『光る君へ』紫式部が書いた『源氏物語』は何が凄い?構成、あらすじ、動機、主人公・光源氏のモデルとは?
2024年8月26日(月)8時0分 JBpress
大河ドラマ『光る君へ』では、吉高由里子が演じる主人公・まひろ(紫式部)が、ついに『源氏物語』を書き始めた。そこで今回は、『源氏物語』を取り上げたい。
文=鷹橋 忍
源氏物語の構成
『源氏物語』は、主人公・光源氏の恋愛や生涯を中心に、70年余りの間の出来事を綴った平安時代中期の大長編物語である。
紫式部の時代から数十年遡った、醍醐天皇(885〜930/在位897〜930)や村上天皇(926〜967/在位946〜967)が治めた時代をふまえて書かれているといわれる。
30を超える言語に翻訳されており、世界的にも有名な作品だ。
現存の『源氏物語』は、以下の五十四帖(五十四巻)からなり、一般に三部に分けて理解されている。
第一部は、絶世の美男子で才能溢れる光源氏の誕生と女性遍歴、極めた栄華。
第二部は、光源氏の栄華の崩壊や、彼の苦悩。
第三部は、光源氏亡き後の、彼の子孫たちの憂いに満ちた世界が描かれる。なお、45「橋姫(はしひめ)」以降の十帖は、宇治を主な舞台としていることから、「宇治十帖」と称する。
【第一部】光源氏の誕生と栄華 主人公 光源氏
1「桐壺」、2「帚木(ははきぎ)」、3「空蝉」、4「夕顔」、5「若紫」、6「末摘花」、7「紅葉賀(もみじのが)」、8「花宴(はなのえん)」、9「葵」、10「賢木(さかき)」、11「花散里(はなちるさと)」、12「須磨」、13「明石」、14「澪標(みおつくし)」、15「蓬生(よもぎ)」、16「関屋(せきや)」、17「絵合(えあわせ)」、18「松風」、19「薄雲」、20「朝顔」、21「少女(おとめ)」、22「玉鬘(たまかずら)」、23「初音(はつね)」、24「胡蝶」、25「蛍」、26「常夏(とこなつ)」、27「篝火(かがりび)」、28「野分(のわき)」、29「行幸(みゆき)」、30「藤袴(ふじばかま)」、31「真木柱(まきばしら)、32「梅枝(うめがえ)」、33「藤裏葉(ふじのうらば)」
【第二部】光源氏の晩年 主人公 光源氏
34「若菜上(わかなのじょう)」、35「若菜下(わかなのげ)」、36「柏木」、37「横笛」、38「鈴虫」、39「夕霧」、40「御法(みのり)、41「幻」
【第三部】光源氏の子孫たちの物語(光源氏の没後) 主人公 薫、匂宮
42「匂宮(におうのみや)、43「紅梅」、44「竹河(たけかわ)」、
※以下、「宇治十帖」
45「橋姫」、46「椎本(しいがもと)、47「総角(あげまき)」、48「早蕨(さわらび)」、49「宿木(やどりぎ)、50「東屋(あずまや)、51「浮舟」、52「蜻蛉」、53「手習(てならい)」、54「夢浮橋(ゆめのうきはし)」
『源氏物語』を書き始めた動機と執筆期間は?
紫式部が『源氏物語』を書き始めた時期は諸説あるが、佐々木蔵之介が演じた夫・藤原宣孝の死後から、見上愛が演じる中宮彰子への出仕前とする説が有力だ。
紫式部の生年も諸説あるが、仮に天延元年(973)説で算出すると、宣孝が亡くなった時、紫式部は29歳である。
執筆の動機はわかっていない。
だが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏氏は、当時の紙は高価で、しかも気軽に手に入るものではなかったと思われることから、紫式部は大量の紙を提供され、『源氏物語』を書くように依頼を受けたのではないかとし、依頼主として最も可能性の高いのは藤原道長だとしている。
くわえて、紫式部は出仕前に光源氏の生い立ちや、藤壺や紫の上との経緯を記した部分と、光源氏の須磨流寓から都召還の途中くらいを執筆し、続きは出仕後に書いたと推定している(以上、倉本一宏『紫式部と藤原道長』)。
国文学者の三田村雅子氏は、『源氏物語』の評判が高まり、かなりの分量(全体の半分程度か)を書いた段階で、道長にスカウトされたとしている。
なお、『源氏物語』の完成は、1010年前後と考えられているという(以上、三田村雅子『NHK「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』)。
『源氏物語』の何が凄いのか
従来の物語は、上級貴族が妻や姫の娯楽のために、文才に恵まれた下級官人に命じて書かせたものであったので、作者は男性だったという(山本淳子『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか——』)。
物語は、「あくまで、女や子どもの読みもの」と侮れており、その展開は比較的に素朴でわかりやすく、予定調和的な話も少なくなったといわれる(高木和子『源氏物語の作者を知っていますか』)。
対して、『源氏物語』は、随所に漢籍の知識が散りばめられ、光源氏の華やかな恋物語のみならず、政治的な要素も絡めるなど、物語が複雑で綿密に構成されている。
また、『源氏物語』は読者を対等と考え、すべてを語るのではなく、読者に判断をゆだね、想像させるような高度な書き方をしているという(三田村雅子『NHK「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』)。
主人公・光源氏のモデルは?
光源氏のモデルといわれる男性は、何人もいる。
藤原道長も、その一人である。
ドラマに関連する人物では、三浦翔平が演じる藤原伊周が挙げられる。
伊周は井浦新が演じた関白藤原道隆の嫡男であり、容姿に優れ、漢学にも通じた完璧な貴公子だ。歴史学者の繁田信一氏は、「若き日の光源氏のモデルには、伊周が最もふさわしいと思う」と述べている(繁田信一『『源氏物語』のリアル 紫式部を取り巻く貴族たちの実像』)。
他にも、高畑充希が演じた中宮定子の忘れ形見である敦康親王(一条天皇の第一皇子)や、道長の妻の一人である瀧内公美が演じる源明子の父・源高明(醍醐天皇の皇子)も、モデルではないかといわれている。
ドラマには登場していないが、平城天皇の皇子・阿保親王の子で、伊勢物語の主人公とされ、絶世の美男といわれる歌人の在原業平(825〜880)や、嵯峨天皇の皇子で、源姓を賜わって臣籍に下った源融(822〜895)、聖徳太子や菅原道真など、光源氏のモデルには、たくさんの男性が挙げられている。
だが、紫式部は、複数の実在、もしくは架空の人物の特性を組み入れて、作中の人物を造形しているので、光源氏のモデルも一人ではないと思われる(小池清治『『源氏物語』と『枕草子』 謎解き平安ミステリー』)。
著者は本当に紫式部なのか??
『源氏物語』は五十四巻、94万3135字にもおよび「倉本一宏『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』)、登場人物の数も400人を超える。
超大作ゆえに、作者複数説も根強く、第三部の「宇治十帖」は、紫式部の娘・大弐三位が書いたとも、「匂宮」、「紅梅」、「竹河」の三帖も作者が違うともいわれる。
だが、瀬戸内寂聴氏は作者複数説に関して、「『源氏物語』ほどの壮大な傑作を、一人の女性だけで書けるはずがない」という想像と仮説である。紫式部一人の作と断定する証拠もないが、複数説を裏付ける確たる証拠も、今に至るまで出ていないと断じている(瀬戸内寂聴『源氏物語 巻一』)。
『源氏物語』は、紫式部一人の手によって描かれたのか、否なのか。
そんな謎もまた、『源氏物語』の魅力の一つなのではないだろうか。
【『源氏物語』ゆかりの地】
●宇治市源氏物語ミュージアム
京都府宇治市にある、源氏物語を体現した世界で一つの専用博物館。模型や映像などで、『源氏物語』の世界の魅力を伝える。
筆者:鷹橋 忍