歌舞伎の原風景「巡業」、旅先で地元で一味違う愉しみを…今夏は獅童親子「橋弁慶」、團十郎「河内山」が必見

2024年6月27日(木)8時0分 JBpress

歌舞伎のルーツは、安土桃山時代から江戸時代初期に出雲阿国(出雲のお国)が京都で始めた「かぶき踊り」や「阿国歌舞伎」。やがて、諸国を旅興行することで全国に広まり、一大ブームに。今年も6月末から歌舞伎の地方巡業が行われます。いつもの劇場とは違う舞台の近さや熱気に浸り、旅行を兼ねて地方の名物に舌鼓を打つ、地元で家族と芝居を観る——。巡業ならではの愉しみ方をご紹介します。

文=新田由紀子 


「ミニ獅童くん」の牛若丸を見ておく

「地方巡業は、初めて観る人も楽しめる演目が選ばれていますし、ぜひ経験してみるといいですよ」と語るのは、このシリーズの第6回で話してもらった松田正美さん。10代から歌舞伎を観続けている彼女は、地方公演には大都市とはまた違う良さがあるという。

「そして、松竹の偉い人が、地方でも歌舞伎座とまったく同じ芝居をする。同じものを体験していただきたいと言っていたことがあります。ちゃんとした舞台を味わうことができるはずです」

 今年の巡業のひとつは「松竹特別歌舞伎」(6月30日〜7月31日)で、全国22会場で上演される。6月の歌舞伎座で息子二人の初舞台を終えたばかりの中村獅童(51歳)が座長だ。

 幕開きの「中村獅童のHOW TOかぶき」は必見だという。

「歌舞伎を観る人が知りたい疑問などに答えていくのですが、獅童のこうしたトークには定評があります。会場中を飽きさせずに盛り上げるから、お子さんを連れていくのにもいいでしょうし、歌舞伎をよく観ている人にもなるほどと楽しめる時間となるはずです」

 俳優が化粧をしてかつらをかぶり、衣装をつけて変身していくところも見られる。

「2015年の赤坂歌舞伎で、舞台上の獅童と市川團十郎(46歳・当時は海老蔵)が扮装するのを見たことがあります。白塗りにしていくなど役者の段取り自体に様式美が感じられ、わくわくさせられます」

 終幕の「橋弁慶」では、獅童が武蔵坊弁慶、息子の中村陽喜(はるき・6歳)が後に源義経となる牛若丸を演じるのもお楽しみ。

「話題になった歌舞伎座の六月大歌舞伎での陽喜くんの初舞台、盛り上がっていました。弟の夏幹(なつき・4歳)くんと一緒に酒屋の丁稚として花道を歩いてお酒を届けに行く芝居。緊張していながら、小さい弟をうながしてそろって台詞を言うけなげさに、劇場中がその日いちばんの拍手でした。

 未完成ながらも歌舞伎が好きなことが伝わってくるこの年頃の一生懸命さには、幸せな気持ちにさせられます。20年、30年後、彼が活躍する時代の歌舞伎を楽しむためにも、ぜひ観ておくことをおすすめします。陽喜くんは、パパそっくりのミニ獅童。ちょっとたれ目のコミックのキャラクターみたいなかわいらしさで、親子のYouTubeやインスタも思わず見てしまいます。

 獅童といえば、昔はやんちゃなイメージもありました。しかし、今や息子たちにしっかり向き合って歌舞伎役者として育てようとしており、大役もつとめて歌舞伎界を引っ張っていっている姿に、隔世の感があります」


江戸歌舞伎の醍醐味、黙阿弥の七五調

 もうひとつの巡業は「十三代目市川團十郎白猿襲名披露巡業」(8月30日〜9月27日)。全国18会場で上演される。

「祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)」「襲名披露口上」と、團十郎襲名にちなんだ出し物のあとに「天衣紛上野初花〜河内山(くもにまごううえののはつはな〜こうちやま)」が続く。

「河内山」は、悪党の御数寄屋坊主(おすきやぼうず)・河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)が、松江出雲守邸に質屋の娘が愛人にされそうになって幽閉されているのを、200両で請け負って高僧のふりをして奪還に行くという人気の一幕だ。

 作者の河竹黙阿弥は、江戸末期から活躍した狂言作者。『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(白浪五人男)、『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』(三人吉三)、『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』(切られお富)など、今でもたくさんの演目が上演され続けている。

 黙阿弥は、江戸歌舞伎の魅力のひとつ、七五調のみごとさで知られる。和歌や俳句に始まって、日本語と最も相性がいいとされる七音五音。そのリズムが連なっていくせりふには、独特の快感を与える力がある。

「松江出雲守に質屋の娘を家に戻すことを承諾させて帰ろうとするところで、たまたま河内山を知る松江家家来の北村大膳に呼び止められ、高僧などではないことがバレてしまう。

 現在でも使われる“とんだところへ北村大膳”という掛け言葉(とんだところへ“来た”と“北”)としても有名な場面です。しかし河内山は恐れ入るどころか、悪事に長けた自分は善事にも強い。お上に引き渡せるものならやってみろと居直ってみせるわけです」

 ここで、「待ってました!」と大向こうから掛け声がかかり、それまでの高僧のふりとは打って変わったべらんめえ口調で、河内山の有名な七五調のせりふが始まる。

 悪に強きは善にもと、世のたとえにも言う如く、
 親の嘆きがふびんさに、娘の命を助けるため、
 腹にたくみの魂胆を、練塀小路に隠れのねえ
 御数寄屋坊主の宗俊が、頭のまるいを幸いに・・・(中略)
 此の玄関の表向きおれに騙りの名をつけて、若年寄へ差し出すか
 ただしは騙りを押しかくし、御使い僧で無難に帰すか
 ふたつにひとつの挨拶を聞かねえうちは宗俊も、
 ただこのままにゃあ帰(けえ)られねえ

「黙阿弥は、白浪物(しらなみもの)つまり盗賊を主人公とする狂言を得意としました。悪者がヒーローとして観客の心をつかむのはいつの時代にも共通。鼠小僧しかり、『ルパン三世』しかり。海賊王をめざす『ワンピース』まで、変わらないということですね」

 襲名の口上では、市川團十郎による市川家伝来の「にらみ」も。見た人の厄落としになると言われる縁起物、目を大きく見開いた「みえ」は必見だ。


地方公演は貴重な芸の伝承の機会

 地方公演は、歌舞伎役者にとって、大変なのだといわれる。

「例えば歌舞伎座の音響は、3階席の一番後ろまでマイクなしでせりふが届くように、細心の注意を払って設計されていますが、地方の市民会館ではそうはいきません。楽屋だって使い勝手が悪いでしょう。のどなど体調に注意を払って舞台に上がるまでの毎日のルーティーンを決めているような役者にとっては、ひと苦労だったりします。

 一方、公演が終わったらすぐ荷物をまとめて次の場所に移動して続いていく地方巡業ならではの良さもある。一緒にいる時間も多い上、そんな大変さを共にしていくから、先輩の役者と親しくなり、芸を教えてもらえたりする。こういうことが大事なんですね」


失われた歌舞伎の良さが味わえる地方公演

 地方の劇場の中には、歌舞伎座では味わえない昔ながらの芝居小屋の空間というおまけをたのしめるところもある。

 最も有名なのは香川県の琴平町にある旧金毘羅大芝居、別名「金丸座」。江戸後期に建てられ、現存する日本で最古の芝居小屋だ。かつて、亡くなった中村勘三郎(1955〜2012)がテレビ番組の企画で金丸座を訪れた。せっかくの芝居小屋が見学用の施設になっているのはもったいないじゃないかと言って、1985年、歌舞伎公演を復活させたのが現在の『こんぴら歌舞伎』の始まりだ。

「金丸座では、毎年4月に歌舞伎公演『こんぴら歌舞伎』が行われるようになり、歌舞伎ファンの間では“今年のこんぴらは何だろう”という挨拶が恒例になりました。中村勘三郎の父・十七代中村勘三郎(1909〜1988)を始め、金丸座の舞台に立った役者たちの誰もが、これが本来の芝居小屋だと喜び、また出演したいと口をそろえています。

 歌舞伎座の収容人数は1964人。それに対して金丸座は740人だ。

「歌舞伎座はビルの立ち並ぶ東京のど真ん中。そこで芝居をする役者たちは、自分たちの演じている歌舞伎というものが、本来どういうものであったのかを知りたいと願っている。

 現代の商業演劇として成立するために、多くのものが失われたと言われます。大規模な劇場にしたために、舞台が間延びしてしまう、息遣いが伝わらない。地方にまだ残っている昔の芝居小屋やこじんまりしとした劇場ではそれらを取り戻すことができ、役者たちを興奮させるのでしょう」

 古典芸能にたずさわる誰もが、このまま滅びてしまわぬように何とかしたいと考える。

「そうしてたどりつくのが、現代のコンテンツやクリエイターとのコラボといった方向。そしてもうひとつが、もともとこの芸能はどういうものだったかに立ち戻る古典回帰です。

 舞台と観客が近い地方公演では、本来の歌舞伎の良さを味わえる可能性があるといえますね」

※情報は記事公開時点(2024年6月27日現在)。

筆者:新田 由紀子

JBpress

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