40歳、2児の母が153.5kgを挙げて日本一に!100均店長の妻が、公営ジムでパワーリフティングを始めてメダルを獲るまで

2024年10月8日(火)11時0分 婦人公論.jp


(Photo Hiroki Nishioka)

オリンピック競技である重量挙げは、ウエイトリフティングのこと。同じようにバーベルを持ち上げる競技で、パワーリフティングという種目があるのを知っていますか?ウエイトリフティングは頭から上にバーベルを持ち上げますが、パワーリフティングは頭から上に持ち上げることなく競うもので、パラリンピックの競技として採用されています。出産後にパワーリフティングに出会い、日本記録を作った女性がいます。その夫でライターの中森勇人さんに、妻の活躍を綴ってもらいました。(写真提供◎中森さん 以下すべて)

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お風呂の脱衣所で日本記録達成を知り


妻の小林和沙(40歳)がパワーリフティング競技で日本一になり、同時に日本記録を達成したことを知ったのは、3歳の娘を自宅のお風呂の脱衣所で拭いていたときのこと。
大会の様子はライブ配信されていたのですが、現地のネット環境が悪くフリーズのオンパレード。見ていてもイライラが募るばかり。もう夕方だし、「お風呂に入ろう!」と。

そろそろ結果が出たのではと脱衣所から電話をかけると「優勝したよ」と。
その日、妻は全日本パワーリフティング選手権大会(マスターズクラシック部門)に出場するために長崎県対馬にいました。

午後3時ごろから出場となったので早速パソコンの電源をオン。3歳の娘と9歳の息子は応援のためパソコンの前でライブ映像に釘付けでした。
序盤戦、途切れ途切れになる画面から、首位との差が20kgもあることがアナウンスされて、苦戦していることがわかります。

パワーリフティングには3種目あり、肩に乗せてしゃがみこんでから持ち上げる「スクワット」、仰向けに寝転んだ状態で持ち上げる「ベンチプレス」、床に置いたバーベルを持ち上げる「デッドリフト」があります。その3種目の合計重量で優勝を競う競技で、1種目につき3試技を行い、1試技目から順に自己申告で重量を増していくのです。

アドバイス後、不安に駆られていた


1試技が終了する度に次の試技での重量を決めるルールになっていて、この駆け引きが勝負の決め手になります。
妻は2種目目のベンチプレスの3試技目が終わり、トップとの差はサブトータルで2.5kg。最終種目のデッドリフトの2試技目でついに追いつきました。

そんな時、妻から電話で「153.5kgを挙げると日本記録だけど、手堅く150kgを申請しようか迷っているんよね」と相談が。子どもたちと湯船につかっていたので慌てて脱衣所に移動。
申告した153.5㎏を失敗すれば、負けてしまうかも知れません。それに同じカテゴリーで歴代誰も成功したことがない重量に挑戦するには躊躇いがありましたから。

私は競技に詳しいわけではないので「勝つために日本記録を捨てるのがいい」とアドバイス。
その後、冒頭の配信のフリーズ状態に至るわけですが、どうやら当日、セコンドの方と電話を繋ぎっぱなしでフォローしてくれていた元世界チャンピオンのふじたひろゆきさん(2010年世界ベンチプレス選手権優勝・17年、19年世界マスターズ選手権優勝)から、日本記録に挑戦するようにとの指示があり、153.5kgを選択したようです。

その結果、日本記録達成&逆転優勝を手に入れるのですが、妻の度胸はアッパレ。
実は、僕自身は電話を切った後に「ああ、この判断でよかったんだろうか?」と不安に駆られていたんです。だから、優勝の知らせを受けたときは、よくぞ僕の意見を聞き流してくれたと(笑)。それでも大事な場面で自分を頼りにしてくれたことは嬉しかったですね。


(Photo Hiroki Nishioka)

20歳も開いているとは露知らず


妻と私は20歳差婚です。
16年前、妻が20代のころに知り合い、当時バツイチだった私と付き合い始めました。
当時、妻は100円ショップの店長をしていて、私は常連客の間柄。

僕はなぜか妻のことを実年齢より10歳くらい上だと思いこみ、妻も私のことを実年齢より10歳くらい下だと見ていたようで、お互いまさか20歳も開いているとは露知らず。
僕が彼女をラーメンに誘ったことをきっかけに付き合い始めたのですが、一緒にいると歳の差は何処へやら。

そして彼女は日本記録に挑戦するほどの肝っ玉で、しょぼくれた40代のおっさんに生きる希望を与えてくれたのでした。

というのも、僕はその時、前妻の元にいる娘に会わせてもらえないことからウツになったり、取引先の社長に商品を持ち逃げされて倒産したりで「もう、生きていくのがしんどい」ってなっていたから。

そういう意味では、妻は命の恩人なんですね。


(Photo Hiroki Nishioka)

パワーリフティングを始めたきっかけ


話をパワーリフティングに戻しましょう。

妻がパワーリフティングを始めたのは今から1年ほど前のこと。
ちなみに始めて1年での日本チャンピオンは非常に稀なことらしく、関東近郊で開催される大会のライブ解説者には「剛力王」なんて言われているみたいです。

さておき、筋トレの「き」の字もやってこなかった妻がなぜ選手になったのか。きっかけは私が持ち帰った月2,000円で通える公営ジムのチラシ。妻は「産後太りをしないように通ってみようかな」と休日や仕事終わりに利用するようになりました。

通っているうちに仲良くなった、現在は引退した元パワーリフティングの選手の方からかけてもらった「小林さんに向いていると思うよ」の一言で、何かのスイッチが入ったようです。
あと、職場の人間関係で悩んでいたことや、社員にも関わらす閑職に追いやられていたことも、彼女の背中をおしたきっかけだったそうです。
歳の甲といいますか、やはりその時も僕は相談を受けました。

もう、四半世紀くらい前になりますが、僕はサラリーマン時代に会社からリストラを受けたことがあり、著書にもその体験をまとめています。そのことを引き合いに出して、「どんなことがあっても辞めなければ光は刺す」とアドバイス。
僕自身、肩たたきをされたりリストラ部屋に閉じ込められたりしながらも、500日にもわたって会社の嫌がらせと闘った経験があるので、その話は重みがあったと思います。

ちなみに僕の場合は会社から謝罪があり、元の職場に復帰。その5年後にはもうサラリーマンは卒業しようとフリーになって今に至ります。


(Photo Hiroki Nishioka)

同じジムで一緒にトレーニングも


他にも、僕が懇意にしている占い師に妻の窮状を打ち明け、方向性を教えてもらったこともありました。

鑑定結果は「ジムがストレスの発散になっていると出ています。仕事は現状維持くらいにしておいて、趣味と健康維持に努めると、異動により環境がマシになるでしょう」とのこと。
そしてこのアドバイス通りにジム通いに勤しんでいたところ、ほどなくして異動。大変働きやすい環境になりました。
今の店舗はパワーリフティングにも理解があり、大会日程に合わせて休みが取れるのだそう。
一時期悩んでいたときに比べると雲泥の差。一概には言えませんが、やはり辞めずに踏ん張ることも、大事ですよね。現在妻は、パートさんとの関係も良好で店舗責任者として楽しく働いています。

もちろん家族もパワーリフティングには全面協力。

僕はよく周囲から、お子さんの面倒も家事も大変ですよね、と言われます。正直、還暦で小学4年と幼稚園の年少さんのお世話は疲れます。

幼稚園の送迎のために、下の子を自転車のチャイルドシートに乗せるときグキッってなったこともありました。でもご安心を。最近は妻に触発されてほぼ毎日、件の公営ジムで2時間ほど汗を流しているので、腰を痛めることもなくなりました。

妻のおさがりのベルトやアームバンドを使い、時々ですが、同じジムで一緒にトレーニングをしたり。
おかげさまで腹筋が割れるくらい鍛え上げることができ、今では坂道も荷物の上げ下ろしも苦になりません。

ジムに通い始めてから気が付いたのですが、スミスマシンというバーベルをレールに沿って挙げられるものがあり、「ああ、妻はこれがきっかけでパワーリフティングに目覚めたんだな」と。これなら初心者でも安心してバーベルを挙げられます。
その隣には、ベンチプレスもあるので元パワーリフティングの選手の方に手ほどきを受けたんだなー、なんて思い返したりしています。


(Photo Hiroki Nishioka)

絶対ケンカなんてできません(笑)


そんな私の子育てのモチベーションは、1回目の結婚のときの後悔からきています。
仕事人間だった私は、残業に休日出勤は当たりまえ。子育てに参加することはほとんどありませんでした。
今、思うのは「子どもの一番かわいい時期に関わらないなんてもったいない」です。
そのときの時間を取り戻すように毎日、子育てを貪っています。

そして、家事は家電でカバー。
私が現代の三種の神器と呼んでいるロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機、自動食器洗い機はほんと役立ちます。
男の家事は、家電失くしては語れません。
あと、家電量販店でパートタイムをしていることも追い風に。
家電について詳しくなりますし、従業員販売で安く買えるので助かっています。

妻をサポートするモチベーションは、記録とメダル。
新人戦のときから東京都記録を取るなど連戦連勝で、今まで獲得したメダルの数は10を超えます。メダルをもらってくるたびに、子どもたちの首にかける姿はほほえましい限り。


(Photo Hiroki Nishioka)

もちろん日々の練習は欠かしません。
毎日、ベルトや靴、ニースリーブ(膝に着けるギア)が入ったウーバーイーツの配達員並みの大きなリュックを背負い通勤。
仕事終わりに24時間ジムで150kgレベルのバーベルを繰り返し持ち上げています。
私もジムでバーベルを持ち上げますが、せいぜい40kgまで。
よく100kgオーバーのバーベルなんて挙げられるよなって感心しています。
いやー絶対ケンカなんてできませんよ(笑)。だって、40kgと150kgの差では勝ち目はありませんから。
おかげさまで夫婦円満です。

強くなる為の5つの秘訣


妻曰く、強くなるには5つの秘訣があるのだとか。
一つ目は、ライバルや目標になる人を設定しないこと。

大谷翔平選手が『憧れるのを辞めましょう』と言ったのは記憶に新しいですがまさにそれ。目標は自分を超えることで、昨日を上回る重量を上げることです」

二つ目は、本格的にスポーツを始めたのが遅かったこと。
「スポーツやってきた人あるあるなのは筋トレが辛いという考え方。〈筋トレしないと強くなれない〉という強迫観念から嫌いな人が多いようです。でも、私は最初から筋トレが楽しかったのでジムは楽しい場所。そんな感じだと強くなれないという人もいますが、結果を出しているんだからこれでいい!」

三つめは、記録保持者だからと天狗にならないこと。
「今回の優勝もそうですが、これは通過点に過ぎません。ポイントは素直に謙虚に教えてもらうこと。私はインスタやXにトレーニングの動画をあげているのですが、これを見て『フォームはこうしたほうがいい』とか『ケガをしないようにはこう』とかいろんなご意見をいただいて参考にしています。合同トレーニングをしませんかとのお誘いもありますが、『私より弱い人はお断り』って(笑)。これは、変な人からのアプローチ除けにもなっています」

四つ目は、トレーニングの記録をつけないこと。
「ジムでよくどの種目で何キロ、何セットなどのトレーニングの記録をつけている人を見かけますが、あまり意味がないのではと。それより事前にやるメニューを決めて、例えば使用するプレートの組み合わせを計算しておくとか。私は1回挙げるのに10枚くらいのプレートをつけますので計算が欠かせません。なので事前にこうしておけば練習に集中できますし、時間の節約にもなります」

五つ目は、ジムで目立つ存在になること。
「女性が結構な重量を上げているだけで目立ちますが、見られているからこそ、ウエアはいつも勝負服でバッチリ決めています。これは注目を集めることで、試合と同じ緊張感を日々体感できるから。もちろん競技会や大会でも、自分のイメージカラーの緑のシングレット(吊りパン)と大会前にグリーンに染めた髪で目立ちまくっています(笑)」

一周回って、「力持ちキャラ」に


妻にここまでパワーリフティングにのめり込んだ理由を聞くと「子供の頃から色々趣味とか特技とか模索して、ずっと向いているものが見つからなかった。でも40歳になって初めてそれが見つかったからただ愚直にやっているだけ」との答えが。

妻の体格は今鍛えてることもありガッチリしているのですが、小学生の頃からそうだったとか。
昭和の子どもは、男らしさ、女らしさを求められ、女の子なのに「力持ちキャラ」と言われるのが恥ずかしかったのだとのこと。

なので、手芸部や吹奏楽部に所属。ところが吹奏楽部ではフルートがやりたかったのに、体格が災いしてテナーサックスの担当に。
その後、足が速かったので陸上部でスプリンターになろうと試みるも、砲丸投げを勧められたため入部を断念。

大学生になり、化粧映えすることが分かり、一躍モテるように。
女性がバイク乗りだとかっこいいのではと乗り始めるも、イマイチ興味がわかず、ただの移動手段と化したとか。

社会人になり、ベリーダンスを始めますが、いくら練習しても上手くならない。自分には音感がないと3年でリタイア。

そしてパワーリフティングとの出会いがあるのですが、「時代の多様性が追い風になっている」と妻は話します。
ようやく自分の「力」が生かせるとも。
強い女性が受け入れられる、むしろカッコいいとさえ言われる社会。
SNSでもアンチはいないようで、大会や練習中のバッチリメイクやおしゃれファッションにも手ごたえを感じているのだそう。

一周回って、「力持ちキャラ」に戻ったと笑う妻。
筋肉が隆々と盛り上がった背中を見るにつけ、「この人についていこう!」と思わされます。 (笑)
妻は来年開催される「アジアンパシフィックアフリカ大会」への出場が決まっています。
「日本一の力持ち」が世界一になれるように、夫としてこれからも応援していきます!


(Photo Hiroki Nishioka)

【小林和沙】
1983年生まれ
2023年5月パワーリフティングデビュー
全日本パワーリフティング選手権大会マスターズクラシック部門優勝
全種目東京都記録保持
デッドリフト全国記録保持153.5kg
2025年開催のアジアンパシフィックアフリカ大会出場権獲得
推し種目デッドリフト
女子力とバーベルをあげるのが趣味
好きな言葉 思い立ったが吉日
目標 強い美人
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