国鉄の民営化が地図記号に与えた影響とは?「JRか、それ以外か」で主に分類されるようになった鉄道。「国鉄」と「私鉄」の歴史と現在の区分を解説
2024年9月22日(日)12時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんいわく、「日本の地形図はかつて国鉄と私鉄の2分類であったが、実はこの記号で分類されたのは『昭和30年図式』から」だそうで——。
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鉄道・軌道発達の刻印
日本国有鉄道—国鉄が分割民営化され、JRグループが誕生したのは昭和62年(1987)、今から36年も前のことである。
国鉄という言葉を身近に使っていた世代もすでに40代以上になった。
戦前も国有鉄道は存在したが、大正9年(1920)から第二次世界大戦中の昭和18年(1943)までは国の省庁のひとつである鉄道省が監督業務のかたわら鉄道路線の経営も行っていたため、「省線」の呼び名の方が一般的だったようだ。
山手線など後に国電と呼ばれる路線は「省線電車」であった。
思えば「国電」という言葉も使われなくなって久しい。JR発足の際にはこれに代わる用語が求められ、JR東日本では著名人らが選定に関わって「E電」なる言葉を新造したが定着はせず、ほどなく忘却された。
さて、日本で鉄道に関する地図記号といえば、国鉄に馴染んだ世代は「国鉄」と「私鉄」の記号を思い浮かべる人が多いかもしれない。
現在の地形図では、鉄道の記号は主に「JR線」と「JR線以外」に分類されている。JR線は旧国鉄の記号を流用したもので、2重線の中を黒白交互に塗り分けることから、地図業界ではハタザオなどと呼んでいる。
日の丸を掲揚しない家が多数を占める今となっては、このハタザオ(旗竿)という言葉さえピンとこないかもしれないが。
この記号のルーツをたどれば、明治期に日本が地形図を学んだドイツの記号にたどり着く。
記号の分類を欧米のように行わなかった理由
もうひとつの記号である「JR線以外」は以前の私鉄(民営鉄道)の記号だ。
太線にトゲのような短線を4ミリおきに交差させる(複線以上の場合は短線が2本ずつ)。こちらはフランスやアメリカなどで用いられている。
「民営鉄道」の用語が消えたのは、国鉄の民営化で国内の鉄道の大半が「私鉄」になってしまったことに加え、自治体が出資する第3セクター鉄道が増えたという事情も影響しているだろう。
自治体が線路を保有して民営会社が列車を運行する「上下分離方式」など、一口で私鉄とも公営とも言い難い事例が増えたという事情もある。
他には「地下鉄及び地下式鉄道」という記号もある。地形図では茶色の破線で示されるが、地上に出れば「JR線」や「JR線以外」の記号に変身する。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
「平成21年図式」までは黒い破線のトンネルと茶色の破線の地下鉄は区別されていたが、「同25年図式」からは両者とも茶色の破線に統一されたので、地下を走っている鉄道は今やすべて「茶色の破線」でわかりやすくなった。
実は日本のように鉄道の地図記号を経営主体で区別している国は珍しい。欧米では標準軌(レールの幅の内側の間隔=軌間が1435ミリ)を普通鉄道と位置づけ、それより軌間が狭い狭軌鉄道を一段細い記号で表現するのが一般的である。
これは国の基幹輸送を担うことの多い標準軌の鉄道と、輸送力が相対的に小さくスピードが遅いローカル線である狭軌線を区別することで、交通の実体をわかりやすく表現するためだ。
日本では明治5年(1872)に新橋—横浜(現桜木町)間がイギリスの指導で開業した時に狭軌(1067ミリ)が採用されたことから、基幹輸送を担う重要幹線も長らく狭軌だった歴史がある。
新幹線の登場で旅客輸送の一部は標準軌となったが、その他の在来線は阪急や京阪、京急など一部の私鉄を除けば現在に至るまで狭軌が基本だ。
このため軌間の広狭では輸送の実体を表現できず、それが記号の分類を欧米のように行わなかった理由だろう。
「普通鉄道」と「軽便鉄道」
日本の地形図はかつて国鉄と私鉄の2分類であったと述べたが、実はこの記号で分類されたのは「昭和30年図式」からだ(厳密には「大正6年図式」の同14年改訂から国鉄・私鉄の分類に変化しているが、実施状況は限定的)。
昭和30年といえば保守合同で自民党が誕生した年だが、私が物心ついた頃にはそのような記号体系となっていたため、どうも昔から続いてきたような錯覚がある。
それ以前は「国鉄と私鉄」のような経営主体ではなく、普通鉄道と軽便鉄道という区分であった。
これはまさに前述のヨーロッパと同様の発想であるが、軽便鉄道の記号は、具体的にはハタザオの白黒が均等ではなく、白い部分が長い。
軽便鉄道は一般的に軌間が狭く小型の車両を用いた鉄道として知られているが、もともと狭軌が主である日本の一般的な鉄道よりさらに狭く、具体的には762ミリなどであった。
厳密に言えば軽便鉄道法による軽便鉄道は一般的な国鉄の軌間1067ミリも含んでいるが、地形図で軽便鉄道の記号を適用するのはこの軌間より狭いものに限っている。
法的に「軽便鉄道」の扱いが消えて私鉄の扱いが地方鉄道法に拠る「地方鉄道」に統一された後も、地形図では一般的な鉄道より軌間の狭い鉄道を「特殊軌道」の記号で表現することになったので、必ずしも法的な用語と一致してはいない。
鉄道と軌道の境目
その「特殊軌道」の記号だが、もとは馬車鉄道のために用意されたものである。鉄道と軌道という分類は一般には馴染みが薄いが、現在でも法的には分けられている。
明治5年に開業したのは鉄道で、もともと蒸気機関車が牽引する列車が走るものである。
これに対して「軌道」は路上にレールを敷いて馬が客車を牽く馬車鉄道だった。後にその上に架線を張って路面電車に変身するのだが、記号はそのまま流用された。
大正に入ると、軌道条例(後の軌道法)による電車の線路が増えたのに合わせてスピードも輸送力も向上する。利便性は大いに高まり、補助的交通のはずだった電車も新設軌道(専用軌道)を高速で走るようになった。
特に大都市圏では、従来は蒸気機関車を走らせていた路線もこれに対抗して電化、電車を走らせるようになる。
こうして鉄道と軌道の境目は徐々に不明瞭となり、地形図の記号としても鉄道と軌道の区分が意味をなさなくなってしまった。
戦後になって高度成長期を迎える時代に登場した「昭和30年図式」が国鉄・私鉄という区分に変更された背景には、そのような鉄道・軌道の発達史がある。
全部統一してしまうことへの疑問
JRが発足する際に国土地理院内でどのような議論があったのかは知らないが、すべての元国鉄を私鉄記号にすることも検討されたのではないだろうか。
ところが当時はまだ基本的にアナログ時代であるから、ボタン一発で国鉄記号を私鉄記号に直せるような「魔法」は存在しない。
国鉄線路の総延長はざっと2万キロだったが、2万5000分の1地形図に直せば800メートルにもなる。それほどの膨大な描き換えの手間を考えれば、それを避けたいのは人情だ。
さらにもうひとつの理由として、世間で少なくとも数十年間は親しまれた国鉄・私鉄記号を全部統一してしまうことへの疑問もあっただろう。
全部の鉄道を私鉄記号に変更してしまうと、むしろわかりにくくならないか。特に東京や大阪など鉄道が網の目のように発達している地域では顕著だろう。
かくして「JRか、それ以外か」という区分が基準となった(と想像する)。
ついでながら「JR以外」の記号は守備範囲が広く、たとえばモノレールや、「ゆりかもめ」などのような新交通システム(両者とも区間の大半は「高架部」の記号を伴う)、それにケーブルカーも該当する。
ケーブル関連で誤解しやすいのはロープウェイで、これは別の「リフト等(索道<さくどう>)」の記号を使う。
その名の通りスキー場などのリフトはもちろん、石灰石を鉱山からセメント工場まで運ぶ長いベルトコンベア(常設に限る)などにも適用されている。
もうひとつの記号が「特殊鉄道」だ。これは今の地形図ではあまりお目にかかれないが、かつては森林鉄道や鉱山軌道など対象が多く、特に林業の盛んな地域では谷ごとにその記号が地を這っていたものだ。
それらの大半が廃止された現在、この記号が拝めるのは、製鉄所内で原材料などを運ぶための線路、遊園地のジェットコースター、それに登山道として有名な鹿児島県屋久島の安房(あんぼう)森林軌道などに限られている。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。