めっちゃディープな町が【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その11

10月11日(金)7時0分 鉄道チャンネル

武庫川駅を出発しました。でも記憶に残っている車窓は高架線ではありません。

考えて見たら、1983年(昭和58年)に関西の映像制作会社に就職した時に何度か往復したのが阪神電車に乗った最後かもしれません。それから、って35年以上経てば、そりゃ風景が変わっていても仕方がないですよね。(笑)

武庫川駅から1.2kmで尼崎センタープール前駅。競艇場があります。ここの駅も記憶では高架駅ではありません。

島式ホーム2面4線の上り側に臨時用の単式ホームもあります。高架化される以前は、駅前にテキヤのおっちゃんたちが店を並べていて、小さな広場がありました。子供の頃は。その魅力的な煙の上る広場に行きたくて仕方なかったものですが、もちろん親からは厳禁でした。今は昔。(笑)

駅名標。後は南(海)側ですが、北側は磨りガラスでホームから競艇のレース観戦ができない様になっていました。何か理由があるのかな?ホームから観戦されては困るから?昔は、金網越しに競艇場が良く見えましたが。

1952年(昭和27年)に臨時駅として開業しています。1994年(平成6年)尼崎市内連続立体交差事業で高架化されました。

高架線が続きます。ディープな街並みが見えないのが淋しいなぁ。(笑)

0.7kmで出屋敷駅。

あ〜あ! ここも昔の面影が全く無い高架駅です。この駅から尼崎にかけて、めっちゃディープな町が広がっていましたが、何やら再開発でクリーンになったり、露天・小店をやっていた方々の高齢化ですっかり寂れてしまったというお話しです。映画「下妻物語」(2004)でもちょっと大袈裟に「ジャージを着て生まれ、育ち、ジャージを着て死ぬ町」などと紹介されていました。偽ヴェルサーチのジャージ!(笑)

駅名標。1905年(明治38年)開業。先に紹介した戦前の武庫川線と繋げる計画で尼崎海岸線という路面電車が、1929年(昭和4年)この出屋敷駅から尼崎臨海工業地帯への労働者の足として開業しました。東浜駅までの1.7km。しかし戦後になって第二阪神国道建設に際して、これを横切る尼崎海岸線を立体化するのはコストに見合わないとして廃線されてしまいました。その見返りに、臨時駅だった尼崎センタープールが常設駅に格上げされたのです。出屋敷駅も尼崎市連続立体交差事業で1994年(平成6年)に高架駅になりました。

尼崎えびす神社の赤い大きな鳥居を見てホッとしました。1958年(昭和33年)建立。この車窓は子供の頃と変わりません。

面白いのは阪神間の裕福な商人の娘だった母親と、野田阪神・下町の町工場の次男だった父がとても仲の良い夫婦だったことですね。生活感の格差を二人はよく笑っていました。筆者の子供の頃は母方の祖父が派遣した「お手伝い」さんが狭い社宅に住み込んでました。彼女の日本海側の実家に連れて行ってもらった時は、それはそれは楽しかった! もの凄い田舎で、雪の降る日本海がすぐ目の前にあって、囲炉裏端で家族全員が御飯を食べて、そのまま囲炉裏端で全員で寝たのです。家の外にある真っ暗なトイレがスゴク寒かった。(笑)

では 【私鉄に乗ろう94】阪神電車 その12 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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