オウム元死刑囚の執行から1年 何もかも消えた「サティアン」跡地を歩く

2019年7月30日(火)6時0分 Jタウンネット

地下鉄サリン事件、坂本弁護士一家殺人事件、松本サリン事件——数々の凶悪犯罪を起こし、日本中を震撼させた「オウム真理教」。教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚らの死刑執行から1年が経った2019年7月27日、筆者は山梨・富士河口湖町にある「富士ケ嶺公園」を訪れた。


この公園はかつてオウム真理教の宗教施設「サティアン」があった場所の跡地だ。


あの日と同じ霧に包まれた


筆者がこの場所を訪れたのは全くの偶然だ。静岡・富士市から河口湖ステラシアターで行われるコンサートに向かうため、国道139号線から県道71号線に入ってしばらく経ってからだった。濃霧でスピードをかなり抑えて運転していると道端の看板のある地名が目に入った。


「上九一色村」



運転中のため何の看板かは忘れてしまったが、それを見た瞬間にサティアンの跡地が近くにあるのではないかと思った。


助手席にいた友人に調べてもらうと、近くにある公園が跡地だとわかった。濃い霧で視界が悪い中、県道から外れた公園に向かった。


悪天候のせいなのか、すれ違った車は1台だけ。公園には当然、筆者とその友人以外は誰もいなかった。


本来であれば雄大な富士山がここから見えてもおかしくないのだが、霧が邪魔になって山のある方向すらわからない。


小雨が降る無人の公園。信じられなかったが、かつてここにサティアンがあった。


この公園があるのは「第一上九」と呼ばれ、第2、3、5サティアンがあった。そこが整備されて誕生したのが、この場所だ。


後日、知ったことだが、麻原元死刑囚らが逮捕された1995年5月16日も上九一色村は霧に包まれていたという。大勢の捜査員やマスコミがいた以外はほとんど日本中の視線が一気にそそがれた日と同じ状況だったのかもしれない。


駐車場から少し進むと奥に慰霊碑が見えてきた。ここがかつて何であったのかを考えると、オウム真理教の一連の事件に関係する慰霊碑と考えられる。しかし、石碑のどこを見ても「オウム」の文字はない。


18年12月16日の朝日新聞デジタルの記事によると、住民の感情を考慮して、オウムの文字がない碑になったそうだ。


高さ1メートルほどの大きさだが、訪れた者に伝わる重みは計り知れない。


また、一説によると慰霊碑があった場所は第2サティアンのマイクロ波焼却炉が置かれていたところだという。


雨風が強くなってきたのを機にここを去った。体感としては写真以上に視界が悪く、周囲の状況が全く見えなかったが、後日調べると、晴れていると放牧されている牛の姿や富士山の大パノラマも見えるという。


現地で当時を伝える貴重な場所。あんな惨事を絶対に起こしてはならない、だから忘れないで欲しい。誰に言われたわけでもないが、そう訴えられている気がした。

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