打倒ブラタモリ!岩肌から読み解く重い歴史

5月19日(日)6時0分 JBpress

 栃木県宇都宮市にある大谷資料館(大谷石地下採掘場跡)。大谷石(おおやいし)を採掘した跡地を生かし、年々入場者数を増やしている観光スポットだ。前編では大谷資料館の地下に広がる地下空間について、その全体像を紹介した。前編の記事はこちら。
からっぽの廃空間に驚きの使いみち
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56392

 地下空間に対峙すると、その大きさと不思議な光景に目を奪われる。だがそれだけではなく、石を切り出した後の岩肌をより注意深く観察すると、いろいろなものに気づくことができる。大人の社会見学として訪れるなら、”資料館“を徹底的に楽しまなければもったいない。

 NHKの番組「ブラタモリ」でも宇都宮の回(2018年9月22日放送)でここを訪れたのを見た方もいるだろう。タモリも気づかなかった大谷石採掘の苦労と、地下空間の意外な用途に迫っていこう。


石壁に咲く“華”とは

 階段を降りてまず地下空間を味わった後は、視線を岩壁にぐっと近づけてほしい。壁のところどころに、照明をうけて白く輝く綿毛のような結晶が見えるはずだ。

 同行してくれた大谷資料館の鈴木洋夫館長は「私たちは、“石の華(いしのはな)”と呼んでいます」と話す。石の華とはなんともしゃれたネーミングだが、いったいこの白い結晶はなんだろうか。

 この白い結晶の正体はゼオライト。ゼオライトとは、表面に多数の微細な孔を持つ鉱物の総称で、石の華はゼオライトが石の表面に吹き出て結晶化したものなのだ。ゼオライトはマイナスイオンや遠赤外線を出すなど、米や酒の貯蔵にもよい効果をもたらすという。

 ただし、石の華が見られるのは坑内の空気が乾燥している冬場から6月上旬ぐらいまで。石の華の季節が終わると、坑内は次第に湿気を帯びて、壁も足元もべしゃべしゃと濡れてくる。密閉された地下空間ではなく、ところどころに開口部があり、そこから外気が流れ込んでくるためだ。

 夏の盛りの暑い時期は、外気との気温差から薄い霞のようなものが漂い、ライトアップの光を受け幻想的な雰囲気となるらしい。季節を変えて再訪しても楽しめるのだ。


フランク・ロイド・ライトが着目

 そもそも大谷石というのはどんなものか? 時を遡ること1500万〜2000万年前、大規模な大陸変動が起こる中、マグマの熱や地底の圧力を受け火山灰などが固まったのが大谷石だ。薄い緑色の鉱物を含むことから、緑色凝灰岩とも呼ばれている。

 他の石材に比べ軟らかく加工しやすいのが特徴の1つで、荒目(あらめ)という種類の大谷石はとくに耐火性に優れる。大正時代に米国人建築家フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルの建材として利用し、関東大震災の火災にも耐えたことで、大谷石の名を世に知らしめた。現在もその特徴からピザ釜などに使われるという。

 以前は多くの採掘場があったが、2018年の時点で稼働しているのは5カ所とのこと。現在は細目(さいめ)と呼ばれる種類の、美観に優れた大谷石が、内装のインテリアなどに利用されることが多いようだ。


壁の筋には歴史が刻まれている

 岩肌にある「筋」が場所によって違うことにも注目してほしい。これはどのように石を切り出したかを示す重要な手がかりなのだ。

 この採掘場跡は1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)までの67年間、実際に採掘が行われていた。最初の40年間、昭和34年頃までは、手掘りによる採掘だった。手掘りで切り出す石の標準的な大きさは15cm×30cm×90cmで「ごとお(五十石)」と呼ばれる。重さは約75kg。職人が1つの石を切り出すのにおよそ4000回もつるはしをふるったというから気の遠くなる話だ。

 大谷石は、きれいな石の層とミソと呼ばれる茶色の塊が多く含まれる層がサンドイッチ状に重なっている。そこで効率よく採掘するために、まずは垣根掘りという横方向に掘り進めてきれいな石の層を見極め、その後に平場掘りという掘り方で下方向に掘っていく。天井近くの壁にある縦筋が垣根掘りの跡で、その下に平場掘りの横筋が続いている。

 坑内入口近くの壁は横筋が多いが、少し奥まった場所に行くと、垣根掘りの縦筋とは違うダイナミックな縦筋が目に付くようになる。この筋は専用カッターなどの機械によって掘られた跡だ。機械掘りに切り替えた後は、切り出す石の大きさも倍になり生産量も倍増したそうだ。壁の模様には多くの職人たちの汗とともに大谷石採掘の歴史が刻み込まれているのである。


天井の黒ずみはカビ?

 坑内の奥まったところに、プールのような水が溜まっている長方形の場所がある。鈴木館長によると、水深は30m、水温は4度とのこと。見上げると、天井全体が黒ずんでいることに気付づいた。「湿気があるので、天井にカビが生えているんですね」とつぶやくと、鈴木館長から「いえ、天井はみんな黒いですよ。軍が寒さ対策でストーブを焚いたので、煤(すす)で天井が黒いんです」と、予想もしなかった回答が。

 本記事冒頭の坑内写真も、よく見てみると天井が黒くなっている。

 大谷石採掘場跡は軍需工場として使われていた時期があったのだ。太平洋戦争末期の1945年3月から終戦を迎えた8月まで、関連従業員のほか旧制中学の学生や軍関係者など実に1万5000人もが、この地下空間で勤務していたというから驚きだ。坑内の寒さ、特に冬場は厳しいものがあり、防寒にストーブを焚いたようだが、どれほど効果があっただろうか。

 資料館展示室には、終戦後に米軍調査団が視察に来た際の写真が展示されている。上空からは発見できない秘密の工場があったことを米軍は把握しておらず、規模の大きさに驚いていたという。

 地下工場では、中島飛行機株式会社が開発した四式戦闘機「疾風(はやて)」の部品などが作られていた。ただ、他の工場で製造していた部品が揃わないなどの理由から、この工場の疾風が空を飛ぶことはなかった。

 現在も、軍の指示で掘り進めた隧道が坑内のあちこちに残っているようだが、立ち入ることはできない。過去の記憶は、過ぎ去った時間とともに採掘場の奥深く静かに眠っている。

 それ以前は陸軍の倉庫、戦後は政府が買い上げた米の備蓄など、この空間はさまざまな形で利用されてきた。

 大谷石地下採掘場跡は、過去の遺物を土台にしながら魅力ある場へと変える一方で、今の時を生きる人々へ訴えかける力をいまなお失っていない。写真だけでは味わえない、地下空間の持つ迫力を感じるために、現地へでかけてみてはいかがだろうか。

筆者:牧村 あきこ

JBpress

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