LSDで洗脳実験を繰り返したCIAの天才科学者とは? MKウルトラ、カストロ暗殺計画にも関与

2022年10月16日(日)14時0分 tocana


 1999年3月7日、米バージニア州ワシントンで化学者のシドニー・ゴットリーブ(当時80)が死亡した。


 ゴットリーブは中央情報局(CIA)に勤務し、人心をコントロールする方法を開発する目的でさまざまな薬物を用いた人体実験を繰り返した。冷戦時代にフィデル・カストロを殺害するための毒物をCIAに提供したとされる。


薬物とセックスの関係性を調査する実験

 味方からも敵から「天才」として一目置かれていたゴットリーブは、LSD(幻覚剤)をCIAに持ち込んだ男として知られる。


 1950年代〜1960年代初頭にかけて、CIAは人間の意識をコントロールする可能性を探るため、精神に影響を与える薬物を何百人ものアメリカ人に使用した。モルモット扱いされたのは、精神病患者、囚人、麻薬中毒者、売春婦など、抵抗できない人々が多かった。あるケースでは、ケンタッキー州の精神病患者が174日間連続してLSDを投与されたと報告される。


 このような人体実験の一つとして「ミッドナイトクライマックス作戦」が有名である。1954年にゴットリーブによって開始された同作戦では、CIAの資金提供の下、カリフォルニア州サンフランシスコの売春宿を舞台に、何も知らない一般市民の男性を対象とした薬物実験が行われた。薬物とセックスの関係性を調査するのが目的だったとされ、作戦の成果は10年間にわたってCIAのLSD研究を後押しする役割を担ったという。


同僚にLSD入りカクテルを飲ませる実験

 1953年11月18日、MKウルトラ計画(CIAによる極秘洗脳実験)を運営していたCIAの科学者と、特殊作戦部門の陸軍科学者が集まって会食した。このとき、ゴットリーブは食後のカクテルにLSDを混入し、同僚たちにそれを飲ませた。同僚の一人である生物兵器科学者、フランク・オルソンもLSD入りカクテルを飲み、翌朝には精神病のような症状が現れ始めた。そして、同月28日、妄想と絶望に襲われたオルソンはホテルの10階から飛び降りて死亡した。


  1975年6月、オルソンの遺族は、科学者が囚われて薬を飲まされたらどうなるかを調査するための実験として、オルソンらがLSDを飲まされたことを知らされた。遺族はジェラルド・R・フォード大統領から個人的な謝罪を受けた。また、75万ドルの和解金を受け取り、米国政府に対して訴訟を起こさないことを約束した。


 一方、息子のエリック・オルソン氏は政府の説明を決して受け入れなかった。2002年8月8日、エリック氏は自宅に記者団を呼び、父は、MKウルトラ計画や生物兵器に関する情報を漏らしかねないと判断され、口封じのために暗殺されたと述べた。



カストロ暗殺にも関与したマッドサイエンティスト

 ゴットリーブは1918年8月3日、ハンガリーからの移民の息子としてニューヨーク市で生まれた。両親はユダヤ人でだったが、ユダヤ教を受け入れず、不可知論や禅仏教などに傾倒したとされる。


 ゴットリーブはニューヨーク市立大学とアーカンソー工科大学を経て、ウィスコンシン大学で1940年に化学の学位を取得して卒業した。その後、カリフォルニア工科大学で生化学の博士号を取得した。1942年には長老派教会の宣教師の娘、マーガレット・ムーアと結婚した。


 内反足によって第二次世界大戦中の徴兵を免れたゴットリーブは、農務省、食品医薬品局、全米研究評議会を経て、1951年7月13日からCIA勤務となった。2年後にはMKウルトラ計画を運営し、CIAの技術サービス部門の責任者として、CIAの最高機密事項に関与する上級科学者を20年間務めた。LSD実験を主導したゴットリーブ自身もLSDを何百回も使用したという。


 ゴットリーブはCIAの暗殺計画にも関与していた。アイゼンハワー政権とケネディ政権の下では、コンゴの左翼指導者パトリス・ルムンバやキューバの革命家フィデル・カストロなどを暗殺するための毒物を開発したが、いずれも成功しなかった。


 1973年にCIAを退職したゴットリーブは、妻とともにオーストラリア、アフリカ、インドを旅行し、インドでは18カ月間ハンセン病患者のための病院を経営した。また、吃音症であったことから、言語療法の修士号を取得した。帰国後はバージニア州カルペパーで古い丸太小屋のある土地を購入し、フォークダンスとヤギの飼育を楽しみながら生活した。夫婦の間には2人の息子と2人の娘がいる。


 1975年10月7日、ゴットリーブは「ジョセフ・シュナイダー」という別名で、CIAなどの犯罪を調査する教会委員会で証言した。この証言では、MKウルトラ計画などに関する情報を明らかにせず、CIA時代のほぼすべての記録を破棄したと述べた。ゴットリーブは犯罪で有罪判決を受けたことはなく、歴史的研究でも彼の名前はほとんど言及されていない。


 晩年のゴットリーブはバージニア州ワシントンで過ごし、ホスピスで働きながら終末期患者の世話に尽力した。1999年3月7日に自宅で息を引き取ったが、残された妻は夫の死因を明らかにすることを拒否した。


 CIA時代にゴットリーブが行った実験の数々は人道的に到底許されるものではない。しかし、その背景には、米国が冷戦で勝ち残っていくことを願うゴットリーブの愛国心があったとされる。ゴットリーブも国家に人生をもてあそばれた被害者の一人だったのかもしれない。


画像は、「YouTube」より

参考:「Mad Scientist Blog」、「The New York Times」、「The Daily Mail」、「SPYSCAPE」、ほか

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