震災の被災地でポータブル電源はどう活躍した? 防災月間の9月、能登で取材した
2024年9月17日(火)6時0分 マイナビニュース
2024年は、元日に令和6年能登半島地震が発生し、8月には南海トラフ地震臨時情報が発出され、8月末には台風10号で大きな被害が出るなど、例年以上に災害への備えの大切さを感じた1年となりました。特に、南海トラフ地震臨時情報の発出後はポータブル電源を求める人が続出し、一部商品は品薄になったほどです。
あれば心強いポータブル電源ですが、世帯普及率はまだ1割に満たないとされています。そのような状況のなか、ポータブル電源メーカー各社は災害支援活動に積極的に取り組んでいます。EcoFlowは、能登半島地震で76台のポータブル電源や20枚のソーラーパネルなどの物資を石川県珠洲市をはじめとする自治体、NPO団体、現地企業などにいち早く送付しました。防災月間の9月、ポータブル電源に助けられた被災者に改めて話を聞く機会を得ました。
珠洲市までの険しい道のり
9月上旬のよく晴れた日、筆者はレンタカーで金沢市から珠洲市に向かいました。のと里山海道(高速道路)を走行中、カーナビからは「この先、地震の影響のため40km/h規制中です」とのアナウンスが。すると、七尾市に入ったあたりから道はうねり出し、起伏も激しさを増していきます。ふと金沢方面に向かう対向車線に目をやれば、その一部は完全に谷底に崩落している様子。なるほど、復旧にはまだ相当な時間がかかりそうです。それにしても、走行中の車内が揺れる揺れる…。シートベルトをしっかり装着した筆者も、飛んだり跳ねたりしながら目的地を目指しました。
高速道路を下りてからは、瓦礫を山積するトラックを何十台も目にしました。道端には「復旧支援に心から感謝」「ご支援ありがとう」といった思いを伝える看板がいくつも並んでいます。おそらく復旧支援に携わる人たちに向けて、地元の人たちが手書きして立てたのでしょう。
珠洲市に入ると、いまだ倒壊したままの状態の木造家屋をあちらこちらで見かけます。ひと休憩するために「道の駅すずなり」に寄り道。こちらに保存されている、のと鉄道能登線(2005年に廃線)珠洲駅のプラットフォームですが、やはり地震による影響でコンクリートがガタガタになっていました。
理髪店の営業を手助けしたポータブル電源
まずは、市内で親子4代にわたって理髪店を営んでいる「ヘアーサロンHEISHI」の瓶子明人さんに話を聞きました。店舗は、電気も水道も復旧していなかった1月13日から営業を再開しているそうです。
「大震災の直後、友人からポータブル電源を借りることができたんです。そのとき、初めてポタ電というものを知りました」と瓶子さん。スマートフォンのモバイルバッテリーは知っていたけれど、こんな大きなバッテリーの製品があることは知らなかった、使い始めは「何時間ぐらい使えるのかな」と疑問に思っていた、と明かします。
瓶子さんは「1月13日、まだこのあたりは電気も復旧していませんでした。でも、ポタ電を使えば照明はもちろん、ドライヤー、そしてサロンの電動椅子も動きました。これには驚いたし、本当に嬉しかった。水がなかったけれど、近くで井戸水を汲んで石油ストーブで沸かしてお湯にして。だからカットだけでなく、シャンプーもできる状態で営業を再開できたんですよ。もっとも、ペットボトルシャワーでしたけどね」と明るく笑います。
店舗を再開すると「どうしても髪を切ってほしい」というお客さんが続々と訪れたそう。「避難所では満足な水もないから、皆さんヒゲも剃れずにモジャモジャだった。でもここで髪をさっぱりして、ヒゲも剃ったら、気持ちもリフレッシュできたみたいで。皆さん、笑顔で帰っていきました」。
ポータブル電源を貸し出した瀬戸さんは次のように話してくれました。「今回のような大地震で道路が寸断されると、このあたりは陸の孤島になってしまいます。数日も経てば電源車も来てくれますが、震災直後の数日間は電気なしで過ごさなくてはいけません。何が起こったのか情報を得たい、家族と連絡がしたい、と思っても何もできないんですよね。最近は衛星通信のStarlinkのような手段も普及しましたが、やはり電気がないことには使用できません。こうした時にポータブル電源が手元にある心強さを実感しました」。
帰れない客と一緒に過ごしたキャンプ場でも活躍
EcoFlowのポタ電は、別の場所でも活躍していました。というわけで、再びレンタカーで移動。途中、瓦礫の集積場の前を通り過ぎました。
鉢ヶ崎海岸からクルマで5分のキャンプ場「Camping Spot Hamano」(キャンピングスポット ハマノ)を運営する濱野達也さんも、震災時にEcoFlowのポータブル電源に助けられた1人でした。
「元日に被災したとき、宿泊中のお客さんが5組ほどありました。初日の出を拝む年越しキャンプをしていたんですね。大きく揺れたので、津波に備えなくてはいけないということで、みなさんと一緒に山に避難しました。津波の心配がなくなってキャンプ場に戻ってくると、電気が使えなかった。クルマで帰宅を試みる方もいらっしゃいましたが、道路が寸断されていて引き返してきました。結局、こちらのキャンプ場でお客さんと一緒に5日間ほど過ごしました」と濱野さん。余震の続く不安な状況のなか、EcoFlowのポータブル電源でスマートフォンとLEDランタンが充電できたので気持ちが救われた部分もあった、と振り返ります。
EcoFlowのソーラーパネルもあったため、日照時間の短い1月の能登半島といえど、晴れた日に広げるとある程度の充電ができたといいます。その後、1月5日には道路も開通したので宿泊客も帰宅できた、という話でした。
バイオトイレにも電力を供給
EcoFlowは、被災地にバリアフリーのバイオトイレを設置する活動を続ける日本笑顔プロジェクトにも協力しています。珠洲市にある翠雲寺にも、バイオトイレ、ドラム缶風呂、衛星通信のStarlinkがセットになった「EGAO LOUNGE」を設置済み。屋根の400W据え置き型ソーラーパネルで作った電気を、蓄電池「EcoFlow DELTA2 Max」(容量2,048Wh)に充電できるシステムとなっていました。
近藤謙太郎 こんどうけんたろう 1977年生まれ、早稲田大学卒業。出版社勤務を経て、フリーランスとして独立。通信業界やデジタル業界を中心に活動しており、最近はスポーツ分野やヘルスケア分野にも出没するように。日本各地、遠方の取材も大好き。趣味はカメラ、旅行、楽器の演奏など。動画の撮影と編集も楽しくなってきた。 この著者の記事一覧はこちら
あれば心強いポータブル電源ですが、世帯普及率はまだ1割に満たないとされています。そのような状況のなか、ポータブル電源メーカー各社は災害支援活動に積極的に取り組んでいます。EcoFlowは、能登半島地震で76台のポータブル電源や20枚のソーラーパネルなどの物資を石川県珠洲市をはじめとする自治体、NPO団体、現地企業などにいち早く送付しました。防災月間の9月、ポータブル電源に助けられた被災者に改めて話を聞く機会を得ました。
珠洲市までの険しい道のり
9月上旬のよく晴れた日、筆者はレンタカーで金沢市から珠洲市に向かいました。のと里山海道(高速道路)を走行中、カーナビからは「この先、地震の影響のため40km/h規制中です」とのアナウンスが。すると、七尾市に入ったあたりから道はうねり出し、起伏も激しさを増していきます。ふと金沢方面に向かう対向車線に目をやれば、その一部は完全に谷底に崩落している様子。なるほど、復旧にはまだ相当な時間がかかりそうです。それにしても、走行中の車内が揺れる揺れる…。シートベルトをしっかり装着した筆者も、飛んだり跳ねたりしながら目的地を目指しました。
高速道路を下りてからは、瓦礫を山積するトラックを何十台も目にしました。道端には「復旧支援に心から感謝」「ご支援ありがとう」といった思いを伝える看板がいくつも並んでいます。おそらく復旧支援に携わる人たちに向けて、地元の人たちが手書きして立てたのでしょう。
珠洲市に入ると、いまだ倒壊したままの状態の木造家屋をあちらこちらで見かけます。ひと休憩するために「道の駅すずなり」に寄り道。こちらに保存されている、のと鉄道能登線(2005年に廃線)珠洲駅のプラットフォームですが、やはり地震による影響でコンクリートがガタガタになっていました。
理髪店の営業を手助けしたポータブル電源
まずは、市内で親子4代にわたって理髪店を営んでいる「ヘアーサロンHEISHI」の瓶子明人さんに話を聞きました。店舗は、電気も水道も復旧していなかった1月13日から営業を再開しているそうです。
「大震災の直後、友人からポータブル電源を借りることができたんです。そのとき、初めてポタ電というものを知りました」と瓶子さん。スマートフォンのモバイルバッテリーは知っていたけれど、こんな大きなバッテリーの製品があることは知らなかった、使い始めは「何時間ぐらい使えるのかな」と疑問に思っていた、と明かします。
瓶子さんは「1月13日、まだこのあたりは電気も復旧していませんでした。でも、ポタ電を使えば照明はもちろん、ドライヤー、そしてサロンの電動椅子も動きました。これには驚いたし、本当に嬉しかった。水がなかったけれど、近くで井戸水を汲んで石油ストーブで沸かしてお湯にして。だからカットだけでなく、シャンプーもできる状態で営業を再開できたんですよ。もっとも、ペットボトルシャワーでしたけどね」と明るく笑います。
店舗を再開すると「どうしても髪を切ってほしい」というお客さんが続々と訪れたそう。「避難所では満足な水もないから、皆さんヒゲも剃れずにモジャモジャだった。でもここで髪をさっぱりして、ヒゲも剃ったら、気持ちもリフレッシュできたみたいで。皆さん、笑顔で帰っていきました」。
ポータブル電源を貸し出した瀬戸さんは次のように話してくれました。「今回のような大地震で道路が寸断されると、このあたりは陸の孤島になってしまいます。数日も経てば電源車も来てくれますが、震災直後の数日間は電気なしで過ごさなくてはいけません。何が起こったのか情報を得たい、家族と連絡がしたい、と思っても何もできないんですよね。最近は衛星通信のStarlinkのような手段も普及しましたが、やはり電気がないことには使用できません。こうした時にポータブル電源が手元にある心強さを実感しました」。
帰れない客と一緒に過ごしたキャンプ場でも活躍
EcoFlowのポタ電は、別の場所でも活躍していました。というわけで、再びレンタカーで移動。途中、瓦礫の集積場の前を通り過ぎました。
鉢ヶ崎海岸からクルマで5分のキャンプ場「Camping Spot Hamano」(キャンピングスポット ハマノ)を運営する濱野達也さんも、震災時にEcoFlowのポータブル電源に助けられた1人でした。
「元日に被災したとき、宿泊中のお客さんが5組ほどありました。初日の出を拝む年越しキャンプをしていたんですね。大きく揺れたので、津波に備えなくてはいけないということで、みなさんと一緒に山に避難しました。津波の心配がなくなってキャンプ場に戻ってくると、電気が使えなかった。クルマで帰宅を試みる方もいらっしゃいましたが、道路が寸断されていて引き返してきました。結局、こちらのキャンプ場でお客さんと一緒に5日間ほど過ごしました」と濱野さん。余震の続く不安な状況のなか、EcoFlowのポータブル電源でスマートフォンとLEDランタンが充電できたので気持ちが救われた部分もあった、と振り返ります。
EcoFlowのソーラーパネルもあったため、日照時間の短い1月の能登半島といえど、晴れた日に広げるとある程度の充電ができたといいます。その後、1月5日には道路も開通したので宿泊客も帰宅できた、という話でした。
バイオトイレにも電力を供給
EcoFlowは、被災地にバリアフリーのバイオトイレを設置する活動を続ける日本笑顔プロジェクトにも協力しています。珠洲市にある翠雲寺にも、バイオトイレ、ドラム缶風呂、衛星通信のStarlinkがセットになった「EGAO LOUNGE」を設置済み。屋根の400W据え置き型ソーラーパネルで作った電気を、蓄電池「EcoFlow DELTA2 Max」(容量2,048Wh)に充電できるシステムとなっていました。
近藤謙太郎 こんどうけんたろう 1977年生まれ、早稲田大学卒業。出版社勤務を経て、フリーランスとして独立。通信業界やデジタル業界を中心に活動しており、最近はスポーツ分野やヘルスケア分野にも出没するように。日本各地、遠方の取材も大好き。趣味はカメラ、旅行、楽器の演奏など。動画の撮影と編集も楽しくなってきた。 この著者の記事一覧はこちら