埼玉県熊谷市「かき氷の聖地」が一年中ファンを魅了する仕掛け

8月3日(土)7時0分 NEWSポストセブン

「慈げん」のかき氷がファンを魅了し続けるワケは(ザ・りんご)

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 多くのかき氷好きたちに「最高峰」「聖地」と呼ばれ、「一度は行ってみたい店」と賞賛されている店が埼玉県熊谷市にある。その店の名は、「かき氷屋慈げん」。店主の宇田川和孝氏は「かき氷界の神」「かき氷の人間国宝」と称され、ライバルであるはずの同業のかき氷店店主からも「かき氷店は年に一度、慈げんしか行かない」と言わせしめる。実際、同店では、10時の開店前に一日の整理券を配り終わってしまうことも少なくない。冬場でも客足は途絶えず、遠方の客は前泊して整理券を争奪する人もいるという。


 かき氷を愛する人たちがなぜこれほど熱狂し、押し寄せるのか。他の店にはない慈げんのこだわりについては、宇田川氏の著書『真夏も雪の日もかき氷おかわり!』に詳しい。以下、同書の中の宇田川氏の言葉を紐解きつつ、「かき氷の聖地」の秘密に迫る。


◆特にかき氷好きだったわけではない


 宇田川氏は2000年に慈げんを開業。当初は、「フライ」というお好み焼きに似た、熊谷の郷土料理を出す店として始まった。店の転機は6年目にやってきた。宇田川氏は次のように語っている。


「熊谷市が、暑い夏のクールダウン対策のひとつとして、『雪くま』というプロジェクトを始めたのが2006年のこと。発足に合わせて、行政の若手の方から声をかけていただき、「雪くまのれん会」の会長を引き受けることになりました。『雪くま』は、熊谷の水からできた氷を使い、ふわふわと雪のように柔らかく削ったかき氷。雪くまに参画する店舗は、さらに各店オリジナルのシロップを使うことが条件でした」(宇田川氏・以下同)


 宇田川氏が大切にしたのは「熊谷らしさをどう表現するか」ということ。熊谷には「日本さくらの名所100選」に選ばれた長さ2kmにわたる桜堤がある。それをかき氷で表現できないかと試作をはじめる。


「頭に浮かんだのは、氷の中に透けるような桜の花びらが、ふんわりと舞っている絵でした。実際に咲く桜は薄いピンク色で透明感があって、そして凛としているもの」


 そのとき作ったさくらなどのかき氷が評判をよび、すぐに行列ができるようになった。翌年からは一年中、冬もかき氷を提供。2011年にかき氷専業店になった。驚くべきことに、宇田川氏は特にかき氷好きだったわけではない。それどころか甘い物は苦手でほとんど食べないのだという。


◆メニューを見ただけでは味の想像ができない


 整理券の時間に店に入ると、左側に大きなボードがあり、たくさんのメニューが貼ってある。この店では、着席前に注文するかき氷を決め、精算を済ませる。慈げんのかき氷は、「毎日15種類40通り以上」を用意している。


「『どうしてそんなに?』と思うかもしれませんが、お客さんにわくわくしながら、好みの一品を見つけて欲しい。好みはひとりひとり違うから、本当はひとりひとりの味覚に合わせることが理想。それはできないので、甘いのからすっぱいの・苦味のあるもの、さっぱりしたものからこってり系まで、幅を広げてメニューを用意しておくのです」


 通常、かき氷のメニューは「かき氷を食べたい人が食べる」という前提で作られている。しかし、宇田川氏は自身が甘い物が苦手なこともあり、どんな人でも満足できるかき氷を提供したいと考えている。


 メロンをとっても、なん通りもの食べ方がある。ある日の「メロン」は「ザ・メロン」「ミルクにメロン」「ミルクにメロンの実」という3種類。「ザ」というのは和三盆蜜を使用し、素材のおいしさを最大にいかしたかき氷。「メロン好きの客」とひとくくりにせず、いろいろな客に合わせて好みの幅に寄り添う提案をしている。


 さらに「もも」「すいか」「パイン」「あんず」「すもも」という夏の果物に加え、「抹茶」「ミルク」といった定番の味、「ラムレーズン」「パルミジャーノレッジャーノ」「焼きパイン」「じゃがいも」といった、一見かき氷にはふさわしくないと思われるメニューまで並んでいる。


 いまは常連となった客たちは、はじめて慈げんを訪問したときの感想を「メニューを見ただけでは、どんな味なのか想像できない」「かき氷の概念がかわった」という。


「もし店が都心の一等地なら、または大きなチェーン展開の店なら、いくつかの特徴的なメニューに絞って、それを目当てに来てもらうという方法が成立するでしょう。けれど、熊谷まで来てもらうには、一品ずつに『少し角がある』くらいがちょうどいいのです」


 追加注文ができない上に、遠方から来ている客も多く、ほとんどの客がふたりで3杯など、2杯以上注文する。多くのメニューが一期一会で、そのときに頼まなければ2度と出会えない。いままでに提供されたメニューは1000種類を超える。


「同じようなメニューが1週間、2週間と続くと、今度は自分自身が悶々としてしまいます。なんだか停滞しているみたいで、違うことをしたくなるのです」


◆どんな人も満足させるかき氷の仕掛け


 宇田川氏の仕事は、かき氷を提供してそれで終わりではない。客の様子を観察し、しかめっ面をするお客さんなどには、時間をおいて質問し、結果をスタッフと共有する。


「食べきれなかったお客さんには小さめに、甘すぎたという方ならシロップを替えてみる。それで気に入ってくれたら、二度目・三度目に来たときも、同じように好みを調整してお出しします。また、ひとさじ目を食べるとき、出したスプーンを左手に持ち変える人は、2杯目から左利き用に配置して出します」


 このような細かな配慮が行なわれているため、隣と同じかき氷を頼んでいても、人によってひそかに味の調節が行われている。甘い物ぎらいや、つきあいで来た人たちも満足させるべく、工夫を重ねているのだ。


「なん杯食べた人でも、帰るときにもう一度、壁のメニューを眺めます。『あっちも食べたかったな』『こっちも気になる…』という顔をしながら、メニューの写真を撮って帰るところまでが、楽しい時間。さらに、家に着くまで、次にお店に来るまで、ずっとわくわくが続いていたら、こっちもうれしいものです。


 たいていは翌週くらいにまた戻って来てくれます。そうすると、前回なかったものが出ていて、また迷わせてしまう。何度来ても、その繰り返し。飽きるどころか、来るたびに食べたいものをガマンさせることになります」


 宇田川氏の著書では、ほかにも、新メニューの作り方、12月に一番売り上げが多い理由、1杯のかき氷を食べやすくするための仕掛け、秘伝のレシピ……など、慈げんのすべてを惜しみなく公開している。宇田川氏の言葉だけでなく、常連客や仕事相手、同業者など、120人以上の人への多面的な取材により「一度は行ってみたい店」とはどういう店なのかを鮮やかに描写。


 同書を作ろうと思ったきっかけについて宇田川氏は、「他店かき氷屋店主たちが修業をしたり、話を聞きにきてくれたりすることがよくある。還暦を目の前にして、いまがタイミングだと思い、本の形で残しておくことを考えた」という。人の楽しませ方や、仕事に対する姿勢など、冷たいかき氷の熱い話には、ビジネスや人生のヒントが限りなく詰まっていると言えるだろう。

NEWSポストセブン

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