【名馬伝説】日本最大の競馬ブームを牽引したオグリキャップ、公営競馬の刺客が魅せた、血統だけではわからない魅力

2024年8月10日(土)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

昭和歌謡研究家・堀井六郎氏はスポーツライターとしての顔もあります。とくに競馬は1970年から今日まで、名馬の名勝負を見つめ続けてきました。堀井氏が語る名馬伝説の連載です。


公営競馬の英雄が競馬人気をもたらした

 日本競馬には国が主催する中央競馬(JRA)と都道府県の地方自治体が主催する公営の地方競馬という2つの舞台があります。

 プロ野球に例えると、中央競馬は東京ドームなどで多くの観客に囲まれて開催される一軍の公式戦、地方競馬は野球の二軍戦といった感じでしょうか。中央と公営、それぞれ別の楽しさがあるのも競馬の魅力の一つです。

 また、同じ公営競馬でも、かつてハイセイコーが所属していた大井競馬場とオグリキャップの地元だった岐阜・笠松競馬場では雰囲気がかなり異なります。

 オグリキャップ全盛時、名古屋に出張で出かけた際、少し足を延ばして笠松競馬場を訪ねたことがありました。当日は競馬を開催していなかったので閑散としていて、のどかな雰囲気の中、内馬場では職員たちでしょうか、バレーボールに興じていました。

 ハイセイコーとオグリキャップは年齢の差が15年ほどありますが、あらためて血統的に検証してみると、血筋ではハイセイコーのほうに軍配が上がるでしょう。

 ハイセイコーの父・チャイナロックは、当時すでに中央競馬でタケシバオーやアカネテンリュウといったスターホースを数多く輩出、時代を代表する種牡馬となっていました。マスコミ報道の「野武士」のイメージとは裏腹に、実はハイセイコーは公営競馬の中でかなりのエリートさんだったわけです。母・ハイユウも大井中心に公営競馬で16勝の勝鞍があるほどの実力馬でした。


血統だけではわからない競馬の魅力

 一方、オグリキャップの父・ダンシングキャップは英国での現役生活で際立った成績を残しておらず、種牡馬として日本に輸入されて以後も大きなレースに勝利する馬がほとんど出ていない、印象度の低い父馬でした。母・ホワイトナルビーには公営8戦4勝という記録が残っています。

 中央の舞台ではたして勝ち続けることができるのか、期待ばかりでなく若干懐疑的な意見もありましたが、移籍初戦の「ペガサスステークス」を難なく勝つと、その後、重賞レースを6連勝、不安は大きな期待へと変わり同世代でオグリに敵う馬はいなくなりました。

 オグリキャップがエリート揃いの中央の馬に勝ち続けている理由は何なのか。「強い馬が強い馬を生む」というサラブレッドの血統鉄則から考えると強さの秘密は解明できず、答えに詰まった挙句、「突然変異で誕生した馬」と結論付ける関係者も出てくるほどでした。

 実は、ここが競馬の面白いところであり、魅力でもあるのですね。予想に絶対がないのと同じです。

 当時、競走馬の血統に興味を抱いていた私は、オグリキャップの母ホワイトナルビーを5代遡ったところにマンノウォーという1920年前後に活躍し、米国史上最強馬といわれた怪物がいたことを見つけ、マンノウォーの再来ではないか、と雑誌のコラムに記したことがありました(少し自慢)。

 公営時代のオグリは8か月の間に12レース出走し約2300万円の賞金を獲得、中央移籍後は3年間で20レースに出走し、当時としては史上最多の約8億9000万円を獲得しています。ほんとうに働き者でした。私は史上最高の馬主孝行だと思っています。


ラストランの奇跡と感動のオグリコール

 オグリキャップのラストランとなった平成2年(1990)の有馬記念に押し寄せたファンの数は、中山競馬場としては史上最高の17万7779人でした。

 勝利から遠ざかっていたオグリキャップのこのときの単勝馬券は4番人気で、勝利を期待するファンは以前ほど多くありませんでしたが、予想に反し、先頭でゴールを駆け抜けるオグリの姿にファンは大興奮!

「奇跡」といわれた勝利の瞬間、鞍上の武豊騎手(当時21歳)が左手を挙げてファンに応えていますが、フジテレビの実況は「右手」とアナウンス、見ている人の誰もが興奮状態に陥っていたのです。

 ここ数年はコロナ禍にあって入場者制限があり、東京競馬場ですら2023年の平均入場者数はおよそ3万人という数字でした。

 オグリキャップのラストランに駆け付けたファンの数がいかに衝撃的であり、17万の怒号のような「オグリ」コールが歴史に残る現象だったことがおわかりになるかと思います。

 今振り返れば、日本の競馬史上最大のブームを牽引したオグリキャップの花道としてふさわしい舞台を「競馬の神様」が設定してくれたようにも思えます。

 このときの映像はユーチューブでご覧になれますが、レース前、レース後に写されるファンの熱狂ぶりをぜひご覧いただきたいですね。

 オグリキャップの活躍した時期といえば、日本ではちょうどバブル景気に沸いていた時期と重なります。私はバブルの恩恵にあずかれなかった一人ですが、あのときオグリの単勝馬券(1000円の特券)を握りしめ、5500円となった恩恵、そしてお金では買えない興奮と感動を頂戴したのでした。

 時代は令和へと移り、オグリキャップは「ウマ娘」に転生、今また若いみなさんに親しまれています。引退から34年、オグリキャップの名は不滅です。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

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