世界初「UFO公式調査」は源頼朝の玄姪孫が行った? UFOを目撃した歴史上の大王3選

2022年10月19日(水)17時0分 tocana

 今夜7時に放送される「世界の何だコレ!?ミステリー」(フジテレビ系列)では、鎌倉幕府を開いた源頼朝の死の真相を巡って3つの説が紹介されるが、オカルトファンにとって無視できないもう1つの謎が鎌倉幕府にあるのをご存じだろうか? それは鎌倉幕府第四代将軍である源頼経が専門家に調査を依頼した飛行物体だ。一説には、これこそ日本で初めてのUFO(未確認飛行物体)公式調査とも言われているが、世界を見渡すと教科書に載っているような歴史上の人物が古くからUFOに大きな関心を寄せていたことがわかる。


※ こちらの記事は2021年6月28日の記事を再掲しています。


——超能力、心霊現象、UFO、など、いわゆる「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が知られざる奇妙なインシデントを解説!


 今や世界各地から毎日のように目撃報告が寄せられるUFOであるが、実はその目撃は人類の歴史とともに、古代から連綿と続いてきた。UFOのような図形は、旧石器時代に描かれたスペインのアルタミラの洞窟の壁画にも描かれているし、文書記録としては紀元前1440年頃、古代エジプトのファラオ、トトメス3世の時代に、太陽より明るい火の輪が何日も続けて現れ、やがて空へのぼっていったというものがある。以来歴史文書には、UFOらしき物体についての記録が数え切れないほど残されており、目撃者として名を挙げられた人物には、世界史の教科書に必ず登場する偉人たちや、歴史に名を残す偉大な君主たちも何人か含まれている。今回は、学校の授業が絶対教えない、大王たちのUFO目撃をいくつか紹介しよう。


■アレクサンドロス大王とUFO


 古代マケドニアのアレクサンドロス大王ことアレクサンドロス3世(紀元前356〜323)といえば、20歳で父フィリッポス2世の後を継いで即位した後、東方に遠征し、たちまちのうちに当時の大国ペルシャを滅ぼし、齢30前にして西はギリシャから東はインド国境まで、つまり、当時のギリシャ人の認識にあった世界の大部分を征服した歴史上最大の英雄である。戦闘においては負けることを知らず、その支配地においては東西文化の融合を進め、ヘレニズム文化と呼ばれる独特の文化を生み出した。


 そのアレクサンドロスがUFOを目撃したのは、紀元前329年のことだ。


 時期としては、ペルシャ帝国滅亡後さらに東方に軍を進め、ヤクサルテス川、現在で言えば、カザフスタンやウズベキスタンを流れるシルダリア川で、スキタイ人と戦っている最中のことだ。この時、川の北岸に陣取るスキタイ人の攻撃を受けた大王は、討伐のため渡河を決意した。ところが大王の軍が渡河を始めると、上空に奇妙な飛行物体が現れた。物体は銀の楯のような形で、周辺が炎に包まれていたと伝えられる。大王の時代、つまり古代ギリシャ時代の楯は円形をしていたから、円形の光る物体ということだろう。まさしく現代のUFOのような形である。


 この現象を不吉な前兆と受け取ったマケドニア軍は渡河を翌日に延期したが、渡河後は見事にスキタイ軍を打ち破り、さらに東方へと進軍した。


 ちなみにアレクサンドロスはこれより3年前の紀元前332年、地中海沿岸の都市国家ティールを攻略中に「巨大な海の怪物」なるものも目撃している。つまり、UMAとUFOの両方を目撃したという、この意味でも古来稀な大人物なのだ。そのせいか中世になると、アレクサンドロスが空を飛んだり海の底に潜ったりする、今でいうSFの元祖のような冒険物語も数多く作られた。


■コンスタンティヌス帝とUFO


 次に紹介するローマ皇帝コンスタンティヌス1世ことガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス(207〜337)もまた、ローマ皇帝として最初にキリスト教を信じた人物として、また分裂状態にあったローマ帝国を再統一した偉大な皇帝として、必ず世界史の授業に登場するビッグネームだ。


 そのコンスタンティヌスがキリスト教を信仰するきっかけとなったのが、312年10月28日のミルウィウス橋の戦いであったと言われている。


 ミルウィウス橋の戦いは、コンスタンティヌスが、同じく皇帝を名乗っていたマクセンティウスの軍勢と戦ったもので、戦闘の直前、コンスタンティヌスは太陽の前にギリシャ文字「X(カイ)」と「P(ロー)」の2文字を見た。さらに、「この印を以て征服すべし」という何者かの声を聞いたという。


 ギリシャ語でXとPはキリストという単語の最初の2文字であり、この戦いに勝利したコンスタンティヌスは、この2文字を組み合わせたラバルムと呼ばれる図形を、ローマ正規軍の紋章として定めた。


 コンスタンティヌスが見た文字についてはいくつか解釈が可能であろうが、文字や数字の形をしたUFOは実際に目撃例がある。現代でもアメリカのロバート・ビンガムは、文字型のUFOを召喚することで知られているから、この文字もじつはUFOであった可能性は否定できないだろう。



■カール大帝とUFO


 3人目のシャルルマーニュこと神聖ローマ帝国初代皇帝カール1世(742〜814)もまた、生涯を通じて戦場を駆け抜け、現代のフランスやドイツの大部分をはじめ、スイス、オーストリアなど、中央ヨーロッパの大部分を領有する大帝国を築いた人物だ。これだけ広大な国土であるから、本来の首都であるアーヘンの他にも各地に王宮があり、カールはこれらの場所を行き来していた。


 彼がUFOを目撃したのは810年のことで、このときアーヘンから他の宮殿に移動する途中であったが、そのとき突然、巨大な球体が空から落ちてくるのを見たという。このときは彼の乗る馬が驚いて立ち上がり、皇帝は落馬してしまったという。


 なお、海外では鎌倉幕府第四代将軍九条頼経がUFOを目撃したという話が広まっており、ジャック・ヴァレも著書でこの話を引用している。だが、この話は日本のUFO研究団体宇宙友好協会(CBA)が紹介した『東鑑』の記述が、海外で多少誤解されて広まっているようである。


 鎌倉幕府は、三代将軍実朝が暗殺されて、開祖源頼朝の家系は途絶えたのだが、急遽四代目の将軍に選ばれたのが、頼朝の妹坊門姫の曾孫にあたる頼経だった。頼朝から見て、頼経はおい・めいの孫である「玄姪孫(げんてっそん)」にあたる。そして『東鑑』嘉禎元年(1235年)9月24日の条によれば、謎の飛行物体を目撃したのは陰陽師の安倍資俊である。彼はこの日の未明、星がしきりに逆行して円を描いて回ったと報告したのだ。これを聞いた頼経は、さっそくお付きの学者に調査を命じた。しかし彼らの結論はというと、その時は風が吹いていたので、星が風で飛ばされたのだろう、というものであった。


 この、現代では思わず笑ってしまうような結論は別として、時の最高権力者である征夷大将軍が直々に調査を命じたということになると、世界最初の公式UFO調査ということになるかもしれない。

tocana

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