『アンパンマン』の生みの親、やなせたかし「93歳のいまでも父が大好き。母よりも父が好きだった」明るい弟と違って人前に出るのが苦手だった幼少期

2025年5月26日(月)12時30分 婦人公論.jp


「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしさん(写真提供:やなせスタジオ)

25年春のNHK連続テレビ小説『あんぱん』のモデルであり、子どもたちに愛され続けているキャラクター「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしさん(1919〜2013年)。新聞記者、宣伝部デザイナー、編集者、放送作家、舞台美術、作詞家など多分野で活躍し、1973年に代表作である『あんぱんまん』の絵本を出版。苦しい時もユーモアと好奇心を忘れなかった著者が生前、前向きに生きる秘訣を語った著書『何のために生まれてきたの?』(PHP文庫)より一部を抜粋して紹介します。

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少年時代


——僕は、おとなしい子どもだったんですよ。前列に出たがる子と、後列にいたい子がいますね。僕は後列にいたい、目立ちたくないという性質で、僕のむかしを知る人には、「すごくはにかみ屋だったのに変わったね」と言われます。

弟がいて、弟はとても明るい性格だったんですけど、僕はちょっと暗めだった。容貌に対する劣等感とか、いろいろなものがあって、あまり人前に出たくないという気持ちが強かったんです。どちらかというと、一人で遊んでいるタイプ。絵を描いたりして遊んでいることのほうが多かったですね。

でも田舎で育ったのでやっぱり、その辺の野っ原を飛び歩いたり、木に登ったり、川で泳いだりはしましたけど。つらいこともあったけど、絵を描いている時はうれしくてね、絵を描いていることで救われたというかな、……そういうことじゃないのかな。

寂しくて、つらかったこと


つらいことがあったというのは、どういうことだったんですか。

—─父は、僕が5歳の時に亡くなったんです。それからしばらく母と暮らしていたんだけど、母が再婚するのでおじの家に預けられたんですよ。

おじは内科小児科の医者をしていて、とてもいい人だったんですけども、それでもやっぱり、ほんとの自分の父親がいない、母親もいないというのは、ちょっと寂しいんですよ。思いっきり甘えたいのに、その時にいないということですから。

それで遠慮がちになるんですね。お金をあまり使わせちゃ悪いとか、考えるようになるわけ。他のうちへ行くと、お父さんと一緒にいろいろやっているけど、うちにはそれがない。それがちょっと、つらかったですね。

でも僕は絵を描いたり、本を読んだりするのは好きだったんで、それでなんとか、寂しさから救われたんじゃないのかなと思います。とにかく本は、よく読んでいました。


『何のために生まれてきたの?』(著:やなせたかし/PHP文庫)

とにかく本を、読んでいた


——亡くなった父は新聞記者で、一種の文学青年だったので、うちには本がやたら多くて。啄木(歌人の石川啄木)の歌集だとか、ロシア文学の本なんかはほとんど全部揃っていました。

医者をやっていたおじも本をよく読む人で、その頃の雑誌はほとんど取っていました。『中央公論』『改造』『文藝春秋』『オール讀物』、それから女性のために『婦人倶楽部』や『主婦之友』『婦人公論』とかも。大人の本が家中にやたらにあって、それを子どもの時から読んでいたので、僕は変なふうになっちゃってね、どうも具合が悪かったですねえ。

その小さい頃の体験がベースにあって、漫画家の仕事にもつながっている要素的なことはいくらかあると思います。でもまさか、自分が描くほうへまわろうとは考えもしなかったけど。

小さい時から、やっぱり漫画も上手だったんですか?

─—まあまあ、というところだな。それほどずば抜けて上手だったわけでもない。漫画家に憧れる人たちのなかには、当時、自分で描いて投稿したり、というようなことをやっていた人たちが、ずいぶんいたようです。

僕も、中学生ぐらいになると投稿し始めて。その頃になると受験雑誌を取るでしょ。僕も毎月取ってもらって、学科のところはほとんど読まず、漫画の投稿ばかりして、メダルとかいろいろなのをたくさんもらっていた。


父の思い出(写真はイメージ/写真提供:Photo AC)

父に守られて


——さっきも言ったように、父は新聞記者だったんですよね。僕が5歳の時に、アモイ(中華人民共和国福建省南部の都市)で亡くなった。ですからほんの少ししか、父の記憶はないんですよ。

短歌を書いたり、それから絵も描いていて、その絵が1枚も残っていないことが非常に残念なんですけど。子どもの時、その父の絵を見て「上手だなあ」と思いましたね。

あと、父の文章を読んでみると、絵を描くこと、詩を書くこと、それは一生やっていくって。どんな職業に就こうとも、それは生涯やっていくって書いてあるのね。それで、どうしても自分の本を出したいって書いてあったんです。32歳で亡くなったんだけど、僕はそれを読んだ時、父親の遺志を自分が継がなくちゃいけないと思ったんですよ。

僕はこれまでにずいぶん本を出しましたけど、子ども相手のものが多いんですよ。父の考えていた本とはちょっと違ったかなと思うんだけど、それでも、ある程度は父の考えていたことを、実現できたかなと思っています。

93歳になったいまでも、僕は父のことが、すごく好きなんですよ。母よりも父を。どうしてそんなに好きなのか、よくわからないんだけど。いつも心の中に父がいて、毎日、仏壇を拝むんです。「お父さん、ありがとう」って。父のDNAをいくらかもらって、そのDNAでやっと仕事しているなあという気持ちが、自分の中にあるのでね。

※本稿は『何のために生まれてきたの?』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。

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