「これまでゴミばーっかり、作ってきた」三島喜美代・92歳、現代美術界のレジェンドが作る唯一無二のアート

2024年6月4日(火)8時0分 JBpress

新聞やチラシなどの印刷物を、陶を用いて立体化したユニークな作品で知られる三島喜美代。70年にわたる創作活動の軌跡をたどる展覧会「三島喜美代—未来への記憶」が練馬区立美術館で開幕した。

文=川岸 徹 撮影/JBpress autograph編集部


医学の道をあきらめ、美術の世界へ

 古新聞、古雑誌、空き瓶、空き缶、段ボール……。家庭から出た「ゴミ」をモチーフに、陶の手法を用いて作品を制作する三島喜美代。そこには当然、情報化社会や大量消費社会への批判が込められているのだが、三島本人はそんなことまったく気にも留めていないようにあっけらかんと言う。

「ずっとゴミばっかり作ってる。なんか、おもしろそうやなーって思ったから。みんな理屈をつけて、難しいことばかり言いたがる。私はただ、おもしろいと思うから」

 近年、国内外で急速に評価を高める現代美術家・三島喜美代。三島は1932(昭和7)年、大阪の下町、十三で生まれた。実家は酒屋を経営し、母親は喫茶店を営んでいた。高等女学校(現在の中学校)時代、担任が画家であったことから美術に関心をもち、油彩画を描き始める。だが、将来は美術家ではなく、医学部に進み、研究者になりたいと思っていた。

「人間のクローンをつくりたい」。それが三島の夢だった。今やクローン技術の研究・開発など珍しくないが、当時は手を出してはいけない領域。知り合いの医者から「神への冒涜行為だ」と諭されてしまう。医学の道を断念した三島は、美術に没頭。21歳の時には、吉原治良率いる「具体美術協会(具体)」の画家・三島茂司と結婚した。

「結婚後は毎日もう、朝から晩まで絵ばっかり描いていました、2人で。朝方の4時くらいまで描いていましたね。いつも徹夜ですわ」


コラージュから立体作品へ

 1950年代に油彩画に取り組んでいた三島は、60年代に入ってコラージュの技法を用い始める。素材は雑誌、新聞、チラシ、布団、着古された衣類。《作品63-5B》(1963年)では義母が長年使っていた藍色の生地を、《Work-64-I》(1964年)では洋雑誌『LIFE』から切り取った誌面を使った。「ゴミ」ともいえる素材に新たな生命を与えたのである。

 こうしたコラージュ作品は「独立展」「シェル美術賞展」「毎日美術コンクール」で賞を獲得。三島喜美代の名は広く知られるようになっていくが、本人は満足することなく、次のステップへと進んでいく。

「新聞をコラージュした平面作品を制作していた時、床に転がっていたクチャクチャの新聞が凄く気になって。平面よりも立体の方が何かインパクトあるんじゃないかと。土はそれまで全然やったことがなかったんですけど、いっぺんやってみようと」

 三島はクチャクチャになった新聞紙や開きっぱなしの雑誌、ぐしゃっとつぶれた空き缶の形を土で成形し、表面に新聞、雑誌の誌面や缶の図柄を転写。こうして作られる陶の立体作品は、三島喜美代のライフワークになった。1973年の第2回日本陶芸展には、陶でできた段ボール箱を出品。見た目はそっくりそのまま。作品を会場に搬入する際に、「そこのゴミ早く捨てろー」との声が聞こえてきて、三島は「あー、これは面白い」と喜びを感じたという。


代表作《20世紀の記憶》が圧巻

 その後も生活の中で出る「ゴミ」をモチーフに、次々に陶のオブジェを作り出す三島。だが、当初の感動は少しずつ失われてきた。

「小さいのばかり作っていると、なんか手仕事みたいで、思うようにポッと出来てしまうのが面白くなくなってきた。何か挑戦したくなって、拡大してガリバーみたいにすればどうなるかな、と思って。そのときフランスから菅井汲が帰ってきていて、相談したら『おー、やれやれ、絶対面白いよ』と。それにふいっと乗ってしまったんですね」

 巨大な空き缶、巨大な新聞紙……。三島の作品はガリバーのように巨大化。やがて美術館の一室を使うような大規模なインスタレーション作品も手がけ始めた。

 三島の集大成といえるインスタレーション作品《20世紀の記憶》。本展では展示室1つを丸ごと使って公開されている。約200平方メートルの床に敷き詰められた、使い古した耐火レンガブロック1万個余り。その空間はすべての物音が奪われてしまったかのように、ただただ静か。爆撃による焼け野原にも、都市の廃墟にも見える。もしかすると情報の波に押しつぶされて崩壊した未来の光景なのかもしれない。

 それぞれのレンガの表面には、三島が20世紀の100年間から選んだ新聞記事が転写されている。「東京オリンピック開幕」「利根川教授にノーベル賞」などの見出しの文字を、はっきりと読むことができる。現代に蘇る前世紀の記憶の波。圧倒的なスケールと重厚感に畏怖のような恐れを感じるとともに、ずっと眺めていたいと強く惹きつけられた。


尽きることがない創作意欲

 三島の作品には言い知れぬパワーが宿り、そしておもしろい。時折、恐怖が顔を覗かせることもあるが、圧倒的におもしろい。難解さはなく、すっと心に入ってくる。ゴミ問題を題材にしていても押しつけ感がなく、「もっと自分もゴミ問題について真剣に考えないといけないよな」と自然に思うことができる。

 三島自身もゴミ問題や環境問題とナチュラルに向き合っている。三島は80年代、巨大な作品を制作するため、岐阜県土岐市に窯とアトリエを構えた。ある日、三島は土岐の人から制作に欠かせない陶土も有限の資源であると聞く。三島は代わりになるものを探し、再生素材である溶融スラグと廃土を使って作品を制作するようになった。時代の変化に合わせながら、地球に優しいことを目指している。

 三島喜美代。1932年生まれの92歳。今も、バリバリの現役だ。「今も変なものを作ろうと思って、わくわくしている。皆が『何やこれ』と言うのを聞きたい」と笑う。

筆者:川岸 徹

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