71歳団地ひとり暮らし、離婚・子ども3人の子育て・がん闘病…すべて乗り越えた先に辿り着いたもの【2024年上半期BEST】
2024年8月12日(月)10時0分 婦人公論.jp
私が住んでいる1DK(ふた間)の団地です(写真:川瀬典子)
2024年上半期(1月〜6月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年2月13日)
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内閣府が公開している「令和4年版高齢社会白書」によると、65歳以上の一人暮らし世帯数は年々増加傾向にあるようです。そのようななか、数々の人生の逆境を持ち前のバイタリティーで乗り越え、歳を重ねてもなお生きることの楽しさを体現しているのは、『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」 がんを乗り越えてわかった本当の幸せ』を著した、ソネ ジュンコさん。ソネさんいわく、「『楽しく生き切ること』が私の使命かもしれません」とのことで——。
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頼りにしていた実家が倒産の憂き目に
バツイチで子ども3人の母子家庭とはいえ、実家が裕福であるがゆえに、経済的に困ることもなく、それまでと同じような暮らし方をしていた私ですが、2001年、ついに最大の試練が訪れます。
私の大きなよりどころであった父の会社が倒産したのです。
『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」 がんを乗り越えてわかった本当の幸せ』(著:ソネ ジュンコ/ダイヤモンド社)
すでに父から代替わりして社長を務めていた弟から「とうとう会社がダメになった。姉さんの住んでいるマンションも売りに出すことになったから、1か月以内に引っ越し先を見つけて出て行ってくれ」と言われたときの衝撃を、私は一生涯忘れることはないでしょう。
私には長男・長女・次女と3人の子どもがいますが、ちょうど末っ子の次女が高校に進学するタイミングでの出来事でした。
まさにこれから子どもにお金がかかるようになる時期に、それまで「あって当然」と思っていた後ろ盾を完全に失うことになったのです。
それまで親の持つ財力にどれだけ依存してきたか、初めて突きつけられた瞬間でした。
お金がないことの切なさを痛感しました
実は当時のことを私はあまりよく覚えていません。
ショックが大きすぎたことと、少しでもお金をつくるために売れるものは全部売るなど、1か月以内に引っ越しをするためにしなければならないことが多すぎて、自分に考えること、覚えることをあえてストップさせたのではないかと思います。
その上、私は生来の見えっ張りときています。どんなにつらいことがあっても顔色一つ変えず、「私は平気よ」という顔をしていたいというのもありました。イヤなやつですよね……。
でもそんなかっこつけのイヤなやつだからこそ、人生最大の局面、それも天国から地獄に突き落とされるような局面を、なんとかやり過ごせたのではないかという気もするのです。
そして自分の弱さを認めることが苦手で、どんなことでも乗り越えられる人間だと思っていたい私は、あえてつらい感情に蓋をしてきたのではないかと思うのです。
今だから正直に言えます。あのときは本当につらかったです。
もの心ついてからお金の苦労を一度もしてこなかった私にとって、毎月当然のものとして入ってきていたお金が入ってこなくなるというのは、恐怖以外の何ものでもありませんでした。
もう49歳にもなっていたのですが、お金について、まったく自立できていないことに気づかされたのです。
お金がなくなるということは、頭ではわかっていたつもりです。
今まで住んでいた広々としたマンションに住めなくなるとか、車を手放さなくてはならなくなるとか……真剣に取り組んでいたつもりではありましたが、副収入のつもりでいた整体の仕事を生活のためにしていかなくてはならなくなる。
堅実な生活をしている人なら当然知っているはずのことを、私はまったく知らなかったのです。
実家が倒産したあとは、ただがむしゃらに前に進むしかありませんでした。整体院に勤めるかたわら、すでに個人でお客様の施術もしていたのですが、それこそ子どもたちの用事があるとき以外、ほとんどすべての時間を仕事に捧げていたと言っても過言ではありません。
次に訪れた試練は末期寸前のがん闘病でした
幸いなことに勤めていた整体院で経験を積むことができ、多くのお客様に恵まれました。数年たったころ、円満に退職して独立しました。
仕事は一貫して上り調子でした。縁あって東京にもごひいきにしてくださるクライアントが増え、出張施術メインの生活をしていたこともありますが、やがて本拠地を構えたくなって新大阪の駅前に大きなスタジオを構え、インストラクターを何人も育てるようになります。
仕事量に比例するようにお金がついてきたので、かつて住んでいたような高級マンションに住む余裕もでき、週に何日もランチやディナーの約束が入る日が続きました。
こと仕事に関していえば、着実に拡大路線を歩んでいたのです。
クライアントやインストラクター志望の生徒さんたちが喜んでくれればそれでいいという気持ちで、ひたすら仕事にまい進しました。
しかし「好事(こうじ)魔多し」というのは本当ですね。
2012年の秋ごろから、とても疲れやすくなってきたのです。元気だけがとりえで、前日の疲れなどどこへやら、毎朝、「さあ、今日はどんな1日になるだろう!」と、起きて活動を始めるのを楽しみにしていた私が、どういうわけか「いつまでもこうしてベッドに入っていたい」と思う日が続くようになりました。
ちょうど還暦の60(数え年61)歳を越えたということもあり、「年齢のこともあるし、たまった疲れが出る時期なのだろう」と思っていましたが、年が明けても一向に体調が優れません。
さすがに自分でもおかしいと思って病院で検査を受けたところ、「子宮頸がん」を発病していることがわかったのです。
しかも、がんのグレードは「3C」。
末期の一歩手前で、すでにがん細胞が骨盤内に散らばっており、手術は不可能な状態にまで進行していました。
「楽しく生き切ること」が私の使命かもしれません
どこまでも悪運が強いというべきでしょうか。投薬治療のかいあって、私は末期寸前のがんから生還することができました。
大きな試練ではありましたが、この経験は私にとって、その後の人生を決めるとても貴重なものだったと思います。
それまで私は人間関係や食生活、睡眠といった健康の維持に関係することに対して、最大限の努力をしてきたつもりでした。
でも大病をしてみて、その努力が本当は必要のない努力だったり、見当違いだったりということが多々あったことに気づかされたのです。
死の淵をさまよいつつも、再び生の世界に戻ってくることができた私は、「楽しく生き切ることが自分に課された使命なのではないか」と思うようになりました。
なにかトラブルが起こったとしても、「どうやったら楽しみながら乗り越えられるだろう」と考えるようにもなったのです。
もともと工夫するのが好きなこともあり、それまでの生活習慣を見直し、自分の心や体にいちばんフィットするように変えていくことにしました。それは、私にとって、とても楽しいことでもありました。
ひとり暮らしだからできたこと
ご家族と同居している方にはちょっと申し訳ないのですが、その中にはひとり暮らしだからできたことが少なくありません。
いまは大阪市の郊外にある大規模な団地の一角で、1DKの賃貸住宅にひとり暮らしをしています。
自由気ままにいろんなチャレンジをして「あれ、失敗した」と思っても、影響が及ぶのは自分だけ。家族を巻き込んだり、迷惑をかけたりすることはありません。
ひとり暮らしだからこそ、堂々と失敗できるんです。失敗したら次にまたチャレンジすればいいだけですから、気楽なものです。
そんなトライアル&エラーの末にたどり着いたのが、等身大の71歳、ひとり暮らしの生活術です。
もちろんこれで完成ではありません。これからも私はどんどん生活に工夫をこらしながら変えていくつもりです。
だって、変化するのってすごく楽しいですから。
年をとるということは経験を重ねながら変わっていくということ。だから私は年齢を重ねることが少しも怖くありません。むしろ大歓迎なのです。
※本稿は、『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」 がんを乗り越えてわかった本当の幸せ』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
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