意図を超えてやってくるものを意図的に働きかけるパラドクスとは? シュルレアリスト・瀧口修造が追い求めた「デカルコマニー」

7月17日(日)17時0分 tocana

※画像は、Thinkstockより

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■両次大戦間における日本のシュルレアリスム

 声の小さい人だったという。無名アーティストの個展に現われては、微かな声で感想を述べ、その場を後にする。これが瀧口修造の好んだ活動のスタイルだった。もともと詩人として出発し、その後はアンドレ・ブルトン(自動記述で有名なフランス人シュルレアリスト)の本や活動をさかんに翻訳・紹介したが、自身も数々の作品(後述するデカルコマニー等)を残したので、美術批評家や詩人という前に、ひとりのシュルレアリストだったといえるかもしれない。

 そんな瀧口修造が、「アヴァンギャルド芸術家クラブ」なるサークルを結成したのは1936年のこと。時代は両次大戦間。日本は急速に戦時色を強めつつあり、月例研究会にはきまって数人の特高刑事が臨席した。そして、ついに1941年3月5日、「警視庁特高刑事三名に寝込みを襲われ」、瀧口修造は8カ月の勾留生活を強いられることになる。

 罪名は「治安維持法違反容疑」で、逮捕の理由は「シュルレアリスム」。パリでルイ・アラゴンらシュルレアリストたちが共産党へ入党したこともあり、共産主義との関わりを疑われたとの説もあるが、ひとことで言えば、当時の日本では「シュルレアリスム=危険思想」と見なされたためだった。その後、東京大空襲で手持ちの資料のほとんどを失うこととなり、戦前、瀧口修造を中心になされようとしていた日本におけるシュルレアリスム受容は、ほぼ失敗という形で収束に向かったのだった。

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■瀧口修造と澁澤龍彦のシュルレアリスム観

 オートマティスム(自動記述)の理論については以前の記事でも触れたが、逮捕当時から晩年に至るまで瀧口修造はおもに、このオートマティスムの側面からシュルレアリスムというものを捉えていたようだ。

 ちなみに澁澤龍彦は、これも以前触れたが、コラージュやアンソロジーという側面からシュルレアリスムを捉えていたようで、この点、瀧口修造のシュルレアリスム観と異なるが、オートマティスムもコラージュもシュルレアリスムの一側面であることには違いない。


■オートマティスムの延長としてのデカルコマニー

 さて、瀧口修造が用いたデカルコマニーという手法は、おもにパリで活動したオスカル・ドミンゲスというアーティストによって発明されたシュルレアリスムの一手法(アンドレ・ブルトンも『シュルレアリスムと絵画』においてこの方法を紹介している)だ。

 デカルコマニーとは、フランス語の「décalguer(転写する)」から派生した言葉で、制作方法は2枚の紙に絵の具をはさみ、押しつぶすという単純なもの。制作者が現れる絵柄をコントロールすることはほぼ不可能で、偶然性が大きく作用するという特徴がある。

 オートマティスム(自動記述)といえば、成果物として詩が残るが、デカルコマニーの場合は絵画が残る。詩と絵画といったようにでき上がるものに違いこそあれ、作者の主観的な操作を避けるという意味では同一の作業であり、瀧口修造もまたその点に着目していたようだ。つまり瀧口修造にとって、詩を書くのも絵を描くのも等しい行為だったと言えるだろう。


■シュルレアリスムとは魚釣りのようなもの

 シュルレアリスムとは結局のところ、意図を越えてやってくるものをどのように捉えるかにかかっている。意図を超えてやってくるものに対して、意図的に働きかけるのだから、これはパラドクス(逆説)に相違ないわけだが、瀧口修造はこれらを踏まえたうえで、シュルレアリスムを魚釣りにたとえ、でき上がった作品については「釣りあげた魚のことを語るようなものだ」という言葉を残している。

 作品制作を魚釣りにたとえる(より正確にはアイディアを魚に例える)シュルレアリスム系のアーティストといえば、映画監督のデヴィッド・リンチが思い浮かぶが、これはまた別の話だ。この作家については回を改めて紹介してみたい。
(文=天川智也)

※画像は、Thinkstockより

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