳生真吾さんに誘われ東北へ行きました。柳生さんが、被災地に植えた水仙の球根が花をつけるからって。この時の経験から『想像ラジオ』は生まれました。
でもいざ書き始めると、当事者でない自分が書いていいのかという問題にぶち当たって。小説だから、津波で亡くなった遺体の描写をしなければならない。遺族の方々を傷つけるんじゃないか、と。
けれど「やっと書けるようになったのに、これを避けたら終わりだ」と、1行1行に細心の注意を払った。だから誤解を避けたくて取材は断っていました。
今度は声を集める番
ところが東北学院大学と地元の出版社、「荒蝦夷(あらえみし)」からインタビューの依頼があり、これはもう受けるしかないと出かけました。「勝手に書いてごめんなさい」と謝ろうと。
けれど、お礼を言ってくれる人がいたんです。その方のお父さまは津波で亡くなったんですが、その時の状況はわからない。「それを想像してくれてありがとう」と言うわけです。これで僕は東北に行けるようになりました。
その後、『想像ラジオ』の文庫化に合わせて東北の書店を回りました。この時、平積みされた本のそばにあった、塔のような形の宣伝用資材が、本が発信しているアンテナに見えたんです。「今度はここに声を集めるんだ!」とひらめきました。
そこで新聞と雑誌の連載を経て本になったのが『福島モノローグ』です。お話を傾聴し、僕の言葉は一切省く。それによって語りの迫力が出ました。
『福島モノローグ』が出た頃は、国が支援から退き始め、ボランティアの数も少なくなっていた。
そんななかで、東北学院大学が再び東北に招いてくれた場で、『東北モノローグ』のアイデアを話して、『河北新報』と文芸誌に同じタイトルでそれぞれ内容の異なる連載が始まったんです。それをまとめたのが本書になります。
『東北モノローグ』(著:いとうせいこう/河出書房新社)
次の世代に渡せるものを
今回は、在宅被災者の話などジャーナリスティックな問題も語られました。
壊れていてもなんとか自宅で生活できる被災者は支援から漏れている。阪神・淡路大震災でも、10年たってようやく顕在化した問題だそうです。被災した当人としても、「(まだ家がある)私なんて(ましだ)」と遠慮があるんですね。
悔しかったのが、震災で障害を持つようになった人たちのお話を聞けなかったこと。いくらお願いしてもダメでした。国から何の補償も得ていないんです。でも取材を受けると周りから叩かれるんですね。
石牟礼道子さんが水俣病を書いた頃から何も進んでいません。日本という国は、人々を分断するんですよ。
また、沿岸部の自治体のなかで唯一、岩手県洋野町(ひろのちょう)は人的被害が1件もなかった。洋野町の防災アドバイザーの方にいろいろ話を聞いているなかに、新しい防災センターのことが出てきます。避難者のプライバシー保護のために小部屋をたくさん作っているんです。
それを知らしめる前に能登半島地震が起きてしまって。するとまた体育館に仕切りもなく避難している状態になり、めちゃめちゃ悔しかった。
僕は「国境なき医師団」の取材をしているので、どこの難民キャンプに行ってもすぐテントが配られ、プライバシーが保たれているのを知っています。それが世界標準です。東日本大震災から13年たっても、その用意をしていなかったことに怒りを感じました。
次のテーマとして考えているのは、「顧みられない震災」です。東日本大震災の時も、直後に長野県北部で震災がありましたが、大きくは報道されなかった。そういう災害の被災者のモノローグに取り組みたいんです。
21年に子どもが生まれ、子育てをしながら書いたのが『東北モノローグ』です。妻に相談して可能な限りで取材、執筆のスケジュールを組みました。そのなかでこのような本を残せたのは誇りですし、これからも次の世代に渡せるものを書いていきたいと思っています。
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