4歳の少女が消えた「ナイリーン・マーシャル失踪事件」が怖すぎる! 恐ろしい男の顔、毎朝体液を…!?

2023年7月2日(日)11時0分 tocana

 子供の行方不明事件が先進国の中でも突出して多いといわれるアメリカでは、2022年に35万件以上の子供の行方不明事件が報告されたという。数時間以内に解決する事件もあるが、多くの子供たちがいまも行方をくらませている。そうした中、1983年に起こった少女の行方不明事件は神隠しとしかおもえない奇妙な状況での失踪、そして事件後に謎の男たちからの奇妙な告白があったことから、いまもたびたび犯罪ドキュメンタリーなどで取り上げられている。


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※ こちらの記事は2020年7月20日の記事を再掲しています。


 まさに“神隠し”としか言い表せない失踪事件がある。キャンプ地で“蒸発”した4歳の女の子、ナイリーン・マーシャルもその1人だ。


4歳の女の子が忽然と姿を消す

 さっきまで一緒に遊んでいた子どもがちょっと目を離した隙に忽然と姿を消してしまった——。現場に居合わせた誰もが悲観し、途方に暮れているのが「ナイリーン・マーシャル失踪事件」である。


 1983年6月25日、米・モンタナ州ヘレナ近郊のヘレナ国有林にあるキャンプ地では、多くの家族が参加するハム無線同好会の集まりが催されていた。天気の良いキャンプ日和の1日で、各所で笑い声が絶えず、子どもたちは自然の中で嬉々としてはしゃいでいた。


 この集まりに参加していた家族の1組がマーシャル一家だった。日も傾いてきた午後4時、マーシャル家の4歳の娘ナイリーン・ケイ・マーシャルは、ほかの子どもたちと遊んでいるうちに、まるで神隠しにでもあったかのようにいなくなってしまったのである。


 その時、ナイリーンは子どもたちと一緒にキャンプ地から少し離れた木立の中で遊んでいたという。あたりにはビーバーダム(ビーバーが作ったダム)などの水辺もあり、最年長の少年が先頭を歩いて木立の中を進んでいたというが、振り返ってみるとナイリーンがいないことに気づいたのだ。ナイリーンの“蒸発”はほんのわずかの間の出来事であったという。


 子どもたちは最初、ナイリーンが隠れんぼをしているのかもしれないと考えた。しかし名前を呼びながらあたりを探しても一向にナイリーンが姿を現す気配はなく、仕方なく子どもたちは90メートルも離れていないキャンプ地に戻って大人たちにナイリーンがいなくなったことを報告した。


 警察や森林管理当局にもすぐに知らされ、レスキューチームも加わった大規模な捜索が開始されたのだが、ナイリーンの行方はわからずじまいだ。捜索隊の中には実績豊富で優秀な警察犬がいたのだが、ナイリーンの匂いはいなくなった水辺の地点で消えていたようで、この犬も途方に暮れていたという。


 ナイリーンと一緒にいた子どもたちのうち2人の少年が、木立の中でジョギングウェアを着た成人男性がいたことを証言した。


 恐ろしい形相をしていたというその男は、ナイリーンに話しかけたとも見られ、「影を追え(follow the shadow)」という発言もあったという。ナイリーンはこの男に誘拐されたのだろうか。


 捜索のために多くの人員が木立に立ち入ったため、ジョギングをしていたその男の痕跡を今から特定するのはほぼ不可能であった。男の容貌について少年たちの記憶もやや曖昧で、似顔絵が公表されたもののこの男についての情報は一切得られることはなかった。


 10日間に及ぶ徹底的な捜索に続き、ナイリーンの写真は、全国の新聞、テレビ、チラシ、牛乳パックにまで掲載されて情報提供が求められたが、有力な情報はまったくなく、警察は“誘拐説”からは離れはじめ、ナイリーンは本当に迷子になってどこかで行き倒れになったのだという見解を色濃くしていった。


ナイリーンを養育しているという男が現れる

 まったくもって雲をつかむような謎の「ナイリーン・マーシャル失踪事件」だったが、2年後になって奇妙な動きが見られた。


“蒸発”から2年後の1985年11月27日、非営利の「全米行方不明児童センター」が、ナイリーンを誘拐したと主張する匿名の男性から電話を受けた。続いて2カ月後、ウィスコンシン州マディソンの消印が押された手紙もまた同センターに送られてきたのだ。


 手紙の内容は「ケイという名前の少女」を誘拐したことを自慢する不気味なものであった。手紙によれば、男はモンタナ州エルクホーンで車を走らせていたところ、道路脇で泣いていた小さな女の子「ケイ」を見つけて車に乗せたという。


 男は独身の投資家で経済的余裕があり普段は家にいることから、ケイ(ナイリーン)を家に同居させることにしたのだ。男はケイに何不自由ない暮らしを与え、学校には通わせなかったものの、年相応の勉学もさせていたという。


 男はケイを旅行に付き添わせ、全米各地やプエルトリコやカナダ、イギリスにも連れて行き、ケイも旅行を実に楽しんでいるという。しかしケイのパスポートはどうやって入手したかについては言及していない。


 育ててくれるこの男をケイも信頼しているようで、旅行を楽しむ優雅な生活を送っているということになるが、この男の本心はどこにあるのか。


 男はケイを“愛している”と記している。そして何とも変態的なことに、朝、ケイにスプーン一杯の自分の精液を与えて飲ませるのが日課になっていると記しているのだ。


 この男の話ははたして本当のことなのか。この男からのものらしき手紙はこの後も数通続き、同じ男と思しき電話も警察やマーシャル家に数件かかってきたという。電話の発信源はマディソン市周辺の電話ボックスからであることが突き止められたが、監視カメラなどがほとんどない時代だったこともあり、電話をかけた人物を特定することはできなかった。


 また別の男はナイリーンを殺したと主張する電話を警察にかけてきたという。男は殺害後にナイリーンの遺体を遺棄したキャンプ地近くの岩が掘削された場所を示したというが、捜査班は現地で何も見つけられなかった。そしてこの男も特定することができず、事件は再び謎を残したまま人々の話題に上らなくなっていった。


テレビ番組の放映後に新たな展開

 忘れ去られそうな「ナイリーン・マーシャル失踪事件」だったが、1990年になってまた新たな動きを見せはじめる。


 テレビ番組『Unsolved Mysteries』の1つのエピソードでこの事件が取りあげられた際、カナダ・ブリティッシュコロンビア州在住の視聴者は、番組で紹介されたナイリーンを知っていて、彼女はその視聴者の教え子だったと報告してきたのだ。


 ナイリーンは4歳で“蒸発”したのだから学校などへは通う前であり、この人物の主張は的外れではあったのだが、調べてみるとこの人物のいう少女はナイリーンではなく、1982年にカリフォルニア州バーバンクで行方不明になったモニカ・ボニーラという名前の別の少女のことであることがわかったのである。


 また同じ年にカリフォルニア州で別の子どもの拉致を画策していた男女の似顔絵が出回り、ナイリーンの叔父はその子どもと行方不明の姪に関係があることを確信したという。しかし残念ながらこれも解明にはほど遠い案件であった。


 そして翌年の1991年、リチャード・ジェームス・ウィルソンという名前の男性が、ナイリーンを殺害したことを自白し、遺体の隠し場所を当局に告げた。しかし、遺体はそこにはなく、彼は自白を撤回、警察も彼は事件には関係していないと見込んでいる。


 さらに奇妙なのは、1998年にオクラホマ州の病院に産気づいて入院した女性のケースもある。病院のスタッフの1人が彼女が成長したナイリーンなのではないかと指摘し、念のため血液検査が行われたが結果は陰性であった。


 テレビ番組の放送によってこうしたさまざまな情報が寄せられることになったのだが、いずれも「ナイリーン・マーシャル失踪事件」の核心をつくものではなかった。こうして謎多き失踪事件は解明の糸口すらつかめない未解決事件として迷宮入りすることになる。この事件をフィーチャーした「Mysterious Universe」の記事は、残念ながらおそらく永遠に解明されることはないだろうと結んでいる。


 ナイリーンがどこかで生きているとすれば今年で42歳となる。もし別人として生きているのであれば今さら自ら名乗り出ることはなさそうだが、万が一にも動きが見られればチェックしていきたい。


参考:「Mysterious Universe」「Missoulian」「Wikipedia」ほか

tocana

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