“宇宙CM”を成し遂げた男が、再び宇宙を目指す理由 高松聡(写真家・アーティスト)【連載】テック×カルチャー 異能なる星々(16)

9月24日(木)20時0分 FINDERS

加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模索する新時代の才能たち。これまでの常識を打ち破る一発逆転アイデアから、壮大なる社会変革の提言まで。彼らは何故リスクを冒してまで、前例のないゲームチェンジに挑むのか。進化の大爆発のごとく多様なビジョンを開花させ、時代の先端へと躍り出た“異能なる星々”にファインダーを定め、その息吹と人間像を伝える連載インタビュー。

2001年、一人の日本人が、世界初の“宇宙ロケCM”を実現させた。クリエイティブディレクター・高松聡。ロシアから、ISS(国際宇宙ステーション)上の宇宙飛行士に指示を出しながらの撮影だった。

その14年後、彼は再びロシア「星の街」にいた。

今度は自らがISS滞在を目指すべく、宇宙飛行士になる訓練をするために。8カ月に及ぶ訓練生活。しかし、運命は残酷だった。すべての訓練を終了したものの、彼は宇宙飛行士にはなれなかった。

あれから5年。沈黙の歳月を破り、訓練時に撮影した写真が公開される。しかもこの展覧会は、新たな計画への序章だという。果たして、何が語られるのか? 会場を巡るギャラリーツアーと単独インタビューの言葉を織り交ぜて、その壮大なるビジョンを解き明かす。

聞き手・文:深沢慶太

高松聡(たかまつ・さとし)

1963年、栃木県生まれ。筑波大学基礎工学類を卒業後、株式会社電通の営業局へ。2001年、クリエイティブ局へ転身。05年、クリエイティブエージェンシーGROUNDを設立し、代表取締役兼クリエイティブディレクターとして数多くのブランドを担当。カンヌ広告祭など国際広告賞で数多くのグランプリや金賞を受賞し、審査員、審査委員長を歴任。14年、広告界から引退を宣言し、翌年には日本の民間人として初のISS(国際宇宙ステーション)搭乗資格を持つ宇宙飛行士となるべく、ロシア「星の街」で8カ月に及ぶ訓練を終了。現在は写真家・アーティストとして活動する。

30年越しの“諦めた夢”ーー宇宙飛行士訓練へ

(撮影:織田桂子)

—— 高松さんは2001年に世界初の宇宙ロケCMを実現するなど、日本を代表するクリエイティブディレクターとして活躍しながら、15年にロシアへ渡り、宇宙飛行士訓練を受けることを宣言されました。そもそもなぜ、宇宙へ行こうと決意されたのでしょう?

高松:僕にとって宇宙飛行士になることは、6歳の頃からの夢でした。1969年、アポロ11号で人類が月面への第一歩を刻んだ瞬間をテレビ中継で目にした時、背中に電気が走るような衝撃を覚えたんです。それからずっと「宇宙へ行くんだ」と思い続け、大学はNASDA(宇宙開発事業団/現・JAXA 宇宙航空研究開発機構)の隣りにある筑波大学で応用物理学を専攻。研究テーマも「宇宙空間における半導体の劣化機構の研究」でしたね。そして22歳の時、初の日本人宇宙飛行士の募集が行われたんですが……「裸眼視力1.0以上」という応募条件を見て、泣く泣く夢を諦めました。ちなみに、その時の募集でスペースシャトルに搭乗したのが毛利衛さんです。

宇宙飛行士訓練中に「星の街」で撮影された写真より。

—— その後は電通へ入社されていますが、宇宙への夢を一旦は諦めたわけですね。

高松:はい。電通には、単に「バリバリ働けそう」というイメージで入りました。ところが、営業の仕事をしながらクリエイティブに携わるうち、新聞で「ISS(国際宇宙ステーション)の民間利用アイデア公募」という記事を目にしたんです。そこで書き上げた宇宙CMの企画書が選考を通過し、晴れてクリエイティブ局へ異動して企画に携わることになりました。38歳の時のことです。ロシア連邦宇宙庁(ロスコスモス)との交渉も含め、前例もなく苦労の連続でしたが、2001年に世界初の宇宙ロケによる大塚製薬ポカリスエットのCM「GOES TO SPACE」が実現しました。その後も日清カップヌードル「NO BORDER宇宙編」と、計3本の宇宙ロケCMを手がけて、「これで死んでもいいかな」と思いましたね。

でもその後、まったく予想外なことに「宇宙飛行士訓練を受けないか」という話が来たんです。すでに50歳を過ぎており、自分で設立したクリエイティブエージェンシーGROUNDの事業も軌道に乗っていた。考え抜いた挙げ句、広告業界からの引退を宣言して会社を畳み、ロシアへ渡ることを決意しました。

2014年夏、星の街にて、宇宙飛行士訓練の適性を調べるメディカルチェック受診時の様子。

次ページ:突然の訓練中止宣告、消えかけた希望と日々の記憶

---

突然の訓練中止宣告、消えかけた希望と日々の記憶

展覧会のギャラリーツアーにて。「これはソユーズに搭乗した宇宙飛行士たちのサイン。訓練を受けながら、僕もいつかはここに『高松聡』とサインをするのかな……と思っていましたね」(撮影:織田桂子)

(ISSへ滞在する民間宇宙飛行士の訓練は、モスクワ近郊「星の街(スターシティ)」のガガーリン宇宙飛行士訓練センターで行われている。11年にアメリカのスペースシャトルが退役して以降、ISSへ到達できる宇宙船はロシアのソユーズのみだった。訓練は宇宙旅行の“乗客”としてではなく、宇宙船の故障や不時着などあらゆる事態に対応可能な宇宙飛行士を養成する目的で実施される。高松はイギリスの世界的ソプラノ歌手、サラ・ブライトマンのバックアップクルーとして、二人一組でこの訓練に参加。青山のSPACE FILMS GALLERYで開催された高松の初個展「FAILURE」は、この訓練中に彼が撮影した写真と記録で構成されている)

(左)1961年にボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成し遂げたユーリ・ガガーリン(1934-68)と、スプートニク2号に搭乗した犬「ライカ」。
(右)宇宙飛行士記念博物館にそびえ立つロケットのモニュメント。

高松:訓練開始は、15年1月のこと。膨大な数のスイッチやボタンが並ぶコントロールパネルの操作から、そこに記されたロシア語の勉強、地球への帰還時に着陸地点を逸れて寒冷地に下りた場合に生き延びるためのサバイバル訓練まで、想像を遙かに超える過酷な日々が待っていました。

ところが……5月に入り、一緒に訓練を受けていたサラが突然、訓練をやめて帰国してしまったのです。理由は「個人的な家族の事情」と発表されましたが、何が起きたのか、最初はまったくわからなかった。サラが宇宙飛行を辞退した以上、バックアップクルーである僕も訓練から外されるという。でも「何よりも宇宙飛行士になりたくて星の街へ来たんだ、とにかくやらせてくれ」と粘り抜き、残りの訓練を受けさせてもらえることになったのです。

とはいえ、いつ打ち切りを宣告され、退去させられてもおかしくない状況。厳しい訓練と猛勉強を続けながら、「もう二度とここには来られない」という想いで写真を撮り始めました。周辺にはカフェやレストランをはじめ、バーなどの娯楽施設が一切ない。極寒の冬が明け、ようやく迎えた春の景色だけが、自分にとって唯一の癒やしでした。夏は夜9時頃まで明るいので、訓練が終わってからはいつも写真を撮っていましたね。

(左)星の街に掲げられた宇宙飛行士の看板。
(右)訓練施設内に設置された、ISSロシアモジュールなどの実物大模型。

訓練施設の一角には、ガガーリンに始まるロシアの宇宙飛行士たちの顔写真が並べられていて、宇宙CMの制作時にISSのロシアモジュールでポカリスエットを飲んでもらったり、カップヌードルを食べてもらったりした懐かしい顔も見受けられました。当時、自分も星の街へ赴いて、商品をこうやって手に持って、一口食べて笑顔でこちらを見て……といった感じで演技指導をしたんです。撮影は、通常は入れないはずの管制室に入ってインカムを装着し、リアルタイムで宇宙と通信しながら行われました。今、自分はその場所で、宇宙飛行士になる訓練を受けている。だから、今ここで辞めるわけにはいかないと思いました。

次ページ:宇宙飛行士という“失った夢”……そして明かされた“新たな夢”

---

宇宙飛行士という“失った夢”……そして明かされた“新たな夢”

宇宙飛行士訓練の卒業証書を前に。(撮影:織田桂子)

高松:そうやって何とか8カ月間の訓練を修了し、卒業式を迎えることになりました。卒業証書を授与されて、満面の笑みを浮かべてロシア語でスピーチをして……。卒業証書は当然ロシア語で書かれていて、一語一句までは理解していなかった。そうしたら数日後に宇宙飛行士訓練を仲介したアメリカの旅行代理店から電話がかかってきて、卒業証書の文面には「宇宙飛行士として認定する」という言葉が含まれていないという指摘を受けたのです。

星の街におけるすべての訓練を終了して迎えた卒業式の様子。

つまり、ただ訓練を卒業しただけで、宇宙飛行士として正式には認定されなかった。それはもう、呆然としましたよ。それまで訓練の様子を報告していたFacebookには「卒業した」と投稿したところで投稿をやめて、「宇宙飛行士になれました」と投稿することはできなかった。それでも、「おめでとう」というメッセージがたくさん来たけれど、全部スルーして沈黙を守り抜きました。

実は僕自身が宇宙旅行代理店を経営していたこともあり、様々なパートナー契約や秘保持契約もあって、この話は今まで一切公表できずにいました。でも5年を経て契約を見直し、今回、この写真展とともに“告白”をすることにしたのです。

「このケースに横たわっているのは訓練用の宇宙服です。まるで棺のようですが、宇宙飛行士になりたかったという僕の夢はロシアで一度死にました。いわば “death of my dream” ですね」(撮影:織田桂子)

なぜ、そうしようと思ったのか。宇宙飛行士になるという、僕の夢は一旦絶たれました。でもそこで、僕は新しい夢を見つけたんです。写真を撮り続ける日々の中で、星の街で出会った宇宙飛行士たちにある質問をしました。「宇宙から見た地球の美しさを100だとしたら、写真に写された地球の美しさはどれ位だと思いますか?」と。答えはだいたい10%程度。それはそうだと思うんですよ。宇宙から地球を見て、「人生観が変わった」という宇宙飛行士はたくさんいる。でも、写真に写された地球を見ても、そこまでのインパクトは感じない。

というのも、これまでに宇宙へ行った約500名は、軍人や科学者、エンジニアなどで占められているけれど、写真家はただの1人も宇宙には行っていない。それならば僕は写真家として、“宇宙から見た地球”という視覚体験を、可能な限り地球上で再現したいと思った。僕の計算によれば、それには動画なら24Kから32Kのスペックが必要になる。今ある最高の機材を複数つなげて撮影し、30〜50メートルの表示サイズで宇宙から見た地球の姿を再現できれば、人生観が変わる位の視覚体験を再現できるのではないか。

そのためにメーカーと協力して機材を開発し、ISSに滞在して撮影を行い、そのデータを超高精細な映像やプリントとして表現する研究を進めていく。「宇宙へ行ったら地球はこう見える」という視覚体験を、全人類に共有すること。それを自分のミッションにしようと決意したんです。

—— 6歳から宇宙飛行士を目指しながら挫折を味わい、次にクリエイティブディレクターとして宇宙CMを制作し、そこから自分が宇宙飛行士になる機会を得た。5年前、その夢も絶たれたかのように思われたけれども、今度は違う立場から宇宙を目指そうとしているわけですね。

そうです。幸いにして広告の仕事に携わる中で、技術的な制約も含めて前例のないビッグプロジェクトを計画し、実行する能力を養ってきました。そして宇宙飛行士としては、全試験に好成績で合格することによって、自分の能力を証明することができた。写真家の技量については今回の展覧会を見る方々に委ねますが、これら3つの点で、今やろうとしていることはまさしく自分にしかできないミッションだと確信しています。

今地球上には、環境破壊や戦争、資源を巡る問題などが蔓延(はびこ)っています。でも、あらゆる人々が自分の目で地球の姿を前にしたなら、「この星を守らなければ」という意識が生まれるかもしれない。初めて海外から日本を見た時が“日本人”としての意識の芽生えになったように、宇宙から地球を見て初めて得られる“地球人としての意識”があると思う。「宇宙飛行士になりたい」という想いは僕個人の夢に過ぎないけれど、宇宙から見た地球の姿を体験したい人はそれこそ限りなくいるでしょう。だから今回の写真展を“告白”のきっかけとして各地で開催し、この新しい夢を世界中の企業や組織にプレゼンしていきたい。それが、宇宙飛行士になるという夢を失いながら新たに見つけることができた、僕の“新しい夢”ということです。

訓練中に訪れたバイコヌール宇宙基地にて、打ち上げを待つソユーズロケット。この時の打ち上げにはフライトエンジニアとして日本人宇宙飛行士の油井亀美也が搭乗していた。

次ページ:全人類に向けて、“宇宙から見た地球”の視覚体験を届けたい

---

全人類に向けて、“宇宙から見た地球”の視覚体験を届けたい

(撮影:織田桂子)

——しかしなぜ、そうまでして高松さんは宇宙を目指すのでしょうか。その原動力があるからこそ、異国の地で先行きもわからずにたった一人の境遇でも、諦めずにすべての訓練をやり遂げられたように思います。

高松:諦めなかった理由はシンプルで、宇宙飛行士になりたかったからです。僕の中で宇宙飛行士とは、厳しい訓練を乗り越えた知力、体力、すべてを兼ね備えた人のこと。一方で「宇宙へ行きさえすれば、その人は宇宙飛行士と呼んでいい」という考え方もあります。例えば、来年から始まる宇宙旅行の搭乗者がその例です。でも弾道飛行で宇宙空間を6分だけかすめて戻ってきただけで、果たして宇宙飛行士と呼ぶことができるのか。僕にとって宇宙飛行士とはそうではなく、人生を懸けるべき非常に大きな意味を持った言葉だったのです。

(高松が訓練を受けていた2015年から現在に至るまで、民間人が宇宙へ行く道のりは数十億円を支払ってソユーズ宇宙船に搭乗し、高度約400kmを周回するISSに滞在する方法しかない。一方、宇宙旅行をより身近なものにしようとする計画は、10年以上前から各所で進められてきた。その筆頭株が、ヴァージン・グループの宇宙旅行会社、ヴァージン・ギャラクティック。同社は垂直発射されるロケットではなく、水平飛行する母機からの空中発射によって最高高度約110kmに到達し、翼で滑空しながら帰還する弾道飛行スペースプレーンを開発。商業飛行開始後は年間数百人の搭乗を目指している)

展示風景より、星の街で撮影された宇宙飛行士としてのオフィシャル写真。

——なるほど。一方で、イーロン・マスク率いるスペースX社の「クルードラゴン」に宇宙飛行士が登場し、民間の宇宙船として初めてISSとの往還に成功するなど、宇宙開発や宇宙ビジネスは新たな時代を迎えています。今回の展覧会はいわば、こうした企業や各国の宇宙機関に向けた最初のプレゼンでもあるわけですね。しかし……そもそも地上に適応した人類にとって、宇宙空間は生身では生きていくことのできない、いわば“死の世界”です。それなのになぜ、私たちはその危険を冒してまで、宇宙空間を目指すのでしょうか?

高松:それはやはり、フロンティア精神に尽きると思います。なぜ、人類は地球上の至る所に住み、南極や深海へ行くのでしょうか。それは「見たことのないものを見たい」という想いがあるからです。現在、人類は月に到達し、次に火星を目指そうとしています。ただ、どの国の宇宙機関も国民の税金を費やしながら、その先の風景を目にすることができるのはごく限られた宇宙飛行士だけです。僕は、人類のフロンティアは何らかの形で人類全体に提供されるべきだと思います。

だからこそ、このプロジェクトには再び人生を懸けるだけの価値がある。僕自身、すべての始まりは人類が月へ降り立った様子をテレビ中継で目にしたことでした。当時は低画質の画像が精一杯だったけれど、その経験が僕だけでなく、数え切れない程たくさんの人々の人生を変えてきたんです。であれば今度は自分が、自分にしかできない方法でその力を届けたい。だからまずは、僕が行く。すでにヴァージン・ギャラクティック社の宇宙旅行には申し込んでいますが、できれば今度こそISSへ行って、地球の写真を撮影したい。そうすることで、僕に続いてプロの写真家たちが宇宙へ行く道筋を作っていく。そのために、これからの人生を捧げていきたいと思います。

高松聡「FAILURE」
期間:9月4日(金)〜27日(日)
時間:11:00〜19:00
開催場所:SPACE FILMS GALLERY
入場料:無料
住所:東京都港区北青山3-5-6 青朋ビル2F

FINDERS

「宇宙」をもっと詳しく

「宇宙」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ