進化する私学と「不易」なるもの【第1回】大妻中高…企業人が伝統校にもたらした大変革

2022年5月20日(金)10時45分 リセマム

大妻中学高等学校正門のようす

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長年、中学受験専門塾にて算数・理科の指導に携わり、現在は執筆活動や受験相談を行っている後藤卓也氏に、私立中学・高校を取材し寄稿いただくシリーズ企画「進化する私学と『不易』なるもの」。第1回は、大妻中学高等学校を取り上げる。

はじめに
 学習指導要領や大学入試制度改革などの直近の変化、および中長期的な社会構造や職業構造の変化などに対応して、学校も「進化」していかなければならない。しかし他方で、学校ほど「守り続けるべきもの」や「決して見失ってはいけないもの」、すなわち「不易」の部分が重要な組織は他に例をみないだろう。特に子どもから大人へと成長し、人格や教養の基盤が形成されるべき思春期を過ごす中学・高校には、いかに時代が変化しても普遍的に果たすべき役割がたくさんある。

 さらに私学には、各校独自の「建学の精神」という「不易」も存在する。変わるべき部分と、変わってはいけない部分。その両輪のバランスをどうやって保ちながら、これから私学はどんな道を歩んでいくのだろうか。これから定期的に、私学における「進化」と「不易」をキーワードとして、私にとって「気になる学校」を訪問・取材し、受験生および保護者の皆さんの学校選びの一助となる記事を書いていくことにしたい。

 第1回として大妻中学高等学校(以下、大妻または千代田)を取り上げるのは、就任後わずか5年で「伝統校」である大妻に大きな「進化」をもたらした成島由美校長が2022年3月末で退任されたからである。校長就任前は、民間大企業の最年少女性執行役員として活躍していたバリバリの「企業人」であった成島校長が、大妻に何をもたらしたのか。

 就任時には「ニュース」としていろいろなメディアにインタビュー記事が掲載されたが、退職のニュースはどの学校でもほとんど見かけない。これから学校選びをする読者のためには、「結果」(現在)についてこそ、きちんと取材して報道すべきだと私は思う。幸い、成島校長就任以来、毎年「塾主催学校見学会」を実施し、その引率をしてきたし、進学した教え子の保護者からも学内の話を聞く機会が多かったため、この5年間の大妻をつぶさに見てきたという自負もある。

 そこでまずは当時の教頭の赤塚宏子先生(2022年4月から副校長)と、入試広報部長の長谷良一先生にお話を伺った。

背中を押されないと動かなかった「千代田生」が変わった
 「いろいろと細かな変革はあるのですが、やはり一番は『生徒たちが変わってきた』ことですね」。

 長谷先生が話の口火を切った。

 「校長と生徒との接点は朝礼や終業式で話す程度なのですが、その内容がたとえば『人と和すことはもちろん大事だけど、それだけでなく希少価値のある人間になりなさい』。ふつうの校長なら前半部分だけでしょうが、説教めいた口調じゃなくて、今の社会とつながった説得力のある話を、データに基づいて話す。日本の女性の管理職の割合は他国と比べてこんなに低い。だからあなたたちが、これからそんな社会を変えていくのよと語りかける。社会に出て本当に頑張ってほしい、結婚・出産後も活躍してほしいという強い思いが、生徒たちの心に響いたのだと思います」(長谷先生)。

入試広報部長の長谷良一先生

 コロナ禍以前は「学校見学会」のあとで希望者対象の「感想会」を実施していたが、必ず数名の母親から「会社説明会に来たみたい」という感想が聞こえてきたものだ。確かに、かつての「躾の厳しい女子伝統校」を期待していた方には違和感があっただろう。しかし、「これから大妻が進んでいこうとする道に賛同し、期待してくれる人だけが入学してくれればいい」という、生徒に対しても保護者に対しても決しておもねらない強い意志を私は感じていた。

 以前、成島先生と大妻中野の前校長である宮沢雅子先生と3人でお話ししたときに伺ったのが、千代田(大妻中高を大妻用語ではこう呼ぶ)と中野の生徒が合同で東大農学部の研究室を訪問したときのエピソードである。

 とにかく最初に手を挙げて質問するのは中野生。「ラボ、見学しますか?」と言われて手を挙げるのも中野生。千代田生は空気を読もうとしているのか、モジモジと躊躇している。ところがいったんラボに入ると、目を輝かせて専門的な鋭い質問をするのは、ほとんどが千代田生だったという。

 「千代田の子はもともとポテンシャルがあるのに『背中を押されないとやらない子』が多かった。ところがいまは広報用の映像を作る、説明会に生徒が登場する、すべて自ら進んで、自分たちで工夫してやるようになりました。模擬国連の登録者は150名いますが、それ以外に、高2生が自分1人でスウェーデンの人たちと交流を始めたのがきっかけで、グローバル・ネットワーク・スタディーズというイベントで、他の私学の先生や生徒も巻き込み、一緒に討論会をやることになりました」(長谷先生)。

 「人が作った道を後からついていく」のではなく「自分で道を切り開いていく子」が育ってきた。それはまさに成島先生自身が民間企業で成し遂げてきたことであり、「理系志望が増えた」とか「学校の偏差値が上がった」という以上に、成島先生にとって一番の「手ごたえ」なのではないだろうか。

「企業人」だからこそ、できること・伝えられること
 

 「成島先生は、『先生』になろうとするのではなく、企業人としての立場を貫かれたのだと思います」と指摘するのは赤塚先生である。

 「最初は、教員のなかにも『企業から来た人間に教育の何がわかる』という思いはあったはずです。1年目、成島先生はじっと学校を観察していらっしゃいました。そして2年目に『ビジョン50』を提唱されたのです。『学校にいる時間なんて人生のほんのひとときに過ぎず、やがて社会に出て、戦い、生き抜いていかなければならない。そこで輝いて生きていくために、いま何をしなければならないのかを考えよう』という話を、ときにはご自分の失敗談を交え、教員にも生徒にも何度も話されていました。これまで親と教師以外の大人と接したことのない生徒たちにとって、成島先生ははじめて出会う本物のキャリア・ウーマン。社会人のロールモデルとしても、大きなインパクトを与えたと思います」(赤塚先生)。

 ちなみに就任1年目、高2生対象の最初の校長講話では、ご自分の失敗談などを交えて次のような話をしたという。

 「私は高校のときに『おニャン子クラブ』に応募したけど、書類審査で落ちたの。大学受験は慶應も早稲田も全部落ちた。就活のときもすべてのTV局のアナウンサー試験を受けたけど全滅して、仕方なく、たまたま内定をくれた一般企業に就職した。それからいろいろあって、奇しくも今こうして『おニャン子』に応募した当時の自分と同じ年齢のあなたたちの前に立っている。私は結局『おニャン子』のセンターで歌うことはできなかったけれど、あなたたちが自分のやりたいことをみつけて、それぞれのステージのセンターで輝いてくれたらいいなと、プロデューサーのように思っている。人生は長い。どれだけ失敗してもいいから、何度でも挑戦し続けなさい」。

 こんな話をしてくれる校長は、他にはいないだろう。素晴らしくインパクトのあるロールモデルだったに違いない。

 「成島先生は、『自分には教えた経験がない』という弱点をわかっていて、そのかわりに『自分にできないことは他人から学ぶ』『自分たちにできないならできる人を連れてくる』ということを徹底して実践されました」(赤塚先生)。

現副校長の赤塚宏子先生

 模擬国連やグローバル・ネットワーク・スタディーズ、英語教育の抜本的な改革に関しては、すでに他校で輝かしい実績を残していた関孝平先生、生徒全員へのタブレット配布に際してはICT教育の第一人者である加藤悦雄先生を、それぞれ大妻に招聘した。入試広報の責任者として招かれた長谷先生もその1人である。

 「タブレットの導入は以前から決まっていたのですが、教員からは『自分は使ったことがない』という不安や不満の声がありました。加藤先生が授業後の教員研修と、『前の画面に戻るにはどうしたらいいんですか』といったような超初歩的な質問を含むすべてのトラブル・シューティングを引き受けて下さらなければ、今ごろどうなっていたことかと思います」(赤塚先生)。

 それ以外にも、さまざまな大学の研究室や企業を訪問する、超一流の研究者や起業家を招いて出張講義をしてもらうなど、企業の最前線で活躍されていた成島先生が、千代田生を「外の世界」に触れさせるために、もてる人脈をフルに活用してきたエピソードは他にも枚挙に暇がない。

他校との交流で、学校に新風を吹き入れる
 成島先生と大妻中野の前校長・宮沢先生と3人でお話しする機会に恵まれたことは先にも書いたが、5年前まで千代田と中野はまったく交流がなかったという。

 中野は他校に先駆けてタブレットや学習アプリを導入、多くの帰国生を受け入れてグローバル化を推進し、宮沢先生がゼロから育て上げた合唱部がNHK全国学校音楽コンクールで全国優勝に輝くなど、常に「進化」を続けてきた。

 それに対して千代田には、固執した「こだわり」があり、中野との間に「壁」のようなものができてしまっていたらしい。しかし成島校長と宮沢前校長が昵懇の仲となって以来、教員同士、生徒同士のあいだでも交流が生まれ、さらには首都圏4校(千代田・中野・多摩・嵐山)の校長会も毎月行われるようになったという。

 他校との交流は大妻内部だけにとどまらない。

 私は成島校長から「保護者会の話が一番上手な校長はだれか」と質問をされたことがあった。そこで成城中学・高等学校の栗原卯田子校長(2021年ご退任)の名前をあげると、数日後にはもう栗原先生と仲良くなっていた。「学校改革で一番注目している学校はどこ」と聞かれて「海城」の名を挙げると、すぐさま大勢の教員を引き連れて、海城の中田大成先生(校長特別補佐)が悲鳴をあげるほど、何度も見学に行ったという。そのフットワークの軽さには心底感心させられる。

 教えた経験がない分だけ、誰よりもどん欲に学ぶ。でも1人でできることには限界がある。だから専門分野に関しては専門家を招聘し、知りたいことがあれば、たとえば私のような一介の(元)塾教師でも使えるだけ使う。そして、そこにまわりの教師を巻き込んでいくことを、最優先に考える。

 伝統校としてのプライドや「これまで大切にしてきたものを守り続けよう」という使命感はどの私学の教師にも少なからずあるだろう。それは必ずしもネガティブなものではない。むしろ、そうした思いがまったくない教師ばかりの学校があるとしたら、「この学校、大丈夫かな?」と心配になる。

 しかし少なくとも5年前の大妻に一番必要なのは、教員室に大きな風穴を開け、新しい風を入れることだと成島先生は考えた。それが「企業人」としての判断であり、成島流の大妻改革だったのだろう。

 「この5年間で、教師の意識もかなり変わってきたと感じています。特に若い教師は、昔からのやり方にこだわることなく『使えるものなら、どんどん使ったほうがいいよね』という感覚が普通になってきました。年功序列ではなく、若くても力がある人は抜擢する。何かを始めるときはプロジェクト・チームをつくる。教師と校長が直接メールでやりとりすることも、いまでは当たり前になりました」(赤塚先生)。

 「『波風が立たなければ、新しいことはできない』ということも、ようやく教師が理解するようになってきました」(長谷先生)。

 では、成島先生自身は、この5年間の成果をどのように受け止めているのか。4月中旬に「古巣」のオフィスで成島先生からお話を伺うことができた。

教員のなかに芽生えた「学校を開く」という意識
 「少なくともあと1年と思っていたんだけど、かなり前から『戻ってこい』と会社から言われていて、待ったなしの状況で。でもこの5年で確実に生徒のキャリア指向は育てることができたと思う」。

 成島先生の口調には、「せっかくここまで来たんだから、もう少し見届けたい」という愛着と達成感のようなものが感じられた。

 「なんでも自分たちでやらなければ気が済まないという意識が強い教員が多く、外から人を入れたり、頼ったりすることに反発しがち。でも千代田の教員のなかには『学校を開く』という気風が浸透しつつあります」。

 それは長年塾教師を続けてきた私にも、実感としてよく理解できる。たとえば「この子は何としても自分の担当教科の成績を上げて合格させる」など、「自分がやらなければ」という思いは、当たり前のようにもっていた。

 「『学ぶ』と『働く』を繋げることは教員だけでは難しい。そこで某大企業のエンジニアの採用責任者を連れてくると『一昔前なら慶応経済を卒業すれば、就職先は引く手あまただったが、今は有名私大の社会系学部を卒業したところで、50社近く受けても1〜2社内定がもらえるかどうか。でも情報工学の分野なら、1人に20社くらいが争奪戦をする時代』みたいな、現場感のある話をしてくれる。こういうリアルな話は、生徒たちは目の色を変えて真剣に聞いているし、教員もそのようすを見ながら、いっしょに学ぶことができる」。

 多くの私学が高大連携や企業とのコラボ企画を盛んに進めている今、成島先生はあらためてこう付け加える。「教師自らが危機意識をもたなければ学校は変わらないし、存続できない。トップダウンではだめ」。

 だからこそ、餅は餅屋と割り切って、他人(他の業界の人間)を尊重しながら、学校を開く必要がある。それが当たり前だという意識をもつ教師が増えてきたことが、改革を進めていくエネルギーになってくれるはずだと、成島先生は語る。

 「生徒が変わっていくと教師も変わるし、教師が変わると生徒も変わっていく。相互作用ですよね」。

 積もる話は尽きることなく、超多忙な中で無理に割いていただいた取材時間はあっという間に過ぎていった。

成島由美前校長

新校長を迎え、さらなる高みへ…大変化の行方を見守る
 たかだか5年で学校改革を成し遂げることはありえないと私は思う。カリキュラムや入試制度を変えることはできても、生徒の意識を変え、教師の意識が変わるには、最低でも10年単位で「進化」の行方を見守っていなければならないだろう。少なくとも改革初年度に入学した生徒が卒業するまでには6年かかるのだから。

 新年度が始まって1か月過ぎた今、成島先生の後任として、武蔵高等学校中学校(以下、武蔵)・前校長の梶取弘昌先生が大妻の新校長に就任されている。取材時は新校長の就任前だったため、赤塚先生と長谷先生にこれからの大妻について語っていただいた。

 「この5年間で成島先生から学んだことと『ビジョン50』を継承しつつ、さらなる高みへと舞い上がる次の風を、梶取先生が吹き込んでくださるはずです」(赤塚先生)。

 「5年の変革を経ても、課題はまだまだ山積みです。生徒には、特に、新しい情報を吸収する姿勢は身に付いてきたけれど、思考力を高める点に関しては不十分です。『自調自考』を校訓とする武蔵で長年教鞭をとられてきた梶取先生が、今の大妻に足りない部分を伸ばしてくださると思います」(長谷先生)。

 大変化のきっかけは、「遺伝要因」と「環境要因」のマッチングによって生まれる。日本でも有数の「不易」なる遺伝子をもった大妻中高と、企業人成島由美という稀有な人材のマッチングが生み出した大進化が、さらに開花していくことを願ってやまない。

後藤 卓也(ごとう たくや)
1959年名古屋市生まれ。大学院博士課程進学時から35年間(途中3年間のベルリン留学をはさむ)、中学受験専門塾啓明舎(現在は啓明館と改称)で算数・理科を指導。著書に『秘伝の算数』(全3冊 東京出版)、『新しい教養のための理科』(全4冊 誠文堂新光社)、『大人もハマる算数』『大人のための「超計算」』(ともにすばる舎)など。産経新聞、日本経済新聞、ヨミウリオンラインなどで20年以上コラムを連載している。2022年1月末、啓明館を退職。現在は執筆活動や受験相談を行っている。一男の父(シングルファザー歴25年)。

リセマム

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