母とおでんの思い出 〜愛されたくて、逃れたかったあの頃の私へ〜

8月2日(金)17時0分 Rettyグルメニュース

美人で聡明な母は、私の自慢だ。


けれど、思春期から20代半ばまで、母との関係はかなり拗れていた。関係を健全で良好なものにするまで10年以上かかったし、何度も衝突してそのたびに涙を流した。


私は母が大好きで大嫌いで、母に愛されたくて、母から逃れたかった。


静岡おでんの店を予約した理由は、母に食べさせたかったから


札幌で暮らす両親が、私の住む町田に来た。


父は用事で上京したときに会っているけど、母と会うのは1年ぶりだ。


父は71歳、母は66歳。


ふたりとも実年齢より若く見えるし、とても元気だけど、久しぶりに会うと「ずいぶん年をとったなぁ」と思う。


両親を自宅に招いてお茶をしてから、近所を散歩した。








母に話したいことがたくさんあったはずなのに、いざ会ったら思い出せない。


このへんの鳩ってキジバトなのね。大通公園のドバトより可愛いわ


「そうなんだ。違いがわかんないけど」


結局、そんな他愛もない話ばかりして歩いた。








夕方、夫も交えて予約していたお店に両親と行った。『がみや一丁目』という静岡おでんのお店だ。


小田急の町田駅から歩くこと7分。繁華街から少し離れた穏やかな通りに、そのお店はある。訪れるのは初めてだ。


以前からお店の前を通るたびに、窓越しから見える雰囲気のよさそうな店内が気になっていた。








私は、静岡おでんを食べたことがない。母もきっとないだろう。


仕事の付き合いで外食することがあった父と違い、専業主婦の母はあまり外食をしてこなかった。祖父が半身麻痺だったため、家族そろっての外出が難しかったのだ。私も、幼少期はほとんど外食せずに育っている。


子供たちが独立し、祖父と祖母を看取ってから、やっと母は自由に外食できるようになった。


しかし、母は「あのお店に行ってみたい!」と言うわりに、自分からは行こうとしない。いわく「だって機会がないんだもの」だそう。


私もそうだからよくわかるのだけど、自分から機会を作る行動力がないのだ。


だから、私が機会を作ってあげたい。母がまだ食べたことのないものを食べさせてあげたい。


そう思ってこのお店を選んだ。


静岡おでんと、母のおでんの思い出








店内は落ち着いた雰囲気だった。ほどよくアットホームだけど騒がしくはない。


価格もちょうどいい。安いチェーンの居酒屋よりは少しお値段が張るけど、手が出ないというほどではないので、両親を連れてくるのにぴったりだった。


雰囲気のいいお店ねぇ


母は上機嫌だ。お店が気に入ったのもあるし、1年ぶりに娘夫婦と食事するのが嬉しいのだろう。マイペースな父は、日ハムの試合のゆくえを気にしていた。








ネットで「モツ焼きが美味しい」という評判を目にしていたのだけど、メニューに見当たらない。


夫が店員さんに聞いたところ、「今はお休みしてるんです」とのこと。


残念だけど、またの機会にとっておこう。








おでんは、お出汁がしっかり染みていた。おでんの上品な美味しさに、たっぷりかかった鰹節が程よいジャンクさを添えている。


そういえば、母が作るおでんは一般的なものとは少し違っていた。


まず具から違う。たまご・大根・こんにゃくあたりのレギュラーメンバーはいたけど、練り物はちくわ・がんもくらい。はんぺんやちくわぶ、もち巾着はない。


そしてなぜか、ふきとたけのこが入っている。ちなみに北海道で言う「たけのこ」は、アスパラくらいの太さの根曲がり竹で、本州のたけのことは違う。


母のおでんは、それらが醤油味で煮付けてある。汁気はなく、おでんというよりほぼ煮物だ。


私は大人になるまでずっと、それが「おでん」だと思っていた。








モツ煮も美味しい。








こちらは、おばんざい四種盛り。


どれも丁寧に作っているのがわかる味だ。


枝豆は塩茹でじゃなくて浅漬けで、夫が気に入ってパクパク食べていた。








写真を撮り忘れたけど、揚げたてのアジフライも美味しかった。


こんなに美味しいアジフライ、はじめて食べるわ


と、母が言う。


大げさだなぁと思ったけど、たしかに私も実家でアジフライを食べた記憶がない。


だって、北海道はあまりアジが売ってないもの。アジの開きなら少しはあるけど、新鮮なのはほとんど見ないのよ


母は、北海道以外の土地で暮らしたことがない。北海道を離れて久しい私とは、見てきたもの、食べてきたものがずいぶん違うことを実感した。


「大丈夫なの?」よりも「あなたなら大丈夫!」と言われるようになった


私が幼い頃、母は情緒不安定だった。


母の機嫌が悪くなると、私は嫌われたくない一心で良い子を演じ、嵐が去るのをじっと待った。


当時の母はおそらく“介護うつ”だったのだけど、誰もそのことに気づけなかった。母自身でさえも。


私が18歳のときに祖父が天寿をまっとうし、介護を終えた母は少しずつ元気になった。そうなってはじめて、「私って介護うつだったんだわ」と気づいたらしい。








しかし、母が元気になったときにはすでに、私が心の調子を崩していた。中2から学校に行けず、精神科に通院していたのだ。


母は私を心配するあまり、過干渉になった。もともと口うるさい人だったけど、ますます支配的になり、私はそれに反発した。


私は、自分の生きづらさを母のせいにしていた。


「お母さんの顔色を伺ってばかりいたから、こんなに生きづらくなったんだ」と。








10年以上もの間、私たちは何度も衝突し、そのたびに話し合いを重ねた。相手を変えたいわけではない。ただ、伝えることを諦めたくなかったのだ。


母はだんだんと、娘が自分とは違う価値観を持つことを理解し、私の意思を尊重してくれるようになった。


ようやく関係が修復された頃、私は結婚して家を出た。








私の結婚を機に、母は変わった。


私のやることにいちいち眉を顰めて「そんなことして大丈夫なの?」と言っていた母は、笑顔で「あなたなら大丈夫」と言ってくれるようになったのだ。


南米を放浪しても、仕事を辞めてライターになると言っても、口出しせずに遠くから見守ってくれる。母いわく、私との関係で学び、変わったらしい。








2年前、33歳の誕生日に母から手紙が届いた。


長い手紙の最後はこう締めくくられていた。


あなたは私の誇りです。あなたは33年かけて優しい人になりました。あとは、同じだけの時間をかけて強い人になりなさい


キッチンで立ったまま手紙を読んでいた私は、気づけば床にうずくまって泣いていた。


66歳までにはきっと、強い人になれると思う。だって、私は母の娘だから。









ライター紹介




吉玉サキ
吉玉サキ


北アルプスの山小屋で10年間勤務したのち、2018年からライターとして活動。不登校、精神疾患、バックパッカー旅、季節労働など、自身の経験を生かしたエッセイやコラムを書いている。好きな食べものはおにぎり。



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