山本草太にとってスケートとは?自分らしさを表現できる「実感」、何があろうと「折れない心」「這い上がる力」

2024年5月19日(日)10時0分 JBpress

文=松原孝臣 撮影=積紫乃


ジャンプはすべて1回転からの再スタート

 2023−2024シーズン、山本草太はスケートカナダで優勝した。グランプリシリーズの大会では初めての記念すべき優勝だった。

 この試合後、こう語っている。

「怪我があって、ここまで戻せると思いませんでした」

 山本は以前、大きな怪我を負い、ブランクを経て復帰してきた経緯がある。

 2016年3月、右足首を骨折。7月に「ドリーム・オン・アイス」に出演し順調に回復したかに思われたが7月末に右足内側の踝を疲労骨折。10月末には再度同じ箇所を痛め、手術を3度行った。容易ならざる状況にあったが2017年9月の中部選手権に復帰。ジャンプはすべて1回転からの再スタートだった。当時をあらためて山本は振り返る。

「怪我したときはリハビリして復帰、と思っていたんですけれど、再発してしまったり、その後なかなか治らず数カ月単位でMRIを撮っても全然骨が形成されず、状況が変わらない日々を過ごしていました。考えたくはなかったですけど、引退とか就職も当時は考えました」

 最初の右足首骨折は世界ジュニア選手権への出発直前のことだった。その前年の同選手権では3位になり、ジュニアグランプリファイナルでも2年続けて表彰台に上がるなど将来を嘱望される存在となっていた。その中での出来事だ。ネガティブな心境に陥って不思議はない。山本も言う。

「もちろんそういうときはありましたよ。初めて怪我をしてそこから2度、3度と再発して手術になって、かなり苦しかったですね。もう1人でいたいという時期もありましたし、前までの自分とは少し変わってしまう時期はありました」

 それでも心折れることなく、スケートと向き合ってきて今がある。

 現在も右足首にボルトは3本入っている。

「練習量を増やすと捻挫が増えてしまいます。ジャンプの着氷は全部右足でボルトが入っているのは右足首でいちばん負担がかかる箇所です。着氷のとき、練習量が増えると疲労度が高くなってきて、ひねって降りてきてしまうんですね。失敗が増えると捻挫がまず出てきて、その緩いまま練習するとかなり負担がかかります。衝撃がかかる感覚は今でもあり、だからそういう捻挫はけっこう怖いです。怪我したときもひねる動作と衝撃が加わってのことだったので。その動作はかなり気をつけながら、氷上の練習だけを増やしているのではなくまわりの筋力だったりを鍛えるトレーニングを前より増やしています」

 一方で、ここ2シーズンほどの山本の練習量に驚く声を耳にしたことがある。

「どの選手もそうですし、どの競技もそうですけれど1本1本、ほんとうに気が抜けない世界だと思います。でも結果を出したいとなると、やはり量というのも大事にはなってきます。復帰してからいろいろなシーズンを送ってきて、自分の中ではこういった練習が必要、こういう量が必要というのがやっと分かってきています。そうなるとやっぱり練習量が増えてしまうことになります」

 それに耐えられる体作りにも取り組んでいてもリスクは伴う。

「もちろん怖さはあります。いつ、どういう怪我をするのか。でも、どうなっても後悔しないという覚悟も日々あります。自分にはその先は分からないですけど、いつどうなっても後悔はしないトレーニング、練習はしているかなと思います」


表現の幅、仕方が広がった「滑走屋」

 昨シーズンは貴重な経験も重ねてきた。その一つは2月、アイスショー「滑走屋」に参加したことだ。

「動画は事前に送られては来ていたんですけど、四大陸があったのでなかなか観ることができず、四大陸が終わって映像を中国で観て帰りの飛行機も観たんですけど、リハ初日からしっかり練習している方にかなり遅れをとって入ったので大変でしたね。朝から夜までリハがあり、でも僕はまだまだ頭に入っていない状況だったので夜中も動画を観たり復習してあまり寝る時間もない日々でした。それでもその日々でスケートに対する思いとか、表現に対する思いというのは変わったと思います。

 滑走屋のテーマが自分のスケートのタイプとがらっとイメージが変わり、自分の中でも課題としているナンバーや動き、音のとり方がたくさんあったので、そのときは苦手に感じながらも座長の高橋大輔さんを含め、ほんとうにいろいろな表現を吸収することができました。表現の幅、表現の仕方が滑走屋のおかげで変わったなと思います。

(4月末に出演した)『プリンスアイスワールド』でも、『滑走屋からすごく表現の仕方が変わった』『新しいショートプログラムの振り付けも含めて変わった』と言ってくださる方が多くてうれしいです。試合で変わったって思っていただけるようなスケートにしていけたらと思います」

 そのショートプログラムは4月中旬、アメリカで振付師のブノワ・リショーに振り付けてもらった。

「去年デイビッド・ウィルソンさんにお願いしたショートプログラムは日本で振り付けしていただいたので、5年ほど前に初めて海外の方に振り付けをしていただいて以来の海外です。自分のレベルアップのために海外で振り付けをしたいという強い思いがありました。

 海外で振り付けをするには金銭的な問題をはじめいろいろな条件があるので日本での振り付けが多かったんですけれど、いろいろな方のサポートのおかげで実現しました。周りの方々にまず感謝したいですし、サポートいただいた分、1分1秒、自分の成長につなげようという強い思いがありました。日本だと3、4日間で振り付けを行うんですけど1週間と時間をしっかりとれて、3日間ぐらいで完成して残り半分は1つずつブラッシュアップする形で丁寧に作り上げられたと思いますし、この素晴らしい作品を今シーズン通して自分のものにできたら、と思っています」


フィギュアスケーターを生きていきたい

 あらためて、山本にとってフィギュアスケートはどのような存在なのかを尋ねる。

「人生だと思います。フィギュアスケートがない人生は想像できないですし、フィギュアスケートを生きていきたい、フィギュアスケーターを生きていきたいです」

 今日まで歩み続けてきた原動力についても触れる。

「いちばん『生きている』という実感が持てるものだからだと思います。試合も練習の日々も、楽しいことばかりじゃないですけれど、氷の上で自分を表現している時間は自分らしさを実感できるからこそ、ずっと続けてこられたんじゃないかなと思いますし、たぶんこれからもそうしていくんだろうなという思いはあります」

 何があろうとあきらめなかったことへの自負もある。

「強みは、と聞かれたら、折れない力、這い上がる力。そういったところかな。いつもレベル高く完璧な演技ができるスケート人生ではないかもしれないんですけど、何か課題が出た後の試合とか、怪我とかそういったものがあったとしても必ず這い上がれる力、あきらめない力はあるかな、と思います。あれだけ怪我したら、ふつうやめるでしょう、って思うんですけど、なぜかやめないし、絶対無理でしょう、という状況からもこうやってできています」

 そして、こう続けた。

「競技レベルを戻す、皆さんに追いつくにはブランクがすごく大きかったのを復帰して実感し、復帰してまた壁にぶつかり、その壁の高さを実感してきました。そういった意味でもここ数年、シニアの舞台で皆さんとこうやって戦っている楽しさ、結果が出る楽しさにまた気づく、思い出すことができたので、ほんとうに戦えているだけでも幸せです。今が幸せかなって思います」

 山本には全日本選手権の忘れがたい光景がある。

「ほんとうにショートもフリーもたくさんの方々がバナーを振ってくださっているのが見えて、演技前もそうですし、演技後もたくさんのパワーをいただき、そしてそのパワーのおかげで演技ができたと思います。表彰式でもたくさんの方々がバナーを振ってくださっていました。ほんとうにあの光景は一生忘れないと思いますし、また見たい光景でもあると思います」

 終始穏やかな物腰、丁寧な姿勢の中に息づく強靭な精神とともに、何度でもあの光景に包まれるために、さらなる成長を志し歩んでいく。

筆者:松原 孝臣

JBpress

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