空前の中学入試ブームに陥穽あり、子供の将来を台無しにする危険性も

2023年5月26日(金)10時30分 JBpress

 空前の中学受験ブーム。

 この春は5万2000人以上が中学を受けたということで、関連の記事をよく見かけます。ただ、率直に申して素っ頓狂な記事ばかり目につくように思います。

 大まかに言って、偏差値の数字を挙げて何か言っているのは、すべて無視した方がよろしい。

 これは東京大学教官25年目の一人の個人として、はっきり社会にお伝えしたい。有害無益だと思っています。

 かつて中高一貫校で学んだOBの一人としては、間違いなく言えることも少なくありません。

 例えば、OBOGの多くがそれなりの大学に進む中学や高校で学べば、正直言ってその後、一生涯いろいろなメリットがあります。

 卒業後、20年、30年したとき、ふとあたりを見渡せば、あちこちの官公庁や企業に幼馴染がいたりもする。

 これは素直に言ってかなり有利です。

 というのも、何かというとき、メリットというよりも一生に一度というような苦境、ピンチにあるとき、命綱になることがあります。

 そうしたネットワークが役に立つのはまぎれもない事実です。

 ただ、まあそうしたトピックスは、ほかの記者さんでもお書きになる可能性があるでしょう。

 以下では、少なくとも日本語ではJBpressでしか読めない本当のお話をしましょう。

「中学受験の正しい勉強法」

 その後の人生で伸びる子を育てる勉強法と、そうではない、はっきり「間違った勉強法」を身に着けてしまったことで、後々払わざるを得ない代償などについて、歯に衣を着せずにご紹介します。

「空前の中学受験ブーム・・・」を伝える日本テレビの報道では「難関校の一つとして知られる」私立武蔵中学校が紹介されていました。

 前回稿でもご紹介した武蔵の入試を中学受験の「難関校」と勘違いするくらい間違った受験対策はありません。

 何が違うのか?

 多くの中学受験が「お受験型」であるのに対し、武蔵など一部中学の入試は「東大入試型」で、対策も違えば学校への向き不向きも全く異なる。

 またなぜ武蔵の入試は「東大型」なのか?

 日本で最初に作られた私立旧制7年制高校の武蔵は、直前まで東京帝国大学総長を務めていた山川健次郎が校長に就任。

 学寮に共に寝起きして「白虎隊型」知の予科練みたいなローティーン尖兵を創り出すべく「大正の教育改革」の新制度で作られた学校だったからです。

 12歳時点で帝国大学・大学院での教育研究に適性を持つ子供を選別する伝統を100年貫いているからにほかなりません。

 この武蔵は男子校ですが、女子でも桜蔭、雙葉、女子学園といった「東京大学型」の中学入試を出題する学校にご興味の親御さんがあれば、東京都美術館で開催している「芸術と科学の新しい挨拶」展をぜひ親子でお訪ねください。

 今週27日まで残り少ない会期ですが、α世代がAI社会の荒波で沈没しない本質的な骨法を親子で遊びながら体得されることと思います。

「主体的好奇心」をそそる「脳を育てる」
芸術と科学の新しい挨拶展

 東京都美術館で開催中の「芸術と科学の新しい出会い」展は、玉川大学脳科学研究所の創設者で、洋画家でもある塚田稔名誉教授が、ニューラルネットワークの父として知られる甘利俊一先生などに呼びかけて成立しました。

 AI時代の荒波に溺れることなく、波を乗り切る人材を育てる教育的な観点から、アート&サイエンスを親子で体験的に感じ考え直す機会を作りたい。そんな動機で始められました。

 というのも、主催の「日本画府」は長年、NHK技研のエンジニアなど修士、博士号を持つ理系研究者が多数会員として在籍しているのです。

 月〜金オンタイムの研究開発生活と並行して、夕方以降や土日には寸暇を惜しんで油絵や彫刻、水墨画などを描いてきた人たちが、70回目の展覧会を記念して準備したものです。

 ちょっと様子を覗いてみましょう。

写真で見るのとは決定的に違う、等身大の錯視像と目の前で出会う体験

 展示の最初には前回稿でも触れた杉原厚吉さんの大きな錯視人物像が設置され、傍らには世界的に知られる杉原不可能立体の数々が「不可能モーション」の動画と並んで展示されている。

 杉原さんは、不可能立体の3Dアーチストとして世界的に知られますが、れっきとした東京大学工学部計数工学科名誉教授、明治大学特別教授でもあります。

 こうした作品は、固定視点のビデオで見ていてもメカニズムは分かりません。親子で、現場でぜひ、実物に触れていただきたい。

 この展示は「スマホ撮影禁止」ではなく「スマホ撮影が奨励」されています。

 なぜなら、一点消失の遠近法で設計されたこれらの作品は「単眼視」した方が、形が明瞭に確認可能だからです。

杉原厚吉教授「驚異の不可能立体」には多くの人が声を上げます

 今回展は単に展示があるだけではなく、皆さんがここにある絵を見た結果の「視線の動き」を測定、解析した結果も出力してもらえます。

 これは、東京大学文学部長も務められた、美術史の小佐野重利教授の分析枠組み「神経美術史」の測定を、来場者が実体験できる「展示」です。

小佐野重利東大元文学部長の「まなざし追跡」研究を追体験!

 虎ノ門の文部科学省エントランスにも作品が飾られている、立命館大学、北岡明佳教授の錯視作品は、大型画面で実体験できるだけでなく「歪像化」された画面を子供たちが円柱鏡などに映して形を探す、立体曲面でも遊ぶことができるようになっています。

北岡明佳教授の錯視作品は、円筒や円錐の鏡に映しても錯覚が成立するでしょうか?       

 歪んだ鏡に映して、どれが本物のモナ・リザか探す「モナリザ・クイズ」や「変形モナリザ福笑い」などというももまで、自由に遊べるようになっている。

本物のワタシは誰でしょう。「モナリザクイズ」は平面だけでなく円柱鏡で探す「アナモルフォース版」もあります

 JR駅改札のSUICAを作った山中俊治さんの、一体型3Dプリンター出力作品の絶妙な動きも見ることができれば、小学校2年生の驚異的な研究も、大学院2年生の「21世紀の曼荼羅」というべき数理言語解析によるグローバル多言語環境を幾何学に落とし込んだ、素晴らしい研究発表も見ることができる。

「SUICA」山中俊治教授の展示

場内は広々として子供たちが遊び回れる

小学2年生の驚異的な研究も!(武田莉乃ちゃん)

大学院2年生の驚異的な研究も!(福家水月さん)

 全国各地の読者の皆さんには情報でお届けしますが、首都圏で上野に来場可能な親子連れには、ぜひ現場で体験されることをお勧めします。

 というのも、これらすべて「その場で実物に触れ、感じ、考えることで、あらかじめ模範解答のない精緻なメカニズムを体得する」という、武蔵中学校〜東京大学型入試で問われる決定的な能力育成そのものを展示しているからにほかなりません。

 すべてを貫くキーワードは「主体的好奇心」。

 これがないお勉強は、いくらやってるポーズを続けても、テストが終わって3日もすれば大半がザルで抜け落ちてしまう。

 実は、日本はそれが非常に多い。皆さんもどうでしょう、胸に手を当てて考えてみると思い当りませんか?

自ら調べ、自ら学ぶ
あらかじめ模範解答のない「精緻な探求」

 このような取り組みが前回、日本国内で行われたのは2005年4月22〜23日、正確に日付も分かっています。

「国連世界物理年2005」。春の公式行事として子供のためのアート&サイエンスの体験教室を、ノーベル賞受賞者が直接 日本人のティーンを指導して開催して以来のことになります。

 指導陣は、当時の日本の芸術と科学を糾合する水準。

東京藝術大学の平山郁夫さん(日本画)、

田淵俊夫さん(日本画・修復)

増村喜一郎さん(漆芸・現在は人間国宝)

北京精華大学の楊振寧先生(1957年ノーベル物理学賞受賞)

MIT(マサチューセッツ工科大学)のジェリー・フリードマン教授(1990年ノーベル物理学賞受賞)

バラク・オバマ政権でエネルギー長官も務めたスティーブン・チュー教授(1997年ノーベル物理学賞受賞)

スウェーデン出身でノーベル財団の泰斗でもあるトールステン・ヴィ—ぜル教授(1980年ノーベル医学生理学賞受賞)

 日本国内で言えば物理教育学会長であられた霜田光一先生、日本天文学会長であった松田卓也教授といったメンバーが、当時の黒川清・日本学術会議会長、寺島実郎氏、東大文学部長も務めた芥川賞作家、ドイツ文学者の柴田翔氏などとともに会を支えました。

 でもノーベル賞を審査する、自身も当然受賞者先生である先生たちが、日本の子供たちを指導するには、通訳が必要です。

 そこで、和達三樹、出口哲生(楊先生と共著がある)、村越孝之(ヴィ—ぜル研で博士研究を行った)など、そうそうたる第一人者が通訳としてついて、子供たちにとっては一生の経験になる教室や展示をサポートしたのです。

 この会場となったのが、先程来名前が出てくる私立武蔵中学校のある「武蔵学園大講堂」でした。

 名義上これの責任者だった有馬朗人氏は、翌年からちゃっかり、武蔵学園長に収まるという、彼らしいウルトラCを演じて見せました。

「ゆとり教育」の主犯として名を挙げた元東大総長、文部大臣も務めましたが、自分では何もしないのでスタッフは往生しました。

 まあ、それはそれとして、つまりこういうことです。

 2005年の「世界物理年」も、現在開催している「科学と芸術の新しい挨拶」展も、実は「ゆとり教育」も、あるいは毎年行われる私立武蔵中学校の入学試験問題も、国立大学法人東京大学の入学試験問題も、完全に同じ思想で一つに貫かれているのです。

 それは「目の前の現象を見、あらかじめ決められた正解をなぞるのではなく、地アタマで感じ考え、ゼロから自分の手で正解を書き下ろし、世界に通用する結果を一通り完成する器量を身に着けさせること。

「自ら調べ自ら考える。自ら作り自ら確かめる。自ら結論を下し歴史を前に進める」

 それが「東京大学型入試」の本質、あるいは「大正の教育改革」で、明治維新の元勲たちが改めようとした最大のポイントでした。

「形骸化したお勉強を全廃し、主体的好奇心で目の輝く維新の志士末裔の再生」にほかならないのです。


「おみやげ問題」と「お受験型入試」

 冒頭で「難関校」と無意味なレッテル張りをされた「私立武蔵中学校」は「ユニーク入試」という誤ったラベルも貼りつけられています。

 実はユニークでも何でもない。こちらがオーソドックスで、その他の大半が「形骸化入試」なのです。それをご説明しましょう。

 武蔵の「理科」の入試では、封筒などに入った「おみやげ」が与えられます。

 開けてみると、安全ピンとか、衣服を止めるスナップとか、木の葉とか、何かちょっとしたものが入っている。

 そして「これを見て、気づいたことを記せ」というのが「理科の問題」です。

 これに面白く答えられた子が採用され、中学1年になると、ウクライナ戦争の状況を端的に示す報道や資料を与えられ、「これを見て、気づいたことを記せ」式の教育を受けるようになる。

 あるいは、素粒子物理でも超伝導でもナノテクノロジーでも何でもよろしい。先端とされる本物の現象を見せられ、「これを見て、気づいたことを記せ」となるわけです。

 その子の実力や器量によって、気づいたことが、本物の基礎方程式を書き下し、コンピューターで解析検討して、新しい現象予測や、定理を発見などすると、武蔵では「山川賞」正確には「山川健次郎記念賞」を与えられたりする。

 山川健次郎は、前にも述べた元校長のおっさん、日本人最初の東大物理教授で東大総長退官後、亡くなるまで中学生と寝起きを共にした「会津白虎隊」の生き残りです。

 これが「知の維新の志士たちの末裔づくり」の本質にほかなりません。

 そこにあるのは、本物の創造的サイエンティストやエンジニア、あるいは芸術家や表現者を作る「最初の私立中高一貫校」のスタイルそのものです。

 上記の展覧会は、東大物理発⇒武蔵中学経由⇒日本全国で活用されるべき「ゆとり」の本当の目的を、東大名誉教授陣などが親しく来場者にギャラリートークもしてくれる、大変ぜいたくな展示という正体を持っている。

 ちなみに武蔵中学が育てた「本物」は、別に科学者ばかりではない。

「宇宙戦艦ヤマト」の歌などで知られるアニソンの帝王「ささきいさお」とか、タモリ、たけしなどのお笑い番組で昭和末期から平成のテレビをひっくりかえした「高平哲郎」、SF作家の「豊田有恒」など枚挙のいとまもありません。

 これは現在の藤井輝夫・東大総長を出している、やはり主体的好奇心を伸ばす「私立麻布中学・高校」も同じことで、元やくざの作家、安部譲二氏なども麻布OBです。

 中学受験をして伸びた連中の共通点は、自分のやっていることを自分自身で「おもしろがれる」ノリを持っていることだと言えるかもしれません。

 これと真反対の学習、勉強は「お受験型」の「お勉強」です。

 問題演習をガリガリやる。すでに正解の決まった演習問題を「数こなす」「反復履修でマスターする」「模試の点や偏差値を意識しつつ、あれこれ表面的な策を練る・・・」。

「受験勉強」では「勝者」かもしれませんが、こんなことで成功体験を身に着けたつもりの若者がやってくる東京大学側の教官の立場になって、考えてみてください。

 真摯な主体的好奇心には欠け、はっきり言って大半のことにはシラけながら、勤務評定その他で点を取ることには汲々として策を練る学生や新人・・・欲しいですか?

 それじゃダメになるでしょ?

 この国も、皆さんの会社や組織も。

 1910年代、明治末期から大正初期にかけても、「先例墨守」「前例踏襲」「3当4落」(3時間睡眠で丸暗記がり勉すれば合格し。4時間も寝てると落ちる、という旧制高校語)で「銀時計」を目指す、牛乳瓶の底みたいなメガネをかけた「無能秀才」だらけになってしまっていました。

 それを井上馨、山縣有朋、松方正義みたいな薩長閥だけでなく、佐賀の大隈重信も危惧して早稲田を作ったし、だから早稲田には反骨の気性が現在も残っていますよね?

 明治以前から経世済民を考えた福沢諭吉の慶應義塾は理財に敏い。

 こうした各種専門学校を「大学」として正規に承認するとともに、鉄は熱いうちに打て、で中学1年生から「本物の主体的好奇心」を植え付け「お仕着せの既存問題を、正解パタンを暗記し、マルがつく答案を書けるフリで通過する」という「お受験型」正解丸暗記お勉強の振りポーズ、ではなく「目のまえにある現象そのものを直視し、持てるあらゆる知情意の総力を挙げて解決する」人材を育てよう、というのが「東京大学型」の「記述式入試」の本質ということになります。


こんな中学を選べばAI時代に子供は伸びる

 さて、このような「自ら調べ、自ら学ぶ」主体的好奇心の能力が、かつてないほど求められているのが、AIが社会に広く浸透し始めている2020年代です。

 最後に中学入試、受験すべき学校選びのコツをお教えしましょう。

 根拠は、仮に東大などに入った場合、後々伸びるか、明らかに伸び悩むかの違いを念頭に、判断基準を示すというものです。

 志望校候補の中学に問い合わせて、授業や教育に関する「AI利用」を訊ねたとき

 AIと問われて、即座に明確な回答を持たない学校は、特段選ぶ意味があるとは思いません。質問されて担当者がおたおたするようなことでは、心許ないということです。

 AIと問われて、「うちはAIは使いません。あんなものは・・・」などという学校があれば、単に何か時代を勘違いしているだけというおそれがありますので、やめておいた方が無難と思います。

 特に私立なら、わざわざお金を払って通わせる価値があるか、定かでありません。

 AIと問われて、その出力がちっともアテにならないこと。でも社会全体には、そういうフェイクを含むAI情報が満ち溢れることを、あらかじめ認識している学校。

 そして、フェイクもあれば宝石が混ざっているかもしれない「AI出力」に対して「これを見て気づいたことを記せ」と問い、その真贋を判定する「裏取り」の能力を、まだヒゲも生えない、声変わりもしない12歳あたりから、徹底して合理的に教える「自ら調べ、自ら学ぶ」指導を伝統として持つ学校は、お子さんを進学させ、生涯の土台を作るのに、任せる価値があるように思います。

 つまり「主体的好奇心」をもって、AIが出力する「すべてを疑う」能力、リテラシーを伸ばす学校は、通わせる意味がある。

 逆に、AI出力でも過去問の正解でも、ともかくとりあえず暗記しておいて、マルがつけばOKという「お受験指導」をする学校は、お勧めできないように思います。

 仮に東大に合格しても、東大内で落ちこぼれ、ついていけなくなる可能性があります。

 表に出さない数字ですが、東大に合格や卒業後も含め、自ら命を絶つような学生・元学生が毎年確実に存在します。

 大学に原因があるというより、それ以前の環境、勉強その他で身に着けた生活習慣に、大半の理由があるように思われます。

 誤った「お勉強」で入試ハードルだけクリアしたつもり、生涯最大の成功体験、と錯覚して、その後の人生で大きな挫折を経験した人のケース、私も入学から数えればかれこれ東京大学40年、教授生活25年になりますので、枚挙のいとまもありません。

 一言でいうと「がり勉」の時代は、もう終わったということです。

 AIと競ってあちらが勝つような問題を、私たち東京大学側のスタッフは、もう出題しない方向に舵を切っているとお考えください。だって意味ないでしょう? 

 自ら感じ、自ら疑問に思い、自ら資料も調べ、実際に装置やプログラムも組んで自ら検証し、自ら結論を出して前に進んで行く「構想立案・実行完遂型」の人材こそが、2020年代以降、AI前提社会をリードするα世代に求められています。

 そういう人材を育てるダイレクトな方法がSTREAMsと呼ばれる日欧協力の新教育体系にほかなりません。

S(サイエンス=自然科学):これは人為の都合無関係のあるがままの自然を知ること

T(テクノロジー=工学技術):こちらは人間の都合で世界をいかに変容させていくか

R(リフレクション=熟慮対話):ここに文系百般の叡智がすべて入っています

E(エシックス=倫理道徳):こちらは知性というか知情意の「意」に関係します

A(アート=芸術表現):創意とはシステムをゼロから構想し実現する力

M(マセマティクス=数理思想):物を抽象的に考える。式だけでなくグラフの力も大切

M(ムージカー=音楽調和):ミュージックの名詞形がミュージアム、博物館であることを思い出しましょう。

 森羅万象の変化する調和を司りつつ、道徳倫理と深く関わるとされたのが古典的な自由7学科、リベラルアーツの「音楽」でした。

 こうした枠組みで、21世紀中葉にお子さんをグローバルAI社会で、幸せに自己実現させたいと思われる親御さんは、どうか「科学と芸術の新しい出会い」展にお運びください。

 また遠方の方、今回の会期では都合の合わない方には、日本画府は来年度以降、広く子供たちから若いクリエーター、若手研究者に、作品や研究を公募するプロジェクトを準備しています。

 入選した子は、自分の仕事が東京都美術館に展示され、ギャラリートークとして、内外第一人者の居並ぶ前で、質疑応答を含むコロキウムのチャンスを提供されます。

 一方的なユーチューブの出しっ放しやりっ放しではなく、ノーベル賞クラスの第一人者の先生と一問一答の場を設ける。

 そういう取り組みを四半世紀続けてきたことで、いま40代以下、多くのトップランナーたちも育ってきました。

 ぜひ、彼ら彼女らを超える新しい才能を「いま・ここ」から育てていただきたい。強くお勧めする次第です。

 もっと種明かしをしてしまえば、この展覧会自身が、東京大学大学院博士課程3年、イジンヨンさんの博士「学位展」そのものでもあるのです。

 イジンヨンさんは日本政府の国費留学生ですが、導電性高分子の白川英樹教授と充実した物性研究の業績があり、それだけで立派な学位論文があります。

 さらにそれを利用したアプリケーションや作品を創り、キュレーションもすべて自分で手を動かして、こうした展示を実現させる。それが世界の水準です。

筆者:伊東 乾

JBpress

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