40年にわたるイヴ・サンローランの歴史、その時代の最先端を体現した美と情熱

2023年10月13日(金)12時0分 JBpress

文=中野香織 撮影=JBpress autograph編集部


ジャンル別にたどる豊饒な美の世界

「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」が国立新美術館で開催されている。イヴ・サンローランの没後、日本で初めて開催される大回顧展である。約40年にわたるイヴ・サンローランの歴史を、ルック110体を含む全262点によって全方位的に見せる。

 アイコニックな作品、想像上の旅、舞台芸術、花嫁たち、日本との関わりなど全12章から構成される。イヴ・サンローランが現代にまで続く女性の普遍的なスタイルをもたらしたこと、ファッションを通して世界とつながっていたこと、服装を通して社会変革をもたらしたこと、高度経済成長期の日本の文化とも関わり、影響を与えてきたことなど、様々な角度からサンローランの功績を見直すことができる。

 各章それぞれの見どころについては、展覧会公式HPでも詳細に紹介されているのでそちらをご覧いただくとして、ここではファッション史の学徒として刺激を受けた第5章「服飾の歴史」についてとくに記しておきたい。

 この章では、イヴ・サンローランによるファッション史の解釈が堪能できる。古代ギリシアから1940年代まで16体。各時代の本質的な特徴を1970年代〜2000年代のサンローランが再構築し、同時代にも新鮮な感覚で通用するファッションとして蘇らせた。

 古代ギリシアの左右非対称のドレープ、中世のパゴタスリーブ、ロココのパニエ、19世紀末のバッスル、20年代フラッパーといったエッセンスを、イヴ・サンローランが、懐古趣味に陥ることなく、ヴィヴィッドに花開かせている。

 バッスルがミニスカートとしてアレンジされる独創的な大胆さときたら。たしかに当時の最先端、ヒップを強調するバッスルを誇らしく着用していた19世紀の貴婦人は、1990年代ならこういう気分だろうなと思えてくる。ファッションの歴史に敬意を払いながら、それを用いて完全にイヴ・サンローラン印の世界観を創り上げているのだ。

 さらに、歴史を抱擁する彼の世界観が21世紀の私たちにこうして新しい形で届けられている。そんな風に歴史が天才デザイナーを経て未来へと続いていくことに、心が震える。

 歴史を彩ったファッションは、その時代の最先端の価値観を体現することによって、あるいは時代の価値観に抵抗することによって、最高にエレガントであろうとした人たちの情熱や美意識や創意の表象である。人間らしさの結晶であるようなそんな表象が「古く」なるわけがない、とサンローランは示唆するのである。

 イヴ・サンローランのマジックによって蘇り、フラットに並べられた「歴史的」衣装は、時系列無関係な豊饒な美の世界を現出していた。歴史のエッセンスとイヴ・サンローラン同時代の美意識やテクニックが融合し、新しい解釈で表現された重層的な迫力がそこにあった。


なぜ20世紀のファッション展が面白いのか 

1965年秋冬オートクチュールコレクション 

 それにしても、デザイナー回顧展が続く。2022年にはシャネル展、ディオール展、マリー・クワント展が続き、イヴ・サンローラン展へときて、20世紀に一時代を画したファッションデザイナーの展覧会シリーズがクライマックスを迎えた感がある。デザイナーに焦点を当てた各展覧会はアーカイブを大切に守ってきた人々や学芸員によって魅力的に演出され、ファッションの歓喜と愛にあふれていた。インスピレーションの宝庫だった。

 なぜ20世紀のファッション展が立て続けに開催され、しかもこんなに面白いのか。

 相対的に、ここ30年ほどのグローバリズムのもとに繰り広げられてきたファッションの情景が浮かび上がる。大量に資本を投下される世界戦略。ストリートやスポーツなど、別のカルチャーシーンとのコラボ。セレブやインフルエンサーとの連携。売れる小物の強化。多様性とは口ばかりのプラスチックなルッキズムの横溢。本質的な創造とは次元の違うマーケティングの世界でファッションが語られるようになっていった。

 増えるコレクションに対応するためデザイナーは疲弊し、デザイナーを駒として使う背後のプレイヤーたちは、ますます富み栄えていった。高度資本主義のもとで利益を上げ続けることが求められるビジネスにおいては、必然の成り行きだったのだろう。

 少なくとも20世紀まではこうではなかったはずだ、という多くの人のやり場のない思いが、創造性によって君臨し社会を動かしたデザイナーたちの本質に立ち返ろうという形で回顧されているのではないかと考えたくなる(もちろん、現代にも続くブランドのブランディング強化のためである場合もあり、一概には言えない)。

 いま若い人たちの間で70年代や80年代のヴィンテージを着るブームが起きていたり、20世紀に一世を風靡した製品の復刻版を生産・販売するビジネスの動きが生まれたりしている。人を幸福にするデザインの力が迷走しているゆえに、歴史に希望が見いだされているということもあるかもしれない。懐古趣味ではなく、フラットなインスピレーションの源泉としての歴史のなかに。

 展覧会で素通りせずにじっくりご覧になっていただきたいのが、最後の部屋の映像である。サンローランのキャリアをたどる映像のなかに、1998年、FIFAワールドカップの決勝戦直前にサッカースタジアムでおこなわれたショーの一部も流れている。五大陸から、肌の色も髪の色も違うそれぞれに個性的な300人のモデルが集まり、サンローランの300着のドレスやスーツをまとい、ラベルの「ボレロ」に合わせて会場を歩く。

 最後は、スタジアム中央に描かれた「YSL」のロゴの上に300人が立つのだ。「ボレロ」の劇的なクライマックスと300着のサンローランを着た300人のモデルがぴたりと重なるフィナーレは、サンローランがファッションによって五大陸の人類を統合した瞬間に見えて、何度見ても鳥肌が立つ(このショーだけを別で全編、流してほしかったくらいだ。ピエール・トレトン監督の2010年版イヴ・サンローランのドキュメンタリーにはフルバージョンが収録されている)。ショーの後におこなわれた決勝戦では、フランスが勝利した。

 どんな肌の色であっても、髪の色であっても、人類は、等しく美しい。美しいから、僕の服を着せたい。そんなデザイナーとしての願望を実現することで多文化共存主義を推し進めようとしたサンローラン。その後、半世紀経って、理想はまだ、宙に浮いている。

©️ Musée Yves Saint Laurent Paris

筆者:中野 香織

JBpress

「時代」をもっと詳しく

「時代」のニュース

「時代」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ