16世紀の古い教会に隠し通路があることが発覚。そこで発見された大量の人骨(マルタ島)

9月11日(月)22時30分 カラパイア

St_Gregory_&_St_Catherine's_Chapel

 地中海に浮かぶマルタ島。その南東部にあるゼイトゥン市には、聖カタリナの名を冠するカトリック教会が2つある。ひとつは、市街地の中心に、1692年に創立された教会だ。マルタ・バロック様式の聖堂は1778年に完成している。

 もうひとつの「古い」方の教会は、市街地の南西の外れにある小さな教会だ。地元の人々は、こちらの教会のことを「聖グレゴリオ教会」と呼ぶ。

 さて、半世紀ほど前、1969年のこと。この聖グレゴリオ教会に隠し通路があることが発見されたのだ。そこから見つかったのは大量の人骨であった。

St_Gregory_&_St_Catherine's_Chapel
imege credit: Kolaa3/Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0]

【聖グレゴリオ教会の歴史】

 聖グレゴリオ教会は、聖カタリナと共にローマ教皇グレゴリウス一世にも奉げられており、毎年、復活祭(イースター)後の最初の水曜日にはパレードが行われる。これが「聖グレゴリオ教会」という呼び名の由来である。

教会前の教皇グレゴリウス一世像
_Gregory's_Statue,_Zejtun
imege credit: Kolaa3/Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0]

 教会の創立に関しては、9世紀のアラブ人の侵攻に関連付けるもの、イムディーナの聖パウロ大聖堂における音楽の振興のための歳入源として創立されたとするもの、など諸説ある。

 しかし、いずれの説を採るとしても、14世紀までにはマルタ島南東部の小さな教会が聖カタリナに奉げられている。史料に初めて登場するのは1436年のことだ。

 中世の聖堂の面影は、今はほとんど残っていない。現在の「新しい」聖堂は16世紀に建てられたものだ。ゴシック様式とロマネスク様式が融合しており、マルタにおける最も古い屋根のひとつに数えられる。

聖グレゴリオ教会内部
St_Gregory,_Zejtun,_Nave
imege credit: :Reuv1/Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0]

 そして、聖堂の周囲には隠し通路があるのだ。

【隠し通路の人骨】

 キリスト教会は、原則的に、上から見ると十字の形となるよう建てられる。立地条件にもよるが、入り口(長い部分)が西になる。したがって、南北には袖廊(翼廊ともいう)が張り出すことになる。

 聖グレゴリオ教会の隠し通路は、南側の袖廊にある。壁の中につくられたU字型の通路だ。そしてこの通路には大量の人骨が積まれていたのである。

Secret_passage_in_Chapel_of_St_Gregory,_Zejtun
imege credit: Reuv1/Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0]

 その他に発見されたものは、ビザンチン様式の木製の十字架、イコンと思われる木製のフレーム、16〜17世紀の陶器のかけら、銅貨2枚と金貨1枚、鎖帷子の一部分などだ。

 地元の伝説では、この人骨は1614年のオスマン帝国による侵攻の際に、生き埋めにされた人々のものだとされている。

 1978年〜1980年に行われた調査では、これらの人骨は墓地から掘り出され、この場所へ移された可能性が高い、という結論が出た。つまり、生き埋めにされたわけではなく、隠し通路が納骨堂として使われていた可能性もある。

 ただし、これらの人骨の持ち主が死亡したのは、ほとんど同じ時期であるらしい。「生き埋め」ではなくとも、オスマン帝国による侵攻の被害者と考えるのが妥当だろう。

バレッタにおけるマルタ包囲戦の様子
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【軍事的な意味もあった教会】

 そもそも聖グレゴリオ教会の隠し通路は何のためにつくられたのか。海からの攻撃から島を守るためなのである。

 聖グレゴリオ教会は付近で一番高い土地に建てられている。また、南側の袖廊には隠し通路がつくられただけではなく、袖廊自体が聖堂の他の部分に比べて約3分の1高い。

 そのため、袖廊上部の通路に嵌め込まれた窓からは、東〜南東にあるいくつかの湾が一望できるのである。特に、マルサシロク港の聖ルシアン砦、マルサスカラ湾の聖トマス塔が視界に入ることは重要であった。

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imege credit: Maximilian Dorrbecker (Chumwa) (own work, using Fgura-map.svg by William Shewring)/Wikimedia Commons [GFDL or CC BY-SA 3.0]

 海からの敵がこの付近に現れれば、これらの砦に発見され、狼煙が上がる。そしてその狼煙は、聖グレゴリオ教会を経由して、当時の首都イムディーナに届いたのだ。

 想定されていた「海からの敵」については複数の説がある。そのひとつは、当時スペイン王国と地中海の覇権を争っていたオスマン帝国であるという説だ。

 もうひとつは、当時付近に跋扈していた海賊であるという説である。北アフリカの地中海沿いにあたるバーバリ海岸を根城とした海賊が、頻繁に島を襲っていた。あるいはこの両方であったかもしれないが、どうやら海賊説が主流であるようだ。
(※2017/09/13 追記修正して再送します)


via: Atlas Obscura / Wikipedia など / translated by K.Y.K. / edited by parumo

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