民俗学者の宮司が実体験を通して綴る民俗誌【池内紀氏書評】

8月30日(金)7時0分 NEWSポストセブン

『神主と村の民俗誌』神崎宣武・著

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【見出し】『神主と村の民俗誌』/神崎宣武・著/講談社学術文庫/1070円+税

【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)


 著者は宮本常一門下の民俗学者であるとともに、岡山の古い神社の宮司である。現当主で二十八代。秋から旧正月にむけては東京と岡山をのべつ往復する。


 神主が世襲制をとっているのは意味があるだろう。祭主として祭礼をとり行うのを、すべて経験で学びとる。準備の一つの紙の切り方、むらのしきたり、当番とのかね合い、神楽太鼓の打ち方、幼いころから目と耳で親しんでいなければならない。


 神主の立場で座っていても、たえず世俗的な話を聞いておく、そんななかで気がついた。「祭りの盛衰も経済(かね)しだいとまではいわないが、祭りは世相を反映する。伝統という言葉だけではかたづけられないものがあるようなのだ」


 その語り方からもわかるように、これは神崎宣武宮司の若いときの記録である。禰宜(ねぎ)として父の補助役をしていた。まだ余裕があり、燃えるような好奇心があり、氏子とのつき合いも若々しい。(だから本書が一九九一年に出たときは『いなか神主奮戦記—「むら」と「祭り」のフォークロア』のタイトルだった)


「八百(やお)や万(よろず)の神遊び」「マレビトの眼」「信心は宗教にあらず」「むらの祭りを伝える意義」……おおかたの章に、地元の人が語り手として登場して、腹蔵のないところを語ってくれる。備中弁をまじえた語り口がなんともうれしい。祖父、父と神主がいたころなので、若手はここでは「若」である。若は何だって聞いてくれる。若は話しよい。そんなふうに言われていたのではなかろうか。


「ま、ま、その盃をあけてくだせえ」


 ひとり祈祷をしている若は、そんなお相手もしてくれる。


 貴重な記録である。一般に寺の僧侶のことはかなり知られているが、神主のことはほとんど知らない。妙な帽子や奇妙な靴や、目を洗うような白さの衣装や、独特の音色をもつ楽器を、ほんのちょっぴり知るばかりである。それがここでは実体験を通して、くわしく語られている。おりおり民俗学者の観察がキラリとまざりこむ。


※週刊ポスト2019年9月6日号


神主と村の民俗誌 (講談社学術文庫)

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