聖火掲げ、全力で千葉駆け抜ける  64年に走者を経験、谷沢さん

8月14日(水)11時0分 OVO[オーヴォ]




 2020年7月24日の東京オリンピック開会式を前に、7月2、3、4日の3日間、聖火が千葉県内を通過する。憧れの聖火ランナーになるには、県のホームページで応募方法を確認できる。1964年の東京オリンピックでも開幕直前に聖火が千葉県内を巡り、当時、習志野高2年だった元プロ野球、中日の谷沢健一さんも、津田沼から谷津遊園(当時)までの3キロを聖火ランナーとして駆け抜けた。

 柏市出身の谷沢さんは柏市体育協会から推薦されて走者に選ばれた。走ったのは10月10日の開会式直前の7日。「開会式が目前だったことから、自分がオリンピックを担う気持ちになった」と当時の気持ちの高ぶりを明かした。伴走者が30人もいたため、最初はゆっくり走っていたが、習志野高の山口久太校長(後の日本体育協会副会長、八千代松陰学園創立者)から、トーチの煙をたなびかせるため「もっと速く走れ」とアドバイスされ、その後は全力で走った。伴走者も必死でついてきたという。「伴走者には迷惑だったかもしれないが、写真を見ると煙が真横にたなびいていて格好よかった」と本人は満足気だ。



 64年大会で野球は、公開競技として行われ米国選抜が日本の学生選抜、社会人選抜とダブルヘッダーで対戦した。この試合を観戦した谷沢さんは、会場だった神宮球場の雰囲気に憧れ「東京六大学でプレーしたい」と将来の希望を固めた。早大を経て中日に入団し17年間在籍。首位打者2度など、そうそうたる実績を残した。引退後の1992年、テレビ局のスタッフとしてバルセロナ・オリンピックの取材に関わり、オリンピックに対する見方が変わった。銀メダルに輝いた女子マラソンの有森裕子の走りを目の当たりにし、14歳で金メダルを獲得した岩崎恭子が泳いだプールにたたずみ、イメージしていたより、深く、荘重なオリンピックの雰囲気に触れた気がしたという。



 20年大会は、ひとりのファンとしてオリンピックを楽しむつもりだった。ところが、障害を抱える親戚の若者から「ぜひ聖火リレーに参加したい。付き添いで一緒に走って」と相談を受けた。ランナーは公平な選考で選ばれるため、谷沢さんも「実現する」とは約束できない。ただ、64年は前途有望な若者として、20年は障害者の付き添いとして走るとすれば、時代の移り変わりを象徴している。64年当時は右肩上がりの経済成長のまっただ中にあり、20年はオリンピック、パラリンピックを通じて共生社会の実現がテーマになっている。

 20年大会で谷沢さんが楽しみにしていることがある。陸上競技で米国チームを見ることだ。長女、順子さんが16年のリオデジャネイロ・オリンピックで米国代表チームのトレーナーを務めたからだ。日本酒マッサージで有名な現役時代の谷沢さんのアキレス腱痛を間近にみた順子さんは、トレーナーを志し米国の大学に留学。資格取得後は陸上や野球など様々なチームで活動し、現在は大リーグ、ダイヤモンドバックスでトレーナーを務めている。20年東京オリンピックには、谷沢さんの70年を超える人生の証しと思いが詰まっている。

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