ガンダムシリーズは何故「人は分かり合える」と言いつつ毎回戦争をするのか

7月22日(木)6時0分 キャリコネニュース

ガンダムとザクの画像

ガンダムの話をしたい。みんなどうせ連休中暑くてすることないから暇でしょ? なので、まあ、お付き合いいただきたい。

今日は、ガンダムシリーズでしばしば語られている「人は分かり合える」というテーマについてのお話。この「分かり合える」がしっくり来るキャラクターは、ガンダムだと大体ニュータイプだ。たとえば初代『機動戦士ガンダム』だと、アムロとララァの2人がすぐに思い浮かぶ。

双方が惹かれ合っているのは、劇中描写を見れば明らか。しかし、アムロは連邦軍のパイロットで、ララァはジオン公国軍MAエルメスのパイロットだし、シャアとも良い仲だ。立場が違い過ぎる。

ところがこの2人は、劇中でも屈指の強い感応力で惹かれ合って、戦いながら精神の会話が成り立つレベル。この"会話"は、かなり美しい描写で描かれ、ビジュアル的にも双方の心の移り変わり、同様も大変分かりやすい。

しかし2人の関係は悲しい終わりを迎える。ララァはシャアをかばってアムロの攻撃を受け、命を落としてしまうのだ。分かり合える。だけど結果的に敵対し、どちらかが命を落としてしまうことは避けられなかった。(文:松本ミゾレ)

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「分かり合えてないじゃん」?


先日、2ちゃんねるに「ガンダムって毎回『人は分かり合える!』とか言って、次の作品で戦争してない?」というスレッドが立っていた。

スレ主は「宇宙世紀毎回これ。分かり合えてないじゃん」とも書き込んでいる。アムロも結局、ララァを倒してしまっている。人が本当に理解し合えるのなら、戦争も起きないはず、という意見も分からないでもない。

僕自身、このスレ主にどう答えていいかわからないんだけど、スレッドには色々な切り口の声が寄せられていた。ちょっといくつか紹介していこう。

「分かり合えたら争わへんってわけやないやん」
「今はまだ分かり合えないけど、それでもいつの日か人が宇宙に適応し分かり合うことを目指し、それでも戦っていくんや」
「分かったって、考え方を変えるわけではないからな」
「分かり合える人より腐敗した連邦や反抗勢力で分かり合えない人達の方が大多数だからね」

こんな具合で、様々な意見がある。

「あなたの来るのが遅すぎたのよ」

考えてみると、アムロとララァが分かり合えたのは、ある意味で最前線の、それもニュータイプの特権みたいなものだった。感受性の高い者同士で直接ぶつかって、刺激を受けて、だから本当の意味で分かり合えたって側面はあるような気がする。

でもそういう人ばかりじゃないのは、まあ当たり前で。たとえば、理解し合ったアムロとララァの2人が「だからもう戦争を止めましょう」と言っても、そう簡単には行かない。前線のパイロット同士の相互理解で終戦となるなら、そんな都合の良い話もない。

ここは現実と一緒だろう。戦争状態の国の双方にだって、きっと友人同士だった者たちはかつて大勢いたことだろうし。

それに、僕らは『機動戦士ガンダム』をどうしても主人公視点で観てしまっているけど、アムロって、ジオン公国からすれば自軍のパイロットたちを大勢死なせてきた悪魔である。その悪魔が、いくらエルメスのパイロットと精神的に感応したといっても、他のジオンの人たちはピンとこないだろう。まして連邦の白い悪魔に撃たれた者の父母の果たして何割が、アムロを許すのか。

アムロとララァの2人は最終的に相互理解をしたが、その理解は一年戦争をどうこうするレベルには至らなかった。ララァも「あなたの来るのが遅すぎたのよ」と言っていたけど、もう少し早い段階でアムロとララァが出会ってさえいれば、殺し合いの渦中で理解し合うという最悪の事態は防げたのかもしれないし、戦争の行方も変わっていたのかもしれない。

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