年金も生活保護も「偏差値60」を前提にした仕組み——橘 玲インタビュー【その2】

7月28日(日)6時20分 週プレNEWS

〈PIAACのデータが示すのは、「話せばわかる」「読んでもらえばわかる」というのはそもそも幻想ではないかという深刻な懸念です〉(Part0「『偏差値60』を平均とする社会」より)

〈ほんとうのことを否定してもろくなことにはなりません。自助努力を放棄して国に頼るだけでは、「安心」な老後は手に入らないでしょう〉(Part4「令和の日本の選択」より)

......など、身もフタもない「事実(ファクト)」が満載の新著『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社)を上梓した作家の橘 玲(たちばな・あきら)氏。ベストセラー『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』(共に新潮新書)でも話題となったエビデンスベースの"不都合な事実"をもとに、複雑で残酷な現代社会のタブーに切り込んでいる。

第1回「なぜ『言ってはいけない』ことを書き続けるのか?」に続く刊行記念インタビュー第2回、テーマは「目を背けたい『政治』と『年金』のファクト」だ。

* * *

——『事実vs本能』では、国際的な知的能力調査「PIAAC(ピアック)」の結果を詳しく分析しています。そこで明らかになったのは、現代の高度な知識社会に適応できない人たちがたくさんいるという"不都合な事実(ファクト)"。これによってデモクラシー(民主政)の根底が崩れるとも書かれていますが、その理由はなんでしょうか?

 もともとデモクラシーというのは、すべての有権者が政治家や政党のさまざまな主張を完全に理解し、自分が求める「よりよい社会」を実現するためにどの候補者や政党に政治を任せたらいちばんいいかを合理的に判断し、投票するという前提でつくられた仕組みです。でも現実には、そうした「政治リテラシー」をもたない人がものすごくたくさんいるとしたら、知識幻想、教育幻想でなんとか成り立っていたリベラルデモクラシー(自由主義的民主政)の底が抜けてしまう。

欧米や日本のような先進国では、「労働者か資本家か」という単純な善悪二元論ではもはや社会を理解できなくなり、まともに解決できる政治的問題の大半はすでに解決されていて、残っているのは解決できないか、あるいは解決策があってもそれを実行することが事実上不可能に近いような問題ばかりですから。

トランプ米大統領は支持者の「本能」に訴えている?
トランプ米大統領は支持者の「本能」に訴えている?

——つまり、今の社会が直面しているような難しい政策的課題に関しては、「国民的議論」というようなもの自体が成立しないと?

 アメリカのトランプ大統領や、こんどイギリス首相になったボリス・ジョンソンは、そのことをはっきり自覚したうえで行動していますよね。

正しいことや難しいことを「事実(エビデンス)」にもとづいて議論するより、感情という「本能」に訴えることで獲得できる票のほうがはるかに多くて、それをうまく利用すれば超大国の権力のトップに立つことだってできる。ポピュリズムの効果が可視化されたというのは、恐ろしいことです。

PIAACが示した「人間の認知能力には限界がある」という事実は、単純に「興味深い話題だね」というレベルの話ではなく、いま世界で起きているさまざまなこととつながっていると思います。

金融庁「老後2000万円」報告書を受け、「年金払えデモ」も起きた
金融庁「老後2000万円」報告書を受け、「年金払えデモ」も起きた

——また、投票行動のみならず、社会を支えるシステムに関しても同じ問題を抱えていると書かれています。

 年金にしても生活保護にしても、行政サービスなどの社会システムは、「みんなが偏差値60程度(上位2割)の認知能力を持っている」ことを前提としてつくられています。大学でいうとMARCH(明治、青学、立教、中央、法政)とか関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)のレベルで、冷静に考えるとそれが平均のはずはないんですが、なぜそうなるかというと、ひとつは社会の中心にいる人たちがみんな優秀で、周りにも同じレベルの人しかいないからでしょう。

公立小学校や公立中学を思い出せば「そんなわけないよね」とわかると思うのですが、高校から能力別に分かれてしまうので、周りに似たような学力≒知能の人しかいなくなって、無意識のうちに「標準」が大きく上がってしまうんですね。

社会はますます複雑化して行政手続きも難しくなっていきますが、世の中には「新しいことを覚えたくない」「難しいことを考えたくない」という人が一定数いる。みんなそのことはなんとなくわかっているのかもしれないけれど、実はその「一定数」がものすごく増えていて、社会のいろんなところに亀裂が走り、矛盾が噴出しているんじゃないか思います。

——「日本人のおよそ3分の1はまともに日本語の文章を読めない」「日本人の3分の1以上は小学4年生以下の数的思考力しかない」といったPIAACの結果が、それを示しているということですね。

 例えば生活保護を受給しようと思えば、自治体の担当者に電話で問い合わせたり、専門家のアドバイスや申請者の体験談などを読んだりして、自分で制度を理解して申請しないとならないわけですよね。だけど現実には、かなりの理解力(知性)がないと行政が要求する文書を個人で作成することはできない。その結果、行政サービスが必要な人ほど行政システムから脱落してしまう。

これは別にいやがらせしているわけではなく、社会が複雑化するにしたがってさまざまな利害が対立するから、どこからも文句が出ないようにつぎはぎしていくと、結果的に誰も理解できないような異様で複雑怪奇なものになっていくんですね。

実際には、生活保護を自力で申請する人はあまりいなくて、NPO団体とか医療機関のスタッフが同席して、代わりに手続きしているようです。これを善意でやっていればいいのですが、金儲けのために制度を利用すると「貧困ビジネス」になる。制度が複雑になればなるほど、貧しい人は行政サービスから排除され、そのバグをうまく見つけられる人がものすごく得をするというのは大きな矛盾です。

そういえば最近、若い人から、「何年も確定申告していなかったら怒られた」とか「ずっと健康保険料を払ってなくて、払わなくても健康保険証をくれると思ってた」という話を聞きました。どちらも大学を出て、フリーでライターの仕事をしているのだから、社会的には「知識層」です。

だからこれは単に「知能」の問題ではなくて、高い知能をもっていても事務的な作業がまったくできない、という人はかなりいます。「貧しいから払えない」とか、「税金(保険料)なんか払わない」という明確な理由があるわけではなく、「払わなきゃいけないとわかってはいるんだけど、どうしたらいいかわからない」という人が、実はものすごくたくさんいる。

こういう面倒な手続きを会社が代行しているから、これまで日本社会はなんとかやってこれたけど、それをみんなが全部自分でやらなければならなくなったら、たぶん社会が回らなくなる。市民のリテラシーは、行政が想定するレベルには達していないんです。

その意味で、源泉徴収と年末調整でサラリーマンから税や社会保険料を強制徴収する仕組みはとてもよくできていて、老後に無年金になって困窮する人たちを大きく減らしたことは間違いありません。しかしその結果、どんどん保険料を引き上げて高齢化による財源の不足を穴埋めするようになったわけですけど。

人間の認知的限界に対して、行動経済学などの知見を使ってみんながなるべく合理的に行動できるように(勝手に)背中を押してあげよう、というのが「ナッジ」と呼ばれる政策手法です。私はこれをとても誠実な態度だと思いますが、こういうリバタリアン・パターナリズム(自由主義者のおせっかい)はアメリカですらあまり人気がないんですね(苦笑)。世の中には、9回裏逆転満塁ホームランみたいなことを求めている人がたくさんいますから。

リバタリアン・パターナリズムが「設計主義」の極右だとすれば、正反対の極左はすべての人に生存権(健康で文化的な最低限度の生活)を保証するユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)でしょう。私は制度的にUBIはうまくいかないと思っていますが、ナッジはあくまでも対症療法でしかなく、世界から貧困をなくすことはできないのですから、理想主義者が不満をもつのはよくわかります。

その先には、AI(人工知能)で社会を最適設計すればいいというテッキー(技術至上主義者)がいます。PIAACが示すように、人間の認知能力には限界があるんだから、クルマの運転をAIに任せるのと同じように社会設計や政治的選択もAIにやらせればいいと本気で考えているサイバーリバタリアンがシリコンバレーにはたくさんいます。目指すべきは「国民の効用を全体として最大化する功利的社会システム」であって、「みんなで決める」ことに価値はない、というわけです。

——年金といえば、金融庁の「2000万円報告書」以来、橘さんはしばしば年金問題についてツイートされていますよね。

 私はデモで意思表示することに反対ではないんですが、「年金払えデモ」って参加者の利害が一致しているわけじゃないですよね。すでに年金をもらっている高齢者は「自分の年金を守れ」だろうし、年金保険料を払っている現役世代は「高齢者の年金を減らせ」になるはずだし、サラリーマンなら「(不利な)厚生年金から脱退させろ」というのが正しい主張でしょう。そんな利害関係が異なる人たちがいっしょに集まって、「年金払え」って国家に要求するのはかなり違和感があります。

あと、「国民年金が少ない」という人がよくいますが、そもそも国民年金は保険料が安いのだから受給額が少ないのは当たり前です。支払った保険料に対してどれだけ給付があるかを見ると、国民年金自体は厚生年金よりずっと得です。だから、弁護士や開業医のような富裕な国民年金加入者は、国民年金基金やiDeCo(個人型確定拠出年金)を利用して豊かな老後を実現しています。

日本の年金制度がサラリーマンや現役世代(若者)にとって理不尽な仕組みなのは間違いないので、それを批判してデモをするのはいいんですが、実際はデモに参加しているほとんどの人が年金制度を正しく理解していなくて、何に怒っているのかよくわからないまま怒っている。政治に対して抗議するなら、ちゃんとシステムを理解しておきましょう、ということです。

●橘 玲(たちばな・あきら) 
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が累計30万部超、『言ってはいけない』(新潮新書)が50万部超のベストセラーになる。近著に『もっと言ってはいけない』(新潮新書)、『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)など

■『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』
(集英社 1400円+税) 
年金問題の本質は? 教育無償化は正しい? 日本人は本当に右傾化している? 人気作家・橘 玲が、複雑で残酷な現代社会のタブーに次々とメスを入れる週刊プレイボーイ人気連載の書籍化第4弾。シリーズ先行作『不愉快なことには理由がある』『バカが多いのには理由がある』『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社文庫)も好評発売中

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