【曹操・劉備・孫権の人心掌握術】呉の孫権、3代目が見せたみごとな君主論

2024年5月24日(金)5時45分 JBpress

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?


事業承継に学ぶ点が多い、家業を繁栄させた3代目の19歳若頭

 呉は三国(魏・蜀・呉)の中でもっとも南に位置し、首都を建業(現在の南京)に定めていました。三国志で登場する孫権は、父、兄の後を継ぐ形で南方呉の支配者となっています。孫軍団を承継したとき、孫権はわずか19歳という若さでした。この理由は、父の孫堅と兄の孫策が、相次いで戦場で命を落としたからです。

 父の孫堅、兄の孫策の二人は豪勇かつ勝てる武将でした。しかし戦闘の最前線にいたことで敵から狙われ、父の孫堅は192年に死去、兄の孫策も200年に亡くなります。

 三国志の著者である陳寿は、3代目の孫権を次のように評価しました。

「身を屈して辱を忍び、才に任じ、計を尚び、勾践(こうせん)の奇英あり、人に傑れしものなり」(書籍『正史三國志群雄銘銘傳』より)

 勾践とは、中国の春秋戦国時代の越の王のこと。この勾践は、ライバル国である呉と闔閭(呉の王)を滅ぼした名君であり、越の名臣范蠡の奇策を活用したことでも有名です。陳寿は、呉の孫権が謙虚に学ぶ王であり、部下の才能を活用する力を持っていたと判断したのです。


マキアヴェリの『君主論』と、呉の孫権の共通点

 184年に起きた黄巾の乱でも、孫権の父の孫堅は討伐軍に参加しており、おおいに活躍しています。しかし孫堅(父)、孫策(兄)の相次ぐ死によって、3代目の孫権は、幹部に固く戦場での先陣を避けるようにいわれていました。

 呉の重鎮である張紘(ちょうこう)は、一度先陣を切った孫権を次のように諫めています。

「戦場で威を揮うのは武将の任であり、主将たる者の務めではありません」(書籍『正史三國志群雄銘銘傳』より

 父と兄の武勇から考えても、3代目の孫権にも勇猛な武将としての血はあったでしょう。しかし孫権に死なれると、孫家の血筋による軍団が崩壊してしまうことから、戦場での先駆けを周囲に固く禁じられていたようです。結果、孫権は統治型のリーダーとして自らの立場を固めていくことになります。

 父と兄は、戦場で武勇を見せて、果敢に切り込んでいくことで周囲を従えた現場型リーダーでした。逆に現場での行動を禁じられた孫権は、どうやって事業承継者として地位を固めたのか。そこには、マキアヴェリの『君主論』にも共通する、統治者あるいは事業承継者としての効果的なふるまいがあったのです。


事業承継者の孫権が使った人心掌握術、5つの方法

 若くして老舗のリーダーになった人(後継者)が、どうしてもできないことがあります。自分が手本となってみんなを導くことです。製造でも経理でも、営業でも若手として事業承継をした新社長よりも、実務ができる人が普通いるからです。3代目の孫権も同じ。だからこそ、孫権の人心掌握術には「自分ではなく、周囲と環境を活用する」着眼点があります。

【孫権の人心掌握術、5つの方法】

①周囲の手本となる部下を褒め称える
②危機を機会として利用し、集団を強く一致団結させる
③派閥は偏らせず、貢献を目指してそれぞれを競わせる
④人間の不和は、物理的環境を変えて解決する
⑤集団全体が納得する目標を掲げて、繁栄目指して発奮させる

 孫権は、呉軍内でロールモデルとなる人物を見つけて大いに褒め、群臣の手本となるように仕向けました。周泰という武将は身分の低い出身のため、軽蔑していうことを聞かない部下が出た時のこと。孫権は宴席で周泰の上着を脱がせて、周泰の身体にある多くの刀傷を周囲に見せます。

 その壮絶な傷跡に武将たちが息をのむと、孫権は「この多数の傷は、兄の孫策と自分を守ってくれた結果であり、誰がなんと言おうと、君は呉の功臣である」と宣言しました。

 この出来事から、周泰を軽蔑する者は呉軍の中にいなくなり、孫権は正しい貢献をした部下を褒めたことで、名君としての評判を部下の中に高めることにもなりました。自分が部下に優越しなくとも、事業承継者として孫権は部下の尊敬を集めていくことができたのです。


マキアヴェリの『君主論』における権威と、孫権のリーダー原理

 孫権の発揮した統率力は、いずれも彼自身から発したものではなく、周辺の人物か、外部から降りかかる危機に対応する形で発揮されました。その意味で、「部下たちより優越しなくとも」リーダーシップを発揮して、君主の地位を固めることができた好例だといえます。

 これは、1532年に刊行され、現在も世界中で愛読者がいるマキアヴェリの『君主論』にも、極めて共通するところがあります。

「君主は(実力のある人物を重用し)、一芸にひいでた人を賞揚して、みずからが力量のある人物に肩入れしていることを示さなければならない」

「それぞれの集団の人々のことを考慮に入れ、折にふれて彼らとの会合をもち、君主自身の豊かな人間味と度量の広さを誇示すべきである。しかもなお、君主の厳然たる威光をしっかりと守っていくこと」(いずれも『君主論』中公文庫、第21章より)

 父と兄が戦場で亡くなったことで、3代目の孫権は最前線で戦って自分の武勇を誇示することができなくなりました。この特殊な条件が、父と兄の事業継承者としての孫権の特別な立場を、さまざまな創意工夫で固めていく思考と行動につながっていったのです。孫権が教えているのは、若い3代目が部下や幹部と競争せずに、かえって組織内で求心力を高めていく方法だったのです。

筆者:鈴木 博毅

JBpress

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