ローマ教皇が座る“スケベ椅子”が破廉恥すぎる! 公衆の面前で男性器を公開、男性であることを証明!?
2023年9月12日(火)7時0分 tocana
中世のローマ教皇はその就任時に公衆の前で“スケベ椅子”に座らされた——。ある伝聞によれば、中世に新たに選出された教皇は男性であることを証明するために男性器が丸出しになる特別な椅子に座らなければならなかったという。
■新教皇が公衆の面前で座った恥ずかし過ぎる椅子とは?
知る人ぞ知る風俗産業で使われている“スケベ椅子”だが、なんと中世のカトリック教会でこれに類する特別な椅子が作られていたことがわかっている。
カトリックの総本山であるバチカン市国にある「バチカン美術館(Vatican Museums)」に展示されている座面に奇妙な穴が開き、前方へ切り込みが入っている椅子は、セデス・ステルコラリア(sedes stercoraria)と名づけられている。この椅子にもし男性が裸で座れば、股間の“逸物”は下に垂れ下がることになるだろう。その点でまさに“スケベ椅子”である。
水洗トイレなどなかった中世の時代、この椅子が教会内で教皇のために特別に作られたトイレとして使われていたとしても不思議ではない。しかしある伝聞によれば、この椅子はこの時代に新たに選出された教皇が就任時に必ず座らなければならない椅子であったという。
この椅子に座らなければならない理由とは? それは新たな教皇が「生物学的男性」であることを確認するためであった。下半身に下着を着けていない状態でこの椅子に座れば、目視によって男性器が一目瞭然で確認できるのである。
そもそも基本的に男性の聖職者しかいないはずの教会内で、なぜ教皇が男性であることを確認する必要があったのか。それはかつて周囲を欺いて性別を偽って教皇に就任した教皇がいたからだといわれている。
後に「女教皇ヨハンナ」と呼ばれるようになったその教皇は856年頃に2年間ほど在位したとされている女性のローマ教皇である。女教皇ヨハンナは創作上の人物と考えられているのだが、一部からはいくつかの逸話は史実であり実在した可能性はあるともいわれている。
女教皇ヨハンナはきわめて才覚のある聖書学者であり、教皇の地位まで上り詰めたのだが、周囲には女性であることを偽っていたとされている。
サンピエトロ大聖堂から聖ヨハネラテラン教会までの行列の途中でヨハンナに陣痛が起きて出産してしまったことで、女性であったとがバレて教会を追放されたのだった。
検査した医師が新教皇の男性器を“実況解説”
宗教学者トーマス・F・X・ノーブルによる女教皇ヨハンナに関する研究では、彼女の誕生の日付と場所、教皇としての在任期間など、彼女については歴史家たちが何ひとつ合意できていないように見えると指摘している。彼女は11世紀に生きていたと主張する研究者もいるが、9世紀まで遡るという者もいる。
女教皇ヨハンナがいかなる架空の人物であっても、彼女が存在する可能性があるというだけで、教会を怯えさせて椅子に穴を開けさせ、将来のすべての教皇を恥辱の試練にさらすのにじゅうぶんであった。
伝えられるところによると、新たな教皇は聴衆の前で上半身裸になり、下着を着けていない下半身でその椅子に腰を降ろし、医師が性器を検査したという。
歴史家のフェルナン・ルロワはこの話をさらに描写し、検査の後、医師が群衆に向かって「彼(新教皇)には(睾丸が)2つあり、それらはうまくぶら下がっています!」と“実況解説”したという。
このエピソードは新教皇が出世せずに枢機卿に留まっていればよかったと後悔するのにじゅうぶんな辱めであったかもしれない。
前出の宗教学者、ノーブルは教皇の椅子に関する話は単なる創作に過ぎないと書いている。彼はこれは想像力豊かな歴史家の発明であり、単調なバチカンの歴史に面白さを加えた“エンタメ要素”であったと主張している。
彼はまた、なぜセデス・スターコラリアに関する物語が廃れてしまったのかについて推測し、16世紀初頭には「何人かの作家が、最近の教皇は私生児をたくさん産んだため、この儀式は使われなくなったと辛辣なユーモアを交えて述べていた」と指摘した。禁欲を破ることは堕落であるが、私生児の存在は皮肉にも性別をチェックする必要を無くしたのである。
もしこのような事態を早くに迎えていたならば、当時の教皇たちはこのような恥辱にまみれた体験から解放され、胸を撫でおろしていたことは容易に想像できるだろう。ともあれ“スケベ椅子”に座るのは公衆の面前ではなく、“特殊な個室”の中だけにしたいものである。
参考:「Big Think」「Liturgical Arts Journa」ほか