日中の血を受け継ぐ著者が中国に抱く無念【関川夏央氏書評】

7月22日(月)7時0分 NEWSポストセブン

『戦争前夜 魯迅、蒋介石の愛した日本』/譚ロ美(ロは王へんに路)・著

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【書評】『戦争前夜 魯迅、蒋介石の愛した日本』/譚ロ美(ロは王へんに路)・著/新潮社/2300円+税

【評者】関川夏央(作家)


 魯迅(本名周樹人)は一九〇二(明治三十五)年春、二十歳で日本留学した。この年の清国人留学生は六百人にすぎなかったが、日露戦争翌年の〇六年には一万二千人に達した。うち東京に八千六百人、東京市人口の二百人に一人が留学生であった。十八歳の蒋介石はその一人で、陸軍の養成学校に入学して陸軍士官学校をめざした。


 中国人留学生は現代も多いが、明治末期のそれはほとんど全員が「革命家」であった。戊戌の政変で亡命してきた康有為、梁啓超、革命蜂起に失敗をくりかえした孫文を先達に、章炳麟、許寿裳、黄興、張群、宋教仁、陶成章、陳独秀、汪兆銘、李大ショウ、李漢俊、少し遅れて周恩来。留学生だけで辛亥革命と内戦期の中心的人物を網羅できる。中国革命は明治東京で始まったのである。


 清国留学生の多さに辟易して東京を去り、仙台医専に学んだ魯迅が一年半で退学したのは、中国人の精神改造には文学の方が有効だと考えたからだが、また同時に、寒くて寂しい仙台に耐え得ず、にぎやかでモダンな大都市東京が恋しかったからでもあった。


 このように多くの中国人青年を育てた明治東京だが、中日関係は一九一五(大正四)年「対華二十一か条の要求」で暗転し、済南事件、上海事変を経て「戦争前夜」に至る。そうして、ふたりの浙江人留学生、魯迅と蒋介石の歩む道も遠く隔てられて行く。著者譚ロ美の父も日本に亡命した人であった。早大で学び、のち国民政府外交部で働き日本に定着した。母方は日本陸軍の将官であった。


 両者の血を受けついで現在アメリカに住む彼女は、住民監視を徹底する中国共産党の一党独裁以外に、かつての亡命者・留学生が遠望したような「政治が生活の一部に過ぎない社会」を作り上げるという選択肢はなかったのかと考える。彼女の無念の思いは、この本にあらわれた明治東京への強い郷愁とともに私たちの心を打つ。


※週刊ポスト2019年8月2日号


戦争前夜:魯迅、蒋介石の愛した日本

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