さよなら、マギー〜「内なる抑圧」の誘惑には、名前を付けて抵抗しよう

6月11日(日)2時0分 messy

wikipediaより

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「家庭の天使」のまぼろし

もし書評をしようとするなら、ある幻と戦わなければならないことが分かりました。その幻は女性ですが、私は彼女をよく知るようになると、有名な詩のヒロインにちなんで家庭の天使と名づけました。彼女は、私が書評を書いているとき、私と原稿用紙の間によく介入してきました。私を悩ませ、私の時間を無駄にし、とても私を苦しめましたので、とうとう彼女を殺してしまいました。(ヴァージニア・ウルフ「女性にとっての職業」、『女性にとっての職業』出淵敬子、川本静子訳、みすず書房、1994、p. 3。)

 これは20世紀前半に活躍した著名な英国の作家、ヴァージニア・ウルフが1931年に行ったスピーチの一部です。ここで出てくる「家庭の天使」というのはコヴェントリー・パットモアが19世紀半ばに発表した詩で、家庭内で妻や母の役割を果たす女性を褒め称えた作品です。ウルフによると、男性が書いた本を批評しようとした時に家庭の天使が現れました。できるだけ優しく、お世辞を使って男性を称賛し、自分に脳ミソがあるなどということは悟られないようにしなさい、というようなことを助言してくれたということです。

 もちろん、こんな天使は実在しません。ウルフは、女性が自分で考えて行動をしようとしたときにのしかかってくる社会的抑圧を擬人化して「家庭の天使」と呼んだのです。こうした抑圧は、人が社会と関わる中で自然と内面化してしまうものです。当たり前のように身につけてしまったので、抑圧が存在し、自分を苦しめていることにすら気付かないこともあります。フェミニストでバイセクシュアルだったウルフは、この抑圧を作家らしく言葉で具体化し、対抗しようとしました。

 なんだかわからないけれども自分を苦しめているものを見定めて名前をつけることは、それと戦ったり、対処したりしていく上で役に立つことがあります。ウルフは「家庭の天使」という名前をつけました。18世紀の学者サミュエル・ジョンソンは自分の鬱を「黒い犬」と呼び、英国首相でふさぎの虫に悩んでいたウィンストン・チャーチルもこの言葉を好んで使っていました。今回の記事では、この心の中の抑圧や不安に名前をつけて戦うことについて、ウルフに倣ってフェミニストとしての私の経験を書いてみようと思います。

男社会に適応したマーガレット・サッチャー

 皆さんの心には「家庭の天使」はいますか? いる、という人もたくさんいると思います。そんな人には、ウルフを読むことをオススメします。しかしながら、正直私には「家庭の天使」があまりピンときません。心の中に住む抑圧は様々ですし、人によって対処法に違いがあります。私の心に住んでいる厄介者は「内なるマギー」です。ウルフは20世紀前半のイギリスにおいて女性は家庭にいるべきだとする考えを内面化していましたが、私が内面化してしまっているのは女性も男社会に同化して成功せねばならないというもう少し新しいタイプの強迫観念です。

 マギーというのは英国史上初の女性首相で保守党党首だった「鉄の女」ことマーガレット・サッチャーのあだ名です。1979年から1990年まで首相をつとめ、80年代を代表する政治家でした。極めて毀誉褒貶の激しい政治家で、強い指導力で保守派から尊敬される一方、反対派からは蛇蝎のように忌み嫌われています。サッチャー政権は国営企業の民営化や鉱山の閉鎖を推し進めたため、かつて鉱山があった地域では雇用と地域を破壊した張本人として恨みを買っています。他にも北アイルランド紛争への対応を批判する北アイルランド住民とか、1989年にサッカー場で起こった群衆事故であるヒルズボロの悲劇に政権が適切な対処をしなかったと考えるサッカーファンとか、いろいろな人がマギーを嫌っています。2013年にマギーが亡くなった時には、反サッチャー派が映画『オズの魔法使』の挿入歌「鐘を鳴らせ!悪い魔女は死んだ」をiTunesチャートに送り込みました。

 マギーは全くフェミニズムに関心がなく、服装もふるまいも男社会の決まりに適応していました。男社会の構成員として振る舞い、他の女性を助けることもしませんでした。「社会などというものはない」という有名なマギーの発言がありますが、徹底した個人主義者で、社会の中で不利益を被っている人々がアイデンティティに基づいて結束するような運動には共感しませんでした。セクシュアルマイノリティに対しても冷たく、1988年には地方政府や公教育機関が同性愛を奨励することを禁じた法律を作りました。マギーは帝国主義、差別、弱者の搾取といったものを象徴する存在と見なされており、フェミニズムやセクシュアルマイノリティの権利にとっては敵です。

心にひそむ闇のマギー

 しかしながら、マギーには強烈なカリスマがあります。

 マギーはリンカンシャの小さな町グランサムでそれほど裕福でもない食料品店の娘として生まれ、努力の末にオクスフォード大学を卒業しました。下院議員として当選した後、首相の座に上り詰め、女性政治家として前例のないような成功をおさめました。そして重要なことは、マギーは美人ではありませんが自信に満ちていたことです。美人でなくても努力で成功できるなんて! 同じような田舎で生まれてひとかどの人間になりたいと思う女性には輝かしいロールモデルに見えます。

 私は北海道の田舎にあるとても小さな町で生まれました。大学の進学率が4割に満たず、町の高校から国立の総合大学に進学する人はごくわずかです。中学校は教員からいじめを受けていたため不登校であまり行っていませんでしたが、勉強がとても好きだったので、頑張って鉄道で1時間以上かかる旭川の高校に入り、東京大学に入学した後、奨学金で留学してイギリスの大学院で博士号をとりました。

 はっきり言って、たいていの政治家よりもマギーのキャリアパスのほうに私は親近感を抱きます。前回の記事では田舎でくすぶる女性の不満について書きましたが、マギーは、顔はたいして可愛くないが成功したい田舎娘にとっては希望の星です。こう思うのは私だけではありません。『オレンジだけが果物じゃない』(1985)などの小説で有名な作家のジャネット・ウィンターソンはレズビアンですが、1979年の選挙でマギーに投票したと言っています。ランカシャの田舎で富裕ではない敬虔な家庭の養女として育ち、苦労してオクスフォード大学で学んだウィンターソンにとって、やたら男っぽい労働党の政策は魅力がなかったそうです。ゲイの男性もサッチャーに惹かれることがあります。保守派のアーティスト、ギルバート&ジョージをはじめとしてマギーをゲイのアイコンとみなす人も多数います。ジョージはデヴォンの田舎で労働者階級のシングルマザーに育てられ、ギルバートは移民でした。マギーは野心を持った田舎育ちの変わり者にとって、ある種の憧れをかき立てます。

 「内なるマギー」が私に話しかけてくるのは、おそらくこういう田舎娘の野心とコンプレックスのせいです。私が何か社会での出来事について「これはちょっとおかしいんじゃないか」「これは女性に対して不公平なんじゃないか」と思う時、完璧な髪型と服装でキメた内なるマギーが話しかけてきます。「社会などというものはありません」「あなたが頑張って成功するのに、他の女性を助ける必要なんてありますか?」「なぜ、自分で努力をしない人を気遣うんですか?」。男社会の決まりにそった服装や髪型にしたくないなと思う時には、マギーが「あなたは田舎育ちなんだから、育ちがわからないようしっかりした身支度をしないとダメです」と言ってきます。マギーは私が常にきちんとした服装で、社会と波風を立てず、自分の成功だけに専心することを望んでいます。内なるマギーは、私の心の中にある男社会でバカにされず立派な人間として認められたいという野心を象徴しています。マギーに従えば資本主義社会を生き抜けるはずなのです。利己的になりなさい! 個人主義的になりなさい! あなたはエリートらしく振る舞わないといけないんです!

 そんなわけありません。マギーの言うことなんか聞いてはいけません。だいたい、なんで男社会の決まりに従って成功しないといけないんでしょうか? スーツは捨ててヒラヒラのレースとかを着たっていいじゃないですか。他の女性が困っている時にはできるかぎり助けましょう。私は弱い人間なので、自分だってそのうち助けが必要になるかもしれません。おかしいと思ったことは批判しなければ良心が許しません。マギーは「家庭の天使」と同じくただの幻で、私が昔から抱えていた強迫観念に名前をつけただけのものなのです。そういうわけで理性で内なるマギーを頭から追い払います。ところが、なかなか行動がついてこないことがあります。たとえば私は英語の訛りが変わっていてしょっちゅうロシア人に間違えられるのですが、これを直そうとしてゆっくりはっきり英語で話していたところ、聞いていた人に「サッチャーみたい」と言われてショックを受けました。マギーの英語は育ちを隠すために訓練で身につけた非常に人工的なアクセントです。自分では気付いていませんでしたが、私の頭の中に、女性が話を聞いてもらうためにはマギーみたいな英語をしゃべらないといけないというような考えがあったようなのです。それ以来、マギーみたいに聞こえたくなくて発音矯正をやめたため、私の英語は今でもロシア人です。

マギーを抑えるには

 ウルフが「家庭の天使」を殺そうとしたように、私も日々、「内なるマギー」を殺そうとしています。マギーを野放しにしておくと、だんだん自分がしばき主義者になっていくからです。しかしながらなかなかマギー殺しはうまくいきません。心が弱っている時に限って、普段なら許せないようなことを放っておけとか、成功のために邁進しろとか言ってきます。

 マギーを殺すのは無理かもしれませんが、対抗するための方法はあります。その一つが、マギーと戦う幻を自分の心に住まわせるというものがあります。少し前の連載でとりあげた映画『サフラジェット』(日本語タイトル『未来を花束にして』)を見てからは、サフラジェットのリーダー、エメリン・パンクハーストを頼るようにしています。エメリン役を演じたメリル・ストリープは『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011)でマギー役も演じているので、マギーっぽいことが頭に浮かんだらだんだんメリルがマギーからエメリンに変わっていくところを想像し、女性の権利のことをエメリンに話してもらうようにしています。

 よく考えればマギーよりもはるかに素晴らしいフェミニストのロールモデルがいろいろいるのです。もしあなたがラディカルなアナキストなら、田舎娘から自由奔放な活動家になった伊藤野枝とか、リトアニアからアメリカに移民した不屈の闘士エマ・ゴールドマンとかを心に住まわせればいいと思いますし、もう少し穏当に仕事で成功したいと思っているのなら、フェイスブックCOOシェリル・サンドバーグとか映画スターのエマ・ワトソンとかがいます(2人とも存命なのがやりづらいですが)。芸術好きなら、ナイジェリアの作家チママンダ・アディーチェとか、メキシコの画家フリーダ・カーロを思い浮かべればいいし、スポーツが好きなら大西洋単独横断飛行をしたパイロットのアメリア・エアハートを心に住まわせましょう。全部ダメなら、マドンナとかビヨンセとかにパワフルなダンスで抑圧を追っ払ってもらいましょう。

 みなさんの心にいるのはマギーか、家庭の天使か、あるいは黒い犬か、その他の何か全然違うものかもしれません。育った環境や性格によって抑圧の種類は全然違うので、皆が家庭とか成功への強迫観念を抱えているわけでは全くないでしょう。しかしながら、もし心に何かの暗い抑圧があるとしても、それと戦ったり、付き合っていったりする方法はきっとあると思います。ウルフのような偉大なフェミニストの心にも家庭の天使が住んでいたのですから(しかもウルフは同じ文章で、初めての原稿料は猫を買うのに使ってしまい、大人の職業婦人らしくなかったと告白しています!)、我々のような凡フェミの心に抑圧が住んでいるのは当たり前です。もし家庭の天使やマギーが囁いてきたとしても、自分はフェミニストとは言えないのではないか……とか、家庭生活や男社会での成功に魅力を感じるのは悪いことなのではないか……とか、気に病むのはよくありません。何か楽しいことを考えて、大きな声で言いましょう。「さよなら、マギー。できるだけ、お会いしたくないものです」。

参考文献

ヴァージニア・ウルフ『女性にとっての職業』出淵敬子、川本静子訳、みすず書房、1994。
David Cannadine, ‘Thatcher , Margaret Hilda, Baroness Thatcher (1925–2013)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Jan 2017, doi:10.1093/ref:odnb/106415, accessed 30 May 2017.
Dominic Janes, (2012) ‘“One of us”: The Queer Afterlife of Margaret Thatcher as a Gay Icon’, International Journal of Media and Cultural Politics 8 (2-3), pp. 211–228, rpt. Tim Bale, ed., Margaret Thatcher, 4 vols, London: Routledge, 2015.
Samuel Johnson, The Letters of Samuel Johnson, Volume IV: 1782-1784, Bruce Bedford, ed., Princeton University Press, 2017.

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