歴史の舞台「九段会館」、偉容どこまで残る? 「増築」前にその姿をルポ

6月19日(日)11時0分 Jタウンネット

東京・九段下の「九段会館」建て替えをめぐり、財務省関東財務局は2016年6月2日、有識者委員会が検討した「保存・活用方針」を発表した。


それによると、歴史価値が認められる外装や内部空間などは「できる限り保存」する一方で、建物の増築計画も盛り込まれている。



増築となれば、貴重な建築物は残るが、外観全体のバランスは一変してしまう。80年以上の歴史がある会館をあらためて見に行こうと、現地へ行ってきた。


「二・二六事件」でも重要な役割だった


九段会館は1934年、「軍人会館」の名称で竣工。36年には「二・二六事件」にともなって、戒厳司令部が設置された。戦後はGHQに接収され、返還後の1957年からは日本遺族会に無償貸与。名前を「九段会館」に変え、貸しホールや結婚式場として営業した。


転機となったのは、2011年3月の東日本大震災だった。専門学校の卒業式中に、地震でホール天井が崩落し、2人が死亡する事故が発生。4月には廃業して、土地や建物は国へ返還されることになった。



建物の特徴は「帝冠(ていかん)様式」と呼ばれる、鉄筋コンクリートの近代的なビルに、日本伝統の瓦屋根を載せたもの。いわば和洋折衷の建築様式で、都内では東京国立博物館もこの形で出来ている。



ぐるりと回って、田安門側から眺めると、また違った趣を見せる。春には、お堀沿いに桜が咲く。九段会館や日本武道館など、入学式会場が多い地域とあって、この花吹雪で新生活を迎えた人も多いだろう。



人々の「思い出」が残る



九段下交差点方向に戻ると、国が運営する「昭和館」がある。ここは戦中・戦後における「国民生活上の労苦」を伝えるための資料館だが、記者が行った月曜日は、あいにく休館だった。



交差点を渡ると、九段会館を見ながら黙々とデッサンする、熟年の女性がいた。彼女はこの地に、どんな思い出があるのだろうか。もしかしたら、ただ単に「美しい」から描いているのかもしれない。話を聞いてみたかったが、声をかけるのは無粋だと、静かにその場を離れた。



思い起こせば、東京出身の記者(20代)は小学生時代から度々、観劇や映画鑑賞などの学校行事で会館を訪れていた。なにを見たのか、何年生だったのか——。そのあたりは一切思い出せないのだが、妙に重厚な扉と階段、荘厳なホールを前に、「ここは子供が来るところじゃない」とビクビクしたことは鮮明に覚えている。



報道によると、2016年末には、開発事業者の公募がスタートする。往年そのままの姿を見られるのは、あとわずかだ。

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