【著者に訊け】川村元気氏 愛と記憶の物語『百花』

6月13日(木)16時0分 NEWSポストセブン

『百花』を発表した川村元気氏

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【著者に訊け】川村元気氏/『百花』/1500円+税/文藝春秋


 着想は5年前に認知症を発症し、すべてを忘れていった祖母にあった。


「映画『君の名は。』の製作中に発症して、つい先週、この『百花』が出た矢先に亡くなったんですね。僕も〈あなたは誰?〉って聞かれた時はさすがにヘコみましたが、それからはなるべく祖母と会って話を聞いたり、自分でも『記憶集』と名づけたノートをつけたりして。例えば僕が『昔、海で魚を釣ったね』と言うと、『違う、あれは湖よ』と祖母に訂正されたり、意外にも忘れたり記憶を改竄したりしているのは、僕の方だったんです」


 まして本作の主人公〈葛西泉〉の場合、異変は母〈百合子〉に起きる。ある年の大晦日、〈家に帰ると、母がいなかった〉。汚れた食器をそのままにし、電話にも出ない母を探しに行くと、公園のブランコにぼんやり揺られる母の姿が。最近は計算が億劫で紙幣ばかり出してしまうという母の小銭で膨れた財布に息子は母の老いを痛感し、母一人子一人で生きてきた日々や、母が抱えてきたある秘密に、向き合うことになるのだ。


「祖母からの問いかけに、僕は自分が何者か、即答できなかったんです。僕はあなたの孫で、今年40歳です、仕事は映画製作者で小説も書きますと言ったところで、自分の何を証明したことになるのか、と。


 人工知能研究者と以前話した際、最終的には人間を作りたいという彼らが言うには、AIを人に近づける最大の鍵は記憶にあるらしい。そのとき、もし自分が作家のAIを作るなら、三島や太宰の作品をディープラーニングさせた後で、例えば『愛』という言葉の記憶を喪失させるだろうなと思った。


 つまり何を記憶し、何を忘れたかがその人を形作り、個性を生むことに、理系のアプローチで気づいたんです。その点、本当に大事な記憶だけを纏った祖母は、清々しくすらありました」


 百合子は独身で泉を産み、ピアノ教師をして育ててきた68歳。泉はレコード会社の同僚〈香織〉と結婚後も、元日生まれの母の誕生日は実家で祝い、秋には子供も生まれる中での母の異変だった。


 それでも泉は連れ帰った母と2人、例年通りに昔のことを話しながら年を越す。11歳の時、彼は〈わたしの誕生日は誰も忘れないけど、いつも忘れられるのよ〉という母のために、生まれて初めてプレゼントを買った。商店街を散々彷徨った末に選んだ一輪の水仙だったが、母はそれを見るなり台所に消え、赤い目をして言った。〈いちばん好きな色〉〈今日が誕生日で、よかった〉


 以来、泉は母が一輪の花を欠かさず、花を活けてピアノを弾いている限りは、大丈夫だと思っていた。


「母親の老いを特に息子は認めるのが怖いんだろうな。ですが認知症を、わからないから怖い、怖いから避けるじゃ埒が明かない。今回意識したのは有吉佐和子作『恍惚の人』(1972年)のアップデートなんです。


 あの作品は痴呆症の舅と嫁の壮絶な日々を描き、200万部近く売れた傑作ではあるけれど、半世紀近く経った今では研究も進み、きちんと知れば対策の立て様もある。例えば買い物に行くという現在的な目的と幼少期の記憶が混在したりする、時間の並列化によって徘徊が起きるメカニズムなど、最新の情報を盛り込みながら、忘れていく百合子と当惑する泉の視点の両方を、交互に構成しました」


◆SF的なことが現実に起きる驚き


 本書を介護小説にするつもりはなかったと言う氏は、親子があえて触れずに来た「一年の空白」というミステリーを軸に、共働き夫婦の出産や仕事を巡る現代的風景をスケッチしてゆく。


〈香織ちゃんの方が仕事できるんだから、お前が産んで育てろよ〉と同僚にからかわれ、社内の噂にも疎い泉。先日も新人アーティスト〈KOE〉にレコーディング直前に逃げられるが、失恋が元で曲が書けなくなった彼女が唯一頼ったのも香織だった。〈音楽を忘れてしまったんです〉〈どうやって歌詞を書いていたのか、どんな気持ちで歌えばいいのか、どうしても思い出すことができない〉


「アーティストというのも記憶の職業で、曲が書けなくなった人は、書けないというより、書けた時の感覚が思い出せないという方が近いらしい。仕事のトラブルや上司の部内不倫など、些末な現実のあれこれと親の問題が並行するのが、僕らのリアルだと思う。そうやって人生が否応なく押し出されていくリアリティを描いた上で、記憶と忘れることはセットで成立することを、肯定したかった」


 映画も小説もヒット作に事欠かない川村作品に共通するのが、実は「喪失から考える」という方法論だ。


「小説では猫やお金や恋愛が消えたり、新海誠監督の『君の名は。』も、主人公の男女がお互いの名前を忘れてしまう物語です。


 何かがなくなるから考え始めるということを、従来はわりとファンタジックな手法でやってきたのですが、今回は祖母のこともあり、現実にSFみたいなことが起きるんだという驚きから入っている。忘れていく祖母と向き合うことで逆に自分が忘れていたことに気づいたり、記憶の満ち欠けこそがその人なんだと実感できたのが大きい。


 表題も100の花=記憶という意味で付けたんです。人間は覚えることで成長し、ある時からは忘れていって、大事な100だけが最後に残る。僕自身、顔も思い出せない人の連絡先を必死でクラウドに上げたりしていたのですが、人は何かを失うことで大人になるのですし、今は忘れることに一切抵抗しなくなりました(笑い)」


 物語は後半、母が2人でもう一度見たいと切望する〈はんぶんの花火〉を巡って急展開し、〈あなたはきっと忘れるわ〉〈忘れないよ〉と言い合う親子の、ささやかすぎる祈りが涙を誘う。


「新海監督や細田守監督も、僕の周りのクリエーターの多くは記憶に取り憑かれ、忘れたり忘れられたりすることに傷つく人が多い。でも実際は忘れないと言う人ほど忘れるし、忘れられて淋しがる人が相手のことをどれだけ考えてきたのか、僕は疑問に思うんです。僕の場合、祖母と最後に過ごした濃厚な時間のおかげで後悔はないです。人間は忘れる動物だという事実を前にして、読者が悲しいとか淋しいだけではない何かを見出してくれたら、作者としては本望です」


 花は散るからこそ美しく、花火も記憶も、きっとそうなのだ。


【プロフィール】かわむら・げんき/1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『怒り』『何者』『君の名は。』『未来のミライ』等、数々のヒット映画を製作。昨年は佐藤雅彦氏らと『どちらを』を初監督、カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に選出。2012年の初小説『世界から猫が消えたなら』は世界各国で出版され200万部を突破。他に小説『億男』『四月になれば彼女は』、対話集『仕事。』『理系に学ぶ。』『ブレスト』等。180cm、73kg、A型。


構成■橋本紀子 撮影■国府田利光


※週刊ポスト2019年6月21日号


百花

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