流刑の絵師・英一蝶、江戸風俗画の名手として名を馳せた彼は、なぜ島流しの憂き目にあったのか?

2024年10月2日(水)6時0分 JBpress

(ライター、構成作家:川岸 徹)

狩野派に学びながら、独自の風俗画を追求した江戸時代の絵師・英一蝶(はなぶさいっちょう)。没後300年を記念した回顧展「没後300年記念 英一蝶 —風流才子、浮き世を写す—」が東京・六本木のサントリー美術館で開幕した。


医師の家に生まれ、江戸狩野派に入門

 伊勢亀山藩主お抱えの医師を父に持ち、幼少の頃から絵の才を発揮。15歳(8歳とする説も)で超名門・江戸狩野派に入門し、狩野探幽の弟・狩野安信に学ぶ。当初はアカデミックな絵画教育を受けるものの、菱川師宣や岩佐又兵衛ら時の人気絵師に触発され、次第に市井の人々を題材にした風俗画を描くようになる。松尾芭蕉や宝井其角といった俳人と交流を持ち、自らも俳諧をたしなむなど、幅広いジャンルで才能を開花させていく。

 元禄年間(1652〜1724)前後に、江戸を中心に活躍した絵師・英一蝶。生誕から万事順調といえる道のりを歩んできたが、どこでどう間違ったのか、急転直下の転落人生を経験してしまう。47歳の時に三宅島へ流罪となり、島流しはその後11年間にも及んだ。人気絵師に一体何が起こったのか。英一蝶の画業と合わせて、波乱万丈といえる人生を振り返ってみたい。


町人の姿を描いた風俗画で人気を博す

 町人文化が栄えた元禄時代。若き日の英一蝶、この頃は“多賀朝湖(たが・ちょうこ)”と名乗っていたが、彼が描く風俗画は町人を中心に広く愛された。《投扇図》は、御神木の脇にある大きな鳥居に向かって扇を投げる男たちを描写した作品。神様に向かって扇を投げつけるとは不敬な行為のように思えるが、当時は願掛け・運試しとして流行していたらしい。ご利益を願う庶民の生き生きとした姿が何とも印象的だ。

 初期の作品では全三十六図から成る《雑画帖》も見ごたえがある。山水、人物、花鳥、走獣、戯画、風俗画など、画題は様々。丸まった猫の柔らかな毛並みの表現が見事な「睡猫図」、布袋様が持ち歩く袋の中に布袋自身が入ってしまったユーモラスな「布袋図」など、「何を描いてもうまい」といわれる一蝶の画力を堪能することができる。


三宅島へ流罪になった理由とは?

 絵師として名を上げる一方で、一蝶は遊びにも精を注いだ。吉原に通いつめ、幇間(男芸者)として働いた時期もあった。大名や豪商に可愛がられ、一説によると紀伊国屋文左衛門も贔屓にしていたとか。色町での交流や人脈が広がると、トラブルに巻き込まれてしまうのが世の常。1698(元禄11)年、英一蝶は三宅島に流罪になってしまう。

 有罪の理由には諸説あるが、主なものとして以下の3つが伝えられている。①時の将軍・綱吉が制定した生類憐みの令を皮肉った流言の出どころとされたため。②綱吉の母である桂昌院の甥っ子・本庄安芸守資俊を吉原に引き込み、遊女を身請けさせるなど大散財させたため。

 そして、③英一蝶が描いた一枚の絵が綱吉の逆鱗に触れたため。怒りの元になった作品は重要文化財《風俗画絵鑑》の第六図「朝妻船画賛」。本展で鑑賞することができるので、ぜひご覧を。

 この絵の何が悪かったのか。朝妻船とは琵琶湖東岸の朝妻と大津を結ぶ渡し舟のことで、遊女が乗って客をとることでも有名だった。本作には柳の木の下に舟を停め、もの思いにふける遊女が描かれている。

 実はこの頃、江戸ではあるゴシップが流れていた。「将軍・綱吉に寵愛されて大出世した柳沢吉保。その妻・染子はもともと綱吉の妾で、吉保と結婚した後も綱吉と関係を続けている。しかも吉保の子供は実は綱吉の子だ」というもの。そうした中、一蝶が描いた「朝妻船画賛」の遊女は綱吉の愛妾をやつしたものとの噂が広まり、一蝶は流罪の刑に処されたのだという。


島暮らしでも衰えない創作意欲

 真相は定かではないが、三宅島に島流しとなってしまった一蝶。当初は「もう二度と江戸に帰ることはできない」と落ち込んだというが、その暮らしは罪人とは思えないくらい充実したものだった。江戸の仲間やパトロンたちは一蝶の生活が成り立つよう、絵の制作を依頼。江戸から紙や画材、絵の代金や米を送った。一蝶はその米を島民に売る商売もしていたというから、なんとも商魂逞しい。

 そして、流刑時代に描いた作品が実に素晴らしい。この時期の作品は「島一蝶」と呼ばれ、特に高く評価されている。配流中の作品は、江戸の知人からの発注によるものと、三宅島や近隣の島々の島民のために制作したものの2つに大別。前者には江戸での遊興の日々を題材にした風俗画が多く、後者は神仏画や吉祥画など信仰関連の作品が大半を占めている。

 島一蝶時代の最高傑作といわれ、重要文化財に指定されている《布晒舞図》。布晒舞とは川で布をさらす様子を舞にしたもので、本作では小柄な舞手が自分の身長よりもはるかに長いさらし布を巧みに操っている。扇を持つ小さな手や細い指先の繊細な表現が見事。余白を生かし、人物をリズミカルに配した構図も心地よく、音楽が聴こえてくるよう。

《神馬図額》は三宅島の南方に位置する御蔵島の稲根神社に伝わる絵馬。画面いっぱいに跳ね上がる神馬のダイナミックな躍動感。たてがみや尾の毛一本一本まで丁寧に描いた繊細さ。一蝶の熱量が感じられる名品だ。


江戸へ奇跡のカムバック

 江戸には二度と帰れないと覚悟していた一蝶だが、将軍・綱吉が死去。その恩赦により、一蝶は晴れて自由の身となった。これは夢か、現実か——。一蝶は荘子の説話『胡蝶の夢』にちなみ、この時から英一蝶と名乗るようになった。

 再帰後は「今や此の如き戯画(風俗画)を事とせず」と、一蝶の代名詞である風俗画から離れることを宣言。謹直な仏画や狩野派の画法による花鳥画、古典に学んだ物語絵などに取り組むが、周囲は“風俗画の一蝶”を放ってはおかない。彼の元には風俗画の依頼が相次ぎ、町や農村で生きる人々を描いた《雨宿り図屛風》や《田園風俗図屛風》といった大型の作品を制作していく。

 1724(享保9)年、73歳で波乱万丈の人生を終えた英一蝶。辞世の句「まぎらはす 浮き世の業の色どりも 有りとや月の薄墨の空」からも、一蝶はやはり風俗画の人だったのだと感じさせられる。

「没後300年記念 英一蝶 —風流才子、浮き世を写す—」
会期:開催中〜2024年11月10日(日)※作品保護のため、会期中展示替を行います
会場:サントリー美術館
開館時間: 10:00〜18:00(金曜、11月9日(土)は10:00〜20:00) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:火曜日(11月5日は 10:00〜18:00)
お問い合わせ:03-3479-8600

https://www.suntory.co.jp/sma/

筆者:川岸 徹

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