今なお「TOKYO」を映し出す《SPIRAL》の「螺旋=スパイラル」以上の魅力とは?

2024年6月3日(月)8時0分 JBpress

文=三村 大介 


「TOKYO」を映し出す建築

 この“建築”を初めて訪れたのは、今から30年以上前のことである。

 当時はまさしくバブル真っ盛り。未曾有の好景気に沸き、社会全体が異様なほどの活気に満ちあふれている時代であった。しかし、大阪郊外で平凡な学生生活を送っていた私にとって、それらはなんだか遠い別世界で繰り広げられている非現実の物語のようでもあった。

 特に、未だ訪れたことのなかった「東京」については、テレビや雑誌などから怒涛のように溢れ出てくる、なんとも華やかで魅惑いっぱいの情報に心躍らされたが、その一方、その煌びやかさや「都会感」には、「東京」へ立ち入ることを躊躇させてしまう疎外感的なものも感じていた。今思えば、不思議な感情なのだが・・・

 とは言え、そこはやはり建築学生の端くれ。そんな「東京」だからこそ、そこに建つ有名作品は絶対見に行かねば!と奮い立たせ、使命感にも近い思いで、友人と東京建築ツアーを決行した。4泊5日のスケジュールで、ロールプレイングゲームのミッションを怒涛の勢いで攻略するが如く、何十という作品をクリアしたのだが、その中でも私が一番楽しみにしていた、どうしても実際に見てみたかった「ラスボス」がこの“建築”であった。

 写真で見るその“建築”はとても洗練されたデザインで、「都会的でオシャレ」であった。そして、なぜだかその”建築”は、ギラついた世俗的な「東京」ではなく、ソフィストケイトされた街「TOKYO」を表象しているようでもあった。

 そんな憧れの“建築”を初めて訪れた時の感激は今でも忘れられない。

 今思えば、当時の私はやはり未熟だったのだなと痛感する。建築界はポストモダニズムが華やかなりし頃でもあったこともあり、派手で独創的な「建築」が「スゴイ」と考えていた私にとって、実はこの”建築”もその延長線上にあっただけだった。しかし、写真だけでは、この”建築”の真髄を全く理解できていなかった。

 実際に目にしたこの”建築”の品格漂う美しさは震えるほどカッコよかったし、内部空間の佇まいや雰囲気は本当に心地よかった。

 そして、なぜだか、この“建築”によって、「TOKYO」というものを、ほんのちょっとだけ知り得たような気がした。

 それから数年後、私は東京へ拠点を移すことになり、それ以降今まで、人生の半分以上を「東京」で過ごしているのだが、はたしてこれまで何度、この”建築”を訪れただろうか。カフェやショッピング、イベント開催時はもちろん、ただ独りになりたい時も含めると、もはや何十回にもなるであろうが。だが、いつ来ても30年前のあの感動が失われることはない。この”建築”は私の原点であり、今なお「TOKYO」を映し出す建築であり続けている。

 今回はこの”建築”、1985年(昭和60)に完成した槇文彦の設計による《SPIRAL》を紹介したいと思う。


最大の特徴「螺旋=スパイラル」

《SPIRAL》は、アンダーウェアで有名なワコールが「文化の事業化」を目指し、「生活とアートが美しく溶け合った豊かなライフスタイル」を実現するために作った建築であり、カフェやレストラン、生活雑貨のショップはもちろん、ギャラリーや多目的ホール、トータル・ビューティ・サロンや会員制クラブまで、多種多様なスペースを有する複合文化施設である。

 それこそ今では「生活とアートの融合」や「文化情報の受発信基地」といったコンセプトは、よくある話であるが、40年近く前の当時において、この《SPIRAL》のようなハイブリッドな機能を持つ建築は、極めて斬新で画期的であったと言えよう。

 そんな《SPIRAL》のデザインの最大の特徴は、その名称が的確に示しているように、建築の外部そして内部に施された「螺旋=スパイラル」による意匠だ。

 まずは外観を見てみよう。

《SPIRAL》は大小さまざまな正方形や立方体に加え、曲面や逆L字の壁、円錐、円柱と、多種多様な幾何学図形がコラージュされたように組み合わされている。一歩間違うと煩雑で節操のない感じになりそうだが、そこはさすが槇文彦。この複雑さを美しくまとめ上げるために、この《SPIRAL》には、ちゃんと仕掛けがなされている。

 青山通りに面したファサードを見てみると、アルミパネルとガラスで構成されているのだが、1.4mグリッドを基本モジュールとして整然とデザインされているので、これらの素材感も相まって、洗練された統一感のある印象を醸し出している。

 そしてさらに注目したいのがこのガラスの配置。右下にあるガラスから見てみるとそれが左へ向かってだんだんと上がっていき、左端で真上に上る、すると今度は左から右へと徐々に上がる、というように「渦巻き」を思わせるデザインなっていることがわかる。

 これは槙文彦が、「周辺の建物が水平性もしくは垂直方向を強調しているのに対して、それらとは異なる上昇性のあるファサードを作り出したかった」という意図によるものだが、だからといって、単に渦巻きに見えるように配置したわけではない。彼はファサードのサッシの間隔を決める際にフィボナッチ数列(※注)を用いて、この「螺旋=スパイラル」をデザインしたのである。すなわち、この知的操作によって、我々は建築全体に躍動感と同時に、理知的な美しさを本能的に感じているというわけなのだ。

(※注)前の二つの数字を足した数を並べていった数列(0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377・・・)。イタリアの数学者フィボナッチ(1170~1259年頃)が発行した書籍に記載されていたことからフィボナッチ数列と呼ばれる。この数列は、並べると螺旋形状を成すのだが、木の枝の分かれ方や花弁の枚数、ひまわりの種の列の数などから、人のDNAの2重螺旋構造や台風の渦巻き、銀河の渦巻きに至るまで自然界にいくつも潜んでおり、この螺旋は「生命の曲線」とも言われる。


「エスプラナード」の存在意義

 続いて内部空間に入ってみよう。

 エントランスホールに入り、左右にある小さなショップを抜けると、正面には、床が数段上がった場所にカフェがある。そして、そこで目を奪われるのが、その少し薄暗い客席の奥に、まるで後光が差したように鎮座する赤い円弧状のスロープだ。

 これがまさしく内部の「螺旋=スパイラル」なのだが、これは、天空光が差し込む半径約9mの半円筒形のアトリウム(吹き抜け)に設けられた2階のショップへとつながるランプウェイで、この空間は「Spiral Garden」と呼ばれるエキシビジョンスペースとして多目的に使用される場所となっている。

 アトリウムの壁面は大理石で白く美しく、赤い底面の螺旋のスロープは上下と途中数カ所でしか支持されていないので、1つの独立したオブジェのようであり、例えイベントが行われていなくても、それらだけでも十分鑑賞に値する。

 この1階の平面構成は、槇文彦曰く、「丁度虫が光を求めるように人々は自然にこのギャラリーに導かれる」ことを意図して計画したとのこと。なるほど、そうして見るとカフェの床が上がり、かつ天井高さが抑えられていることが、その奥にあるエキシビジョンスペースが映画のスクリーンのように輝き、螺旋のスロープを一層際立たせるための仕掛けだったこともよく理解できる。

 しかも、この《SPIRAL》の敷地は、青山通りに面して幅30m、奥行60mという奥が深い不整形の土地であり、加えて、当時の高さ制限では、奥の方は最高で20m程度と、正面と同じ高さでは建てられない事情があったということなので、これらの外的要因の解決策としても、トップライトがあるエキシビジョンスペースが奥にあるというレイアウトは非常に理にかなっていた計画だったと言える。

 このように《SPIRAL》にとって「螺旋=スパイラル」が唯一無二の傑作たらしめる大きな要因になっているのは確かなのだが、私はそれら以上にこの《SPIRAL》の魅力であると言っていいのが「エスプラナード」の存在であると思っている。

「エスプラナード」とは、エントランスホールから2階にある「Spiral Market」へ、そして3階にある多目的ホール「Spiral Hall」のホワイエまでをつなぐ大階段のことなのだが、幅が約5mもあるゆったりとした贅沢な空間なので、ただの通過空間には留まらず、ギャラリーやイベント会場としても使用されるスペースだ。

 これだけでも十分魅ユニークな「エスプラナード」なのだが、私がこの空間を愛してやまないのは、なんといっても、青山通りに面した大きなガラスのファサードエリアに、チェア(スイス人の巨匠マリオ・ボッタのデザインによる「セコンダ」)が置かれているということだ。

 槇文彦はこの空間を「孤独を楽しめる場所」と説明しているが、まさしくその通り。私を含め、ここに座る人はみんな、独りになるため、独りを楽しむために来ているのではないだろうか。ここは天候に関係なく快適な環境だし、おしゃべりもなく静かだし、なんといっても無料だ。

 私はこの場所以上にくつろげるパブリックスペースを他に知らない。

 この場所の心地よさは、なんといってもチェアの配置方法によるところが大きい。通常、チェアを置くとすれば、壁際か、もしくはガラスに背を向けて置くところだろうが、ここは違う。チェアはあえて窓際に、そして外に向けて配置されているのである。それはまるで、落ち葉舞う清流を眺めるがごとくに、青山通りの車と人の流れを眺めてくださいと言わんばかりに。

 しかもソファーやベンチではなく、チェアであることも「おひとりさま」を前提としていることに他ならない。


「街を内包した内部空間」

 私はこの「エスプラナード」を含め、槇文彦はこの《SPIRAL》で『街を内包した内部空間』を実現したかったのでは、と考える。彼はデビュー当初から、『空間の奥性』や『空間の襞』といった日本の都市空間の特性における建築について論考、実践しており、例えば代表作の《代官山ヒルサイドテラス》では、街路や周辺環境といった外部空間を敷地内にどうつなげるか、ということを主題としているのだが、この《SPIRAL》では更に、これらの外部空間を建築内部まで連続させる、すなわち、都市空間を内部空間に囲い込む=閉じ込めることがやりたかったのでは、と思う。

 これは前川國男の《東京文化会館》のエントランスホール(拙筆『東京建築物語』第13回参照)にも通じる「内部化された外部空間」である。

 そう考えて、改めて内部空間を巡ってみると、エントランスホールから「エスプラナード」はまるで参道のようで、そこを上った先は青山通りを愛でる物見台。チェアに腰掛け、ちょっとくつろいだら、「Spiral Market」の店内をブラブラと探索。そのあと「Spiral Garden」のスロープを緩やかに下って、最後は「Spiral Café」で一服・・・どうだろう、この回遊コースはまさに「屋根のある散策路」、なんとも「都会的な散歩道」ではなかろうか。


 私が初めて《SPIRAL》を訪れた時、この「都会的な散歩道」のチェアには、ツィードのジャケットを着た老紳士が腰掛け、新聞を読んでいたのだが、その姿のなんとオシャレでカッコよかったこと。私はその佇まいを見て思った。

 これが「TOKYO」だ!と。

 それから約30年。その姿と同様、未だ忘れられない、その日の出来事がある。

 私と友人は一通り《SPIRAL》の探索を終え、傑作建築の余韻を楽しむべく、「Spiral Café」に入った。いやぁ、ここから見る「Spiral Garden」のスロープや「エスプラナード」もまた格別!と二人で興奮しながら席に着き、せっかくだからケーキも食べちゃう?という勢いでメニューを広げてまぁビックリ!なんと珈琲が1杯1000円もするではないですか!高い、高過ぎる・・・果たして学食のうどんだったらいったい何杯食べられる???あまりの驚きに声も出さず我々は顔を見合わせたのだが、そこは変なプライドを持つ経験不足(?)の若輩二人。今更席を立つこともできず、大人しくアイスコーヒだけを頼み、心身ともに一気にクールダウン(アイスだけに)。意気消沈した我々は

「これが「東京」か・・・」

 とヒソヒソ言いながら、そそくさとカフェを後にしたのだった。

 まぁそんなビターな(コーヒーだけに)経験も、今となってはいい思い出。歳を重ね、すっかりオジさんになった私にとって、今なお《SPIRAL》が特別な建築であることに変わりはない。

筆者:三村 大介

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