100年前の公衆電話って、どんなシステムだったの?

2019年9月16日(月)21時0分 Jタウンネット

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2019年9月3日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、小松市立博物館より中継をしていました。


ここには、石川で最も古い電話ボックスが展示してあります。今の子供たちは、使い方を知っているのでしょうか?


交換手が通話時間を管理


小松市立博物館には、1911年に小松駅前に設置されていた赤色の六角形の電話ボックスがあります。


赤い塗装は剥げていますが、当時は真っ赤でおしゃれな電話ボックスだったことを想像させます。


全国で200か所あった電話ボックスのひとつで、小松駅前のものは地元の木材「能登ヒバ」で作られています。


今はスマホがとても便利な時代ですが、公衆電話は災害時の大切なライフラインのひとつです。


しかし公衆電話も20年前と比べると5分の1に減りました。


子どもたちは使い方を知らないと思いますが、受話器を上げてお金を入れ、ダイアルを押すといった操作は、災害時に備えて教えておくべきだそうです。


さて、初期の頃の電話は、交換手につながなければならず、この古い電話ボックスもまずハンドルを回して交換手につなぎます。


その後、お金を入れて相手につなげてもらうのですが、お金は10銭と5銭、ふたつの投入口があります。


この小銭の区別は、交換手が音で判別して、お金によって時間を測っていました。


時間になると交換手が「そろそろですよ」と伝えていたので、変な話もできません。


また、当時の料金は小松〜加賀で5分5銭ほどで、今の価値では2000円ほどにもなるそうです。


今のように大したことのない用事で使うことはなく、重要なことを伝えるときに使うものだったのですね。


(ライター:りえ160)

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