2020年、ヒトの移動が大幅制限された歴史的意味

10月10日(土)6時0分 JBpress

 2019年12月に武漢で初めて確認された新型コロナウイルスは、翌年3月にはWTOによりパンデミック宣言が出されるほど、世界中に拡散しました。それこそ、あっという間に世界中に広まったのです。

 第43回連載で扱った14世紀半ばのペストがヨーロッパ全土に広がるまでに7年間かかったことを考えれば、コロナ拡散は驚異的なスピードです。グローバリゼーションが進み、世界が一体化し、人々の移動スピードが速くなれば、どこかの地域で発生した疫病が、瞬く間に世界中に広まることが、新型コロナウイルスの例によって誰の目にも明らかになりました。それまで世界中を頻繁に移動していた人たちも、移動することをやめなければなりませんでした。

 人類は古くから「移動すること」を生業(なりわい)としてきました。その人類が、自らの意志で、一時で気にではあれ、移動することを世界規模でストップさせたのは、歴史上初めてのことになるでしょう。

 そこにはいったいそのような意味があるのでしょうか。今回は、それについて考えたいと思います。


人類は「移動」を好む種

 人類の一部は、今から7〜5万年前に、生まれ故郷であるアフリカを脱出する「出アフリカ」を成し遂げ、世界中に住むようになりました。他のどのような種でも、これほど広範囲にわたって移動したものはいなかったと思われます。したがって「移動」という行為は、実は人類の特徴をもっとも的確に表しているのです。

 ヒトが移動すると、モノや情報が移動します。モノが大量に入手できると、ヒトは豊かさを増します。移動を促進するために、国家は道路網を整備します。ヒトの移動の中心になる場所は情報拠点になるばかりか、文化の発信地にもなります。

 出アフリカでは主として徒歩によって移動していた人類は、大航海時代から19世紀初頭にかけては帆船によって、それから20世紀中頃までは蒸気船によって、さらに現代では飛行機によって移動するようになりました。以前なら、一生かかっても到底移動できないような長距離を、現代ではわずか一日で移動することができます。

 こうしたテクノロジーの発達によって、ヒトの「移動する」という行為はますます大規模、高頻度、長距離化していったのです。


夢のような話だった『八十日間世界一周』

 出アフリカとは、数万年かかって人類が世界に広まった過程です。多少強引ですが、これを世界一周する過程とみなすなら、それには数万年かかったことになります。

 そのスピードは、海上ルートの使用が始まると大きく縮まります。スペインのマゼラン一行は、1519〜1522年に世界一周就航を成し遂げます。マゼランは、残念ながらその途中、フィリピンで現地人に殺されてしまいますが、世界一周には、3年ほどしかかからなかったことになります。

 世界は、出アフリカから大航海時代の間に、これほどまでに縮まったのです。それは、まさに驚くべき変化でした。世界は、一挙に一体化することになりました。

 さらに蒸気船と鉄道の発展で、世界はもっと縮まることになります。それを著したのが、フランス人ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』です。

 この物語の主人公フィリアス・フォッグ卿は、1872年、80日間で世界を一周することにチャレンジしました。その旅程の予定は、次の通りです。

・ロンドンからスエズまで、モン・スニ峠(フランスのサヴォワ県にあるアルプス山脈の峠)およびブリンティジ(イタリア)経由。鉄道ならびに郵船で・・・7日
・スエズからボンベイまで、郵船で・・・13日
・ボンベイからカルカッタまで、鉄道で・・・3日
・カルカッタから香港まで、郵船で・・・13日
・香港から横浜まで、郵船で・・・6日
・横浜からサンフランシスコまで、郵船で・・・22日
・サンフランシスコら、ニューヨークまで、鉄道で・・・7日
・ニューヨークからロンドンまで、郵船および鉄道で・・・9日

 フォッグらは、郵船と鉄道で移動しています。郵船とは、郵便を運ぶ船舶ですが、同時に人間も乗せました。その郵船のネットワークが、世界の多くの地域に拡大していたこともわかります。

 この当時、理論的には80日間で世界一周が可能になっていたのでしょう。その原動力となったのは、蒸気船と鉄道の発達でした。しかしまた、このどちらも、必ずしも定時に運行するとはかぎらなかったことも物語では描かれています。移動には予見し難いことが多く、そのための通信手段として、電信がしばしば使われています。情報を迅速に伝える手段として、電信はだんだんと人々の生活の中に入り込んでいったのです。

 現在なら、日本から地球の反対側のブラジルにはほぼ24時間の飛行時間で到着します。3日間あれば、世界のどこからであっても、世界のどの場所にも到着することが到着することができるのではないでしょうか。

 世界一周は、出アフリカでは数万年かかっていたのが、飛行機であれば数日間で済むようになりました。世界は、信じられないほど狭くなったのです。


突出した情報伝達のスピード

 一般に、ヒトは定住地で文明を築きます。六大文明は、すべて定住した人々が創始したものです。それが伝播するためには、ヒトは移動する必要があります。

 当初は文字がありませんから、文明に関する情報は「発話」によって伝えられました。文字ができても、そもそも文字を読むことができる人々が少ないので、「発話」による情報の伝達が中心だったと思われます。

 文明ができるということは、陸上文明に限定するなら、都市が誕生するということです。言い換えるなら、農業生産性が上昇し、農業に従事しなくてもよい人々が出現するということです。食料生産に従事しない人々は、政治や祭祀、商業や工業、芸術などを生業とすることができました。そこで文明は高められます。

 また農業生産性が上昇すれば、それを他地域に輸出することができます。さらに農業の合間に作った商品、あるいは都市に住む人々が作った商品を他地域で販売します。そのためにはヒトはモノとともに移動しなければなりません。

 さらに、ヒトは商品や農業など関する情報を他地域へと知らせます。それは、徒歩であれ、馬に乗ってであれ、必ず人間が媒介となって知らせました。技術や情報の伝播は、人間が移動するスピードよりも決して速くはなかったのです。それは、非常に長期間にわたって変わりませんでした。馬は人より速く走ることができますが、人が乗っていないと目的地につくことはできません。

 船舶による移動も、これを変えたわけではありません。帆船は、予定されている港にいつつくかわかりませんでした。船が到着して初めて、現実に船が難波することなく港に到着したことが明らかになります。こういう状況は、『八十日間世界一周』にも登場した、電信によって大きく変わります。

 電信は、1880年代に世界の多くの地域を覆うようになりました。その多くは、イギリスの会社が敷設したものでした。電信により情報の伝達スピードは劇的に速くなりました。しかも人間を介さずに情報が送られるのでローコストです。情報伝達の世界は、電信により一変したのです。

 これは、まさに革命的な出来事でした。


「ヒト、モノ、情報」のうち、ヒトの移動だけが急停止

 ヒトとモノと情報の移動は、かつてはセットになって動いていました。長期的に見れば、この3つは比例的に上昇していきます。

 交易が盛んになるにつれ、多くのモノが移動します。運搬手段は、ロバや馬車、それが船舶や鉄道、自動車や飛行機が使われ、移動するモノの量も飛躍的に増大しました。もしも現在、モノの移動をなくしてしまえば、世界中で経済がパニックを起こし、餓死する人も出てくるでしょう。モノの移動は人類の生活に不可欠なものなのです。

 情報の移動に関しては、人の発話から始まって手紙・郵便、書籍や新聞の発行、電信や電話、ラジオやテレビという具合に大きく発達してきましたが、さらにインターネットの出現で超革命的な変化が生じました。世界中のどこへでも瞬時に、そして複雑で大量の情報も届けることができるようになりました。

 今やインターネットがなければ、われわれは生活できません。そもそも、必要な商品すら購入できないかもしれないのです。今後、5Gの本格的な普及によって、情報伝達の世界はさらに一変するでしょう。

 一方、人の移動はどうでしょうか?

 航空機の時代になり、さらにLCCの増加によって、空を使った高速の移動はローコストで可能になりました。ところがこのヒトの移動が、2020年、突如として滞ることになってしまいました。もちろん新型コロナウイルス感染症の拡散を防止するためです。

 ヒトの移動が感染拡大の原因となることが誰の目にも明らかになった以上、これまでと同様のペースでヒトが世界中を移動することは、もはや無理なのかも知れません。

 その代わりにわれわれは、情報伝達をより高度化しようとしています。今年になり、オンラインを使っての会話や会議、授業の機会が急激に増大しました。これも新型コロナウイルスの蔓延によるものです。この傾向は、今後も続くものと思われます。私たちは、ヒトの移動がかなわなくなった代わりに、情報伝達の技術を発展でそれを補おうとしているのです。個人のレベルでいくぶんかの困難や摩擦はあるでしょうが、移動できない不利益を何とか乗り越えようとしています。

 ヒトとモノと情報の移動は、もはや三位一体ではなくなっています。ヒトの移動は今後も何らかの制限がかかる可能性があるからです。一方、モノの移動がなくなるとヒトは生きられませんので、モノに伴って移動するヒトの数を減らしながら、効率的なモノの移動を追求していくことになるでしょう。

 情報については、ヒト同士が直接対面しなくても、コミュニュケーションがとれる時代が当たり前になるのではないでしょうか。もちろん直接会わないと話が進まない場合もあるでしょうが、技術の発達によってその回数を減らすことは可能です。

 こう考えると、2020年、私たちはこれまでのように頻繁なヒトの移動を伴わない経済発展を目指す時代に突入したのかもしれません。そのためのシステムの構築こそ、今後の社会にとって非常に重要なものになるものと思われます。

筆者:玉木 俊明

JBpress

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