「高校3年、夏の大会の3回戦。私の野球人生が終わった日に、顧問から言われた『ごめん』の理由」(神奈川県・30代男性)

2023年8月31日(木)11時0分 Jタウンネット

シリーズ読者投稿〜あの時、あなたに出会えなければ〜 投稿者:Iさん(神奈川県・30代男性)

Iさんは中学生時代に野球をはじめ、高校でも野球部に入部した。

やってみたかったのはピッチャー。しかし、顧問からは別のポジションを任されて......。

<Iさんの体験談>

もう15年前の話です。高校に進学し、中学からやっていた野球部に入部しました。

中学の頃のポジションは外野。成績も目立たずレギュラーになったりならなかったり......。だから、高校ではやりたいポジションにトライしてみようと思っていました。

「キャッチャーやってくれ」

なりたかったのは、ピッチャーです。しかし、顧問のT先生にこう言われました。

「キャッチャーが1人もいないからやってくれ」

私はやったこともないキャッチャーをやる羽目になりました。

はじめは本当に、嫌で嫌で仕方がありませんでした。

中学野球は軟式ボールだったこともあり、硬式ボールが怖かったです。全力で投げてくるピッチャーの球を受ける度、手のひらがパンパンになったり、突き指をしたりしました。

目の前でブンブンとバットを振ってくるバッターのすぐ後ろに座ることや、バウンドボールを全身で受け止めたりすることから球に対する恐怖も生まれ、毎日どこかしらにアザやケガができる日々を送っていました。

それでも、チームメイトとの時間や、他にキャッチャーがいないため試合には出してもらえることから、毎日楽しく練習ができていました。

最後の試合の後に...

あっという間に3年になり、最後の夏の試合を迎えました。結果としては、創部以来初の3回戦進出という事で、大きな成果ではないにも関わらず、学校ではそこそこ盛り上がりました。

最後の試合、負けはしましたが、吹奏楽部が演奏してくれたり、同級生もたくさん応援に来てくれたりと、高校野球を楽しくやれたので、後悔はひとつもありませんでした。

その試合の後、チーム最後のミーティングで、T先生にこう言われました。

「キャッチャーやってくれてありがとな。でもごめん、本当はピッチャーやりたかったんだよな。ごめんな」

中学から人には言わずにずっと思い、秘めていた「ピッチャーをやってみたい」という憧れを先生だけには見透かされていた。いや、理解してくれていた事が本当に嬉しかったです。

「T先生、キャッチャーのこと、たくさん教えてくれてありがとうございました。後悔なく、高校野球楽しかったです」

と言ったのを最後に、私の野球人生は終わりました。

T先生が最後の最後にかけてくださった言葉は、今も心に残っていて、感謝しきれません。

あの時、ちゃんと感謝の気持ちを伝えられず、すみませんでした。

自分が誰にも言えず6年間秘めていた思いをちゃんと理解していてくださって、高校野球人生を支えてくださって、ありがとうございました。

誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!

Jタウンネットでは読者の皆様の「『ありがとう』と伝えたいエピソード」を募集している。

読者投稿フォームもしくは公式ツイッター(@jtown_net)のダイレクトメッセージ、メール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのかなど、500文字程度〜)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別を明記してお送りください。秘密は厳守いたします。

(※本コラムでは、プライバシー配慮などのため、いただいた体験談を編集して掲載しています。あらかじめご了承ください)

Jタウンネット

「野球」をもっと詳しく

「野球」のニュース

「野球」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ