【名馬伝説】父と子の血脈、福永祐一が三冠馬・コントレイルとともに超えた「天才騎手」の壁

2024年9月7日(土)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

昭和歌謡研究家・堀井六郎氏はスポーツライターとしての顔もあります。とくに競馬は1970年から今日まで、名馬の名勝負を見つめ続けてきました。堀井氏が語る名馬伝説の連載です。


無敗の三冠馬から誕生した無敗の三冠馬

 昨年、調教師に転身した中央競馬栗東所属の福永祐一が、コントレイルで三冠を制したのは、今から4年前の2020年でした。無敗での三冠達成は2005年のディープインパクト以来3頭目になり、そのディープインパクトの子がコントレイルになります。

 コントレイルとは「飛行機雲」という意味で「天馬」を想像させますが、無敗の三冠馬の子による無敗の三冠馬の誕生は、ファンとしては「この時代に生きていてよかった!」と実感させてくれたものです。

 惜しむらくはこの年は新型コロナ禍の影響で、皐月賞・ダービーとも無観客の中で行なわれ、菊花賞で三冠達成の偉業を成した京都競馬場では1000人足らずの観客から祝福を受けるにとどまりました。三冠達成自体がオルフェーブル以来9年ぶりという快挙だっただけに残念でしたね。

 なお、無敗で三冠を達成したディープインパクト、コントレイル、そしてシンボリルドルフの三頭は、私がリアルタイムで見た「満3歳時における最強馬ベスト5」に入ります。ちなみに、ベスト5の残りの2頭とは、マルゼンスキーとエルコンドルパサーです(どちらも米国産馬だったため、当時はクラシックレースに出られませんでした)。


父から子へと続く調教師や騎手の家系

 コントレイルを調教師として三冠馬へと導いたのが、現在も中央競馬で大活躍の矢作芳人(やはぎよしと)です。矢作調教師の父もまた、かつて大井競馬場に所属していた調教師・矢作和人であり、全国公営競馬調教師会連合会会長を長く務めた人物でした。このように公営競馬、中央競馬に限らず、親子・親族で騎手や調教師になるケースは数多くあります。

 中央競馬で特に広く知られているのは武ファミリーでしょう。武豊騎手の父・邦彦は「名人」と称せられた騎手でしたし(引退後は調教師)、弟・幸四郎も騎手・調教師の道を歩み、祖父も曽祖父も牧場や馬術と関わりのある家系でした。

 また、現役の岩田康誠(やすなり)騎手は息子の岩田望来(みらい)騎手と同じレースに騎乗することは頻繁にありますし、今年、ダノンデサイルでダービー3勝目を挙げた横山典弘騎手を取り巻く横山ファミリーも有名で、父・富雄、兄・賀一、長男・和生、三男・武史も騎手として活躍(父、兄はすでに引退)しているほか、親族にも騎手・調教師がいます。

 競走馬を扱うという特殊な職業に従事する調教師・調教助手・厩務員さんたちは厩舎を中心とする生活圏で一日の大半を過ごしています。

 都会のマンションに住む一般的なサラリーマン家族とは異なり、そうした共同体は、家族同士のつながりが深く、やがて子供たちは長じて同じ社会、つまり厩舎村という世界で生きていくことが自然の流れであるかのように、競馬社会へと溶け込んでいくことになります。父から子へと続く調教師や騎手の家系もこうして築かれたものでしょう。


福永祐一に伝わる父・洋一の血脈

 私の愛する公営・大井競馬場には、かつて騎手としても活躍していた福永二三雄調教師が所属していました。残念ながら20年ほど前に現役調教師のまま亡くなられていますが、競馬界では福永四兄弟のうちの次男として知られていて、春の天皇賞と有馬記念をレコード勝ちしたイナリワンの公営時代の調教師でもありました。

 長男の福永甲(はじめ)と四男の福永洋一は中央競馬の騎手として活躍(福永甲は後に調教師に)、三男の福永尚武もまた公営・船橋競馬で活躍した騎手でした。その福永兄弟の中では、なんといっても「天才」として競馬ファンを沸かせた福永洋一の名前が忘れられないのは、私だけではないでしょう。

 実働11年間におよぶ現役時代は競馬ファンの圧倒的支持を受け、人気のない馬に騎乗すれば「洋一が何かやってくれるのではないか」という期待感から単勝馬券の売り上げが増え、騎手が前任者から福永洋一に乗り替わったりすれば、レース展開が波乱含みとなったものでした。

 福永洋一が落馬事故によって騎乗不能となり、事実上の引退となったのが昭和54年(1979)、30歳のときでした。9年連続して年間最多勝を継続中でもあり、騎手として最も脂の乗っていたときだったので、あと10年騎乗していたらいったいどんな記録が生まれたのか。また、昭和62年(1987)にデビューした武豊との新旧天才対決でどんなレースを見せてくれたのか。

 武豊が「精密機械」のジョッキーなら、福永洋一は「奔放不羈(ほんぽうふき=自由自在)」のパフォーマーでした。どんな世界でも「〜れば」「〜たら」を口にすれば、それは単なる愚痴に過ぎなくなりますが、一度でいいから見たかった。

 当時、テレビのドキュメンタリー番組でベッドに横たわる夫の洋一を甲斐甲斐しく世話する裕美子夫人の姿が映され、競馬ファンに限らず多くの人の涙を誘ったものでした。まさかあのとき2歳だった幼児が、その後、父と同じ世界に飛び込み、やがて父を超える記録を残し騎手生活を完走するとは、当時誰が想像したことでしょう。

 夫の落馬から10年後、中学生になった息子・祐一の決断を知ったときの母親の心境や如何に。子供の安寧の将来を願い、大反対したのでしょうが、結局は我が子の強い意志を尊重したのは、この両親にしてこの子あり、といったところでしょうか。騎手・福永祐一誕生の瞬間でした。

 何回も落馬や大怪我を経験し、昨年、騎手生活を終えた福永祐一。若い頃は、常に父と比較されて批判やヤジを受けたことも多かったのですが、27年に及ぶ現役生活では、父とは異なる独自の戦略を駆使し長期にわたり第一線で活躍、父がなしえなかった三冠騎手となり、見事な現役生活を全うしました。

 競馬は「血のスポーツ」と称されますが、騎乗している騎手たちに流れる血にもドラマがあります。福永ファミリーの中で、天才・洋一に流れる血は、努力家・祐一へとしっかりと継承されていました。

 種牡馬となったコントレイル、満7歳。そして昨年、調教師に転身した福永祐一、47歳。歴史に残る名コンビの今後のドラマにも注目です。 

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

JBpress

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