ノロが御嶽へ向かうための石畳道『神通(カミミチ)』|那覇市小禄

2023年8月25日(金)11時0分 ソトコト

琉球王国から続く、小禄ノロが使う神聖な道





「ノロ」とは、村落の神事祭祀を司る神女のこと。琉球王国時代には首里王府から任命を受けたノロが、それぞれの間切(マギリ:現在の村)に数人ずつ配され、各自数か所の祭祀に関わっていました。



ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌル」・「ヌール」と呼ばれ、管轄する1 〜 3の村落のウマチー(稲や麦の祭)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的役割を担った。
15 〜 16世紀にかけて「聞得大君(きこえおおきみ)」を頂点とする神女組織が整備されると、沖縄本島をはじめ奄美大島から八重山諸島にいたるまで、村落ごとに王府からノロ(宮古・八重山ではツカサと呼ぶ)が任命された。小禄間切には小禄・儀間(ぎま)・赤嶺(あかみね)・大嶺(おおみね)・具志(ぐし)の各村(むら)にノロが置かれ、管轄する村や隣接する村落の祭祀に関わった。





石畳を登っていくと、途中右手に小禄ノロの住んだ『小禄ノロ殿内(ウルクノロドゥンチ)』前にある拝所『ノロ火の神(ノロヒヌカン)』へ続く入り口があります。








小禄ノロの住んだ殿内(ヌンドゥンチ)に祀られた火の神(ヒヌカン)はたいへん権威が高かったそうです。






小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)
琉球王国時代、首里王府より任命された小禄間切(おろくまぎり)小禄村(むら)のノロの屋敷跡。ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌル」・「ヌール」と呼ばれ、管轄する1〜31の村落のウマチー(稲や麦の祭)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的役割を担った。
照屋家は屋号を「ノロ殿内(ヌンドゥンチ)」といい、小禄ノロは代々照屋家の女性から任命された。1879年(明治12)の沖縄県設置により王府の任命によるノロ制度は崩壊したが、小禄ノロ殿内のようにノロが現在でも引き継がれ、村落の祭祀に携わっている地域もある。





戦火を逃れ、琉球の歴史が今なお息づく道





“神が通る”と書いて『神通(カミミチ)』。
この道の少し先には小禄ノ嶽(クシヌウタキ・カニマンウタキ)があり、小禄ノロがこの石畳を登り、御嶽へ向かっていく光景を想像するととても神秘的に感じます。
また、小禄ノロは今も引き継がれており、地域にとって大切な存在であり続けています。










【神通(カミミチ)】ノロが御嶽へ向かうための石畳道|那覇市小禄_うるくローカルプレス


琉球王国時代を感じてみてください。



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