夏目漱石が生まれ育ち暮らしました【駅ぶら04】新宿線07

6月11日(金)7時30分 鉄道チャンネル

※2021年4月撮影

トップ画像は、漱石山房記念館東側の新宿区立漱石公園入口。

さて、穴八幡宮を出てさらに早稲田通りを西に進んで夏目坂の入口に「夏目漱石誕生之地」石碑があります。

※2021年4月撮影

新宿区教育委員会の説明板。

※2021年4月撮影

内容は以下です。(一部略しています)

夏目漱石(本名金之助)は、慶応3年(1867)1月5日に、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末っ子としてこの地に生まれました。夏目家は、牛込馬場下横町周辺の十一ヶ町をまとめる名主でした。早稲田大学の喜久井町キャンパスのある喜久井町は夏目家の家紋「細井筒に菊」に因んで名づけられました。この夏目坂も夏目家に因んで命名されたといいます。漱石が生後間もなく里子にだされたこと、その後も再度養子にだされたこと、結局は夏目家に復籍したことが知られています。この地での幼少期のことは、漱石自身が大正4年に書いた随筆「硝子戸の中」に詳しく記されています。

夏目坂にはこの様な標識も立っています。

※2021年4月撮影

通りの名前も夏目坂。

※2021年4月撮影

夏目坂通り東側、漱石山房通りに行きます。新宿区立早稲田小学校と幼稚園が同じ敷地内にあります。ちょうど園児を迎えに来る時間でした。お迎えのお母さんたちの横に「漱石山房記念館」案内看板。

※2021年4月撮影

道を進むと「漱石山房通り」の標識。

※2021年4月撮影

その先に新宿区立漱石山房記念館があります。早稲田通りからは300mほどでしょうか。

※2021年4月撮影

新宿区教育委員会による「新宿区指定史跡 夏目漱石終焉の地」の案内があります。

※2021年4月撮影

内容は、以下です。

この地は、夏目漱石が明治40年(1907年)9月27日から亡くなる大正5年(1916年)12月9日まで暮らした住居、通称「漱石山房」の跡地です。漱石山房は木造平屋建て和洋折衷、漱石は洋間二間を書斎・客間として使用。漱石没後は鏡子夫人が母屋を増改築し漱石の書斎・客間・回廊を保存しました。

しかし、昭和20年(1945年)の空襲で漱石山房は焼失。跡地は東京都の所有になり都営アパートが建てられました。その後アパートは新宿区に譲渡され、敷地内に昭和51年(1976年)漱石公園が作られます。平成29年(2017年)には新宿区営アパートが移転。斯くして全国初の本格的な漱石の記念館「漱石山房記念館」が開館しました。

漱石山房記念館は坂に面して建てられています。漱石山房に植えられていた植物が再現されている様です。

※2021年4月撮影

正面には漱石山房の玄関を思わせる引き戸がデザインされていました。

※2021年4月撮影

漱石山房記念館の坂の下側に漱石胸像が置かれています。

※2021年4月撮影

胸像の右側から新宿区立漱石公園に入ります。※トップ画像参照

漱石山房記念館の庭側、右に漱石没後に犬、猫、小鳥など、夏目家が飼っていた生き物たちの供養に建てた塔があります。通称「猫の墓」。

では漱石山房記念館に入ります。

※2021年4月撮影

漱石山房記念館内部には、夏目漱石が暮らし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」の書斎、客間、ベランダ式回廊などができる限り忠実に再現されています。残念ながら館内は撮影スポットを除き撮影禁止。漱石山房記念館を管理運営する公益財団法人新宿未来創造財団からお借りした写真です。入館してすぐの導入展示部分。

※写真:漱石山房記念館提供

漱石山房記念館はとても充実した展示内容でした。まずは漱石山房記念館のホームページをご覧ください。

高田馬場の【駅ぶら】、なかなか中身が濃い散歩が楽しめました。ではそろそろ次の駅に向かいます。

(写真・文章/住田至朗)

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。


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