サバ缶が魚の缶詰の代名詞だったツナ缶を逆転する歴史的背景

7月22日(日)16時0分 NEWSポストセブン

魚の缶詰に歴史あり(写真:アフロ)

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 サバ缶とツナ缶、いずれも多くの人々にとって馴染みの深い缶詰だが、ここ最近の両者は実は対照的な動きをしている。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。


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 かつて「魚の缶詰」と言えばツナ缶だった。しかし近年では、サバ缶がツナ缶の生産量を上回るようになった。まぐろ・かつお類のツナ缶は2008年から2017年の10年間で4万5561トンから3万3945トンへと25%以上減った。一方のサバ缶は2008年の2万5401トンから2017年に3万8977トンへと5割以上も増えた。単年度の逆転劇ではない。政権交代は何年もかけてじわじわと行われてきた。なぜ不動とも思われたツナ缶政権は、サバ缶に取って代わられたのだろうか。


 流通関係者に話を聞いても、明確な理由は判然としない。それはそうだ。ヒット商品は売る側の事情ではなく、買う側の気分で生まれる。その「気分」をあの手この手でくすぐろうとするのが、売り場を含めたPR施策やさまざまな広告であり、そうした手法を用いても買い手の気分を完全にコントロールすることなどできないからだ。


 ただし、あちこちで話を聞くと「この数年、サバ缶がメディアで取り上げられることが増えた」と口をそろえる。隔世の感がある。


 以前、サバ缶のメディア露出について明治時代にまでさかのぼって調べたことがある。もともとサバ缶は記事掲載とは無縁だった。大正や昭和の頃、たまに「美味・滋養・廉価」というキャッチコピーで「さばの罐詰」の広告が紙面を賑やかす程度だった。そもそもサバは大衆魚であり、缶詰も保存食。読者が求めるごちそう感とはほど遠い。


 昭和の頃は紙面で見かけることはほとんどなく、第二次大戦前の新聞広告や戦中の配給情報までさかのぼって、ようやく目にするくらい。戦後も、少しは増えたとはいえ、最近までは、「さばの缶詰」が紙面に登場するのは年に1度あるかないかという程度だった。だが2011年以降、サバ缶は急激にメディアに取り上げられるようになる。


 契機は、東日本大震災だった。震災による津波で宮城県石巻市の水産加工会社「木の屋石巻水産」の工場などが全壊。がれきと泥の中から数万缶の缶詰を掘り起こした。そこに缶詰のファンで、店でもこの缶詰を仕入れいた東京・経堂の居酒屋「さばのゆ」の店主が協力を申し出た。泥まみれだった缶詰をボランティアがひとつずつタワシで洗った。ラベルのない缶詰を店頭に並べ、1缶あたり300円の寄付金を募って支援金に充てた──。


 後に「さばのゆ」店主の須田泰成さんが『蘇るサバ缶』(廣済堂出版)という一冊の本にまとめることになるのだが、この石巻と経堂の交流が新聞やテレビで一気に取り上げられ、世の中に「サバ缶」への好意が膨らんでいった。


 露出が増えれば、興味の矛先は広がり、メディアも違う切り口を考えるようになる。



 例えば「ツナ缶より価格は安く、内容量は多い」、「栄養豊富で体にもいい」、「新味のサバ缶や高級サバ缶などバリエーションも増えた」などといった大小の企画がメディアで取り上げられるようになった。


 魚缶の代名詞だったツナ缶と違って新味もあり、サバ缶ファンの活動も取り上げられるようになった。2000年頃、作家の島田雅彦がトルコ名物としてコラムでさらりと触れる程度だった「サバサンド」は震災以降、年に何回も紙面に登場するようになり、いまやサバ料理の定番入りをしそうな勢いだ。


 空前の売上に沸く「サバ缶」ブーム。今年、「さば缶」「水煮缶」関連のレシピ本はすでに10冊以上発売されている。漁業資源としてサバは一定の管理がされているとはいえ、漁業のあり方含めて課題は山積みだ。サバ缶というアイテムが食卓の認知を得たいま、単に消費するだけでなく、サバという漁業資源とどう向き合うか。それはいま目の前にあるサバ缶をどう食べるかと同じくらいに大きな課題である。

NEWSポストセブン

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