京都の穴場・石清水八幡宮男、織田信長ら戦国武将からも大切にされた神社の巡り方、山からの眺めや元祖松花堂弁当も

2024年9月5日(木)8時0分 JBpress

取材・文=吉田さらさ 


観光地の喧噪とは無縁の静けさ

 今や世界的な人気観光地となり、おびただしい外国人が訪れる京都。著名な神社仏閣に行っても混雑がひどすぎて本来の風情が味わえなくなった昨今、混雑が少ない場所の情報を知っておくことがますます重要になってきた。今回は、わたしの知る中でもとっておきの穴場、石清水八幡宮をご紹介しよう。

 京都駅からだと多少乗り換えが面倒でやや時間もかかるためか、京都市内の寺社と比べてかなり訪れる人が少ない。国宝の美しい社殿があり、京都の歴史に深いかかわりを持つ由緒正しい神社であるにもかかわらず、他の観光地の喧噪とは無縁の静けさである。周辺には他にも興味深い神社仏閣やグルメスポットが点在しているので、ぜひ一日がかりでお出かけいただきたい。

 こちらの神社が鎮座する場所は、京都の裏鬼門に当たる男山だ。標高143mの低山のため徒歩で簡単に登ることもできるが、京阪本線の石清水八幡宮駅からケーブルカーに乗ればより楽に頂上に行ける。お参り前にはぜひ展望台に立ち寄って欲しい。

 男山の麓は日本国内でも珍しい三川合流の地。京都盆地から流れ出た桂川、琵琶湖からの宇治川、伊賀からの木津川がここで合流し、淀川となって流れて行く雄大な眺めが楽しめる。男山は三川の左岸にある八幡市に属するが、右岸の大山崎町には「天下分け目の山」として有名な天王山もある。羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀が戦い、雌雄を決したあの山だ。そうした歴史も持つ三川合流地点の向こうには京都の街が広がっている。はるばるここまでやってよかったと思える素晴らしい眺望だ。

 引き続き、広い境内に向かおう。回廊に囲まれた御社殿10棟は平成28年に国宝に指定された壮麗な建造物である。平安時代前期の859年、僧侶の行教が九州の宇佐八幡宮で神託を受け、国家鎮護の神として八幡神を祀ったのが始まりだ。

 伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟とされ、本来は皇族の氏神だったが、やがて源氏の氏神ともなった。源義家(頼朝の祖先)はここ石清水八幡宮で元服したため、「八幡太郎義家」と名乗った。時は流れ、源頼朝が平家を滅ぼして鎌倉幕府を開き、石清水八幡宮から分霊を受けて鶴岡八幡宮を創建した。

 八幡宮は全国各地に広がり、現在は4万4000社あるという。同じ八幡宮でも祭神が少し違う場合もあるが、石清水八幡宮の祭神は神功皇后、その子の応神天皇、比咩大神(宗像三女神)。神功皇后は三韓征伐で知られる女傑で、出兵する船の中で産気づくも腹に石をくくりつけてこらえ、無事帰還してから、のちに応神天皇となる誉田別命を産んだとされる。

 そのような勇ましいエピソードを持つ八幡神は、武運長久の神として、源氏だけでなく、広く武家全般の崇敬を受けた。戦国時代から江戸時代の武将たちもこの神社を大切にした。織田信長は社殿を修復し、豊臣秀吉は回廊を再建、その子秀頼も社殿を再建した。現在の建物は徳川家光の造営によるもので、回廊を持つ本殿としては、国内で最古にして最大規模という貴重なものである。ぜひこの回廊に沿って一周し、いろいろな角度から八幡造りの見事な御社殿を鑑賞していただきたい。


仏教寺院でもあった名残

 お参りを終えたら、境内を出て参道を進む。すると右手に開けた場所があり、その一角にエジソン記念碑がある。発明王のトーマス・エジソンは、白熱電球を作る際、動物の爪や植物の繊維などさまざまな自然物を使ってフィラメントを試作した。その結果、日本産の竹を使うとより長く電球が灯ることを発見。男山周辺に自生する竹がもっとも良質ということで、フィラメントの材料として輸出されるようになった。以来10年間ほど、こちらの竹が世界の電球を灯し続けたのである。

 山上で心ゆくまで時を過ごしたら、そろそろ下界に戻ろう。むろんケーブルでも降りられるが、ここは徒歩での下山を勧める。もっともゆるやかな表参道、少し急な裏参道、七曲りというきつい坂を含む道もあるので、体力と時間に合わせて選ぶとよい。

 降りきったところに二の鳥居があり、その先に頓宮殿と呼ばれる下院がある。こちらは神輿が待機する場所で、他の神社では「御旅所」と呼ばれる場所に相当する。ここの社殿は幕末の鳥羽伏見の戦いで焼け落ち、男山四十八坊の一つ「岩本坊」の神殿を移築して仮宮としていた。

 現在の社殿は1915年(大正4年)に新たに造営されたものであるが、ここではその「岩本坊」という名に注目したい。坊とは寺の子院のこと。八幡信仰は古くより神仏混淆の色合いが強く、石清水八幡宮は仏教寺院でもあった。そのためこの男山の各所にはかつての子院の名残も数多くあり、山を下りながらそれらを探すこともできる。

 頓宮殿からもと来た石清水八幡宮駅までは歩いてすぐだが、まだ帰るのは早い。実はさらなるとっておきの場所がある。ここからバスで15分ほど行ったところにある松花堂庭園だ。こちらは国指定の名勝で、四季の花々や紅葉が美しく、茶室などの趣き深い建物が点在している。そのような素晴らしい庭園なのに、こちらも観光客が押し寄せるようなことはなく、心静かに時を過ごせる。

 そしてさらにうれしいことに、ここにはかの名店、京都吉兆の支店もある。この店の名物は元祖松花堂弁当で、その始まりは、今から400年ほど前に遡る。

 そのころ石清水八幡宮に、松花堂昭乗という社僧がいた。この人は書画、茶道などに通じた文化人でもあり、その晩年に隠居所としていた『松花堂』という方丈がこの地にあった。当時は庶民的で簡素な実用品を茶道具などとして用いるのが粋な趣味とされており、松花堂昭乗も、地元の農家で使われていた種を入れるための箱を絵具箱や煙草入れとして愛用していたという。それは十字に仕切りがついた四角い箱だった。

 昭和初期になって、吉兆の創始者がこの箱に着目し、仕切られた箱の中に美しく料理を詰める茶懐石弁当を考案した。それが今も愛され続ける松花堂弁当の起源である。こちらでは美しい庭園を眺めながら、名店のエッセンスを散りばめたその由緒深いお弁当をいただけるのだ。しかも本店の懐石料理よりずっとお手頃な値段で。これぞ、誰にも教えたくない大穴場情報である。

筆者:吉田 さらさ

JBpress

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