手紙から見える織田信長のリアル…直筆であることが確実な手紙は永青文庫所蔵の1通のみ、新発見含む60通を大公開
2024年10月22日(火)6時0分 JBpress
(みかめゆきよみ:ライター・漫画家)
永青文庫が収蔵する信長からの手紙が公開
歴史好きならドラマで書状が燃やされるシーンを見て「貴重な史料が!」と叫んだことがあるのではないだろうか。たとえどんな内容でも、そこにはその時代の生きた記録が残されている。公的な文書はもちろんのこと、内容がプライベートであればあるほど、その人物の人となりを想像することができる。
永青文庫では2024年10月5日から12月1日まで「信長の手紙—珠玉の60通大公開—」が開催されている。永青文庫が収蔵する信長からの手紙60通をすべて見られる、歴史好きならたまらない貴重な機会となっている。この60通がどれほどの数字であるかは現在確認されている信長文書がおよそ800通であることからも知ることができるだろう。
永青文庫ではこれまで信長からの手紙が59通確認され、その全てが重要文化財に指定されてきたが、2022年に新たに1通発見され、全60通になった。その全てが本展覧会で展示されるのである。
信長からの手紙が1箇所に60通も残されているところはほかにはない。これほどまでに集まったのは細川忠利の功績が大きいという。
細川藤孝から始まる戦国大名細川家の3代目である忠利は、祖父藤孝、父忠興が信長から受け取った書状をできる限り蒐集し、先代の功を後世に伝えてきた。
いずれも滅亡の憂き目にあった武将であり、忠利の機転がなければ残されることはなかったであろう。歴史好きとしては「忠利公ありがとう」の一言に尽きる。もちろん、それがなせたのは細川家が今日まで続き、貴重な資料を受け継いできたからに他ならない。
織田信長の「人となり」がわかる直筆感状
展示は4階と3階、2階に分かれており、4階は新発見の文書や60通の中でも目玉となる重要な文書が細川家の家宝とともに展示されている。3階は膨大な文書が主だった歴史的出来事の順に展示されており、刻々と変わる戦況をリアルに感じ取ることができるだろう。主な出来事は室町幕府滅亡、一向一揆、長篠合戦、荒木村重謀反、本能寺の変で、激動の10年がギュッと凝縮されて目の前に迫ってくる。
本稿ではおもに4階の文書について触れていくが、全体を通して素晴らしいと感じたのは、全文の解説と翻刻だけでなく、現代語訳が添えてある点である。「貴重な文書であることはわかるけど何が書いてあるかわからない」といったことはなく、歴史をある程度知っていれば現代語訳の内容でおおよそのことがわかるし、解説を読めばどれほど重要な文書であるかが一目瞭然だ。
というわけでまずは今回の企画展の目玉でもある織田信長自筆感状を見ていきたい。信長自筆感状は天正5年(1577)10月2日に細川忠興へ送られたものだ。
細川忠興は信長に反旗を翻した松永久秀の追討軍に参加し、松永方の片岡城攻めで活躍。忠興が戦況を伝える書状を信長に送り、信長はその武功を讃えるために自ら筆を取って返信したという。武将の手紙は主に右筆によって書かれることからも、直筆の貴重さを知ることができるだろう。「さらに励んで働くように。たいへんな手柄であった」と現代語訳が添えられている。45歳の信長が15歳の若武者に宛てた文書だと思って読むとなんとも微笑ましい。自筆と合わせて見ることで、差出人の「その時」のリアルがひしひしと伝わってくる。
この書状が直筆であると確定しているのは、同日に信長の側近の堀秀政が書いた添え状から判明している。添え状には「忠興殿からの手紙を信長様に披露したら自ら書をしたためなされた(意訳)」とある。若輩者に対して「御館様直々の書だぞ。これは貴重なことなんだからありがたく受け取るんだぞ」と含み置いたようにも感じる。
45歳の信長が忠興の武功を聞き、感情を高まらせて直々に筆を取った様子が思い浮かぶだけでなく、それを伝える堀秀政の思いや、受け取った忠興の興奮する様子まで想像できる。もちろんただ感情の赴くままに書いたわけではないのだろう。これからの世を担う15歳に直々に感状を送ること、それ自体の政治的な意図も含めて見るとさらに興味深い文書である。
堀秀政の添え状により信長直筆であることが確定していることから、本書状は他の信長直筆書状を見定める「基準」になっているようだ。同フロアには信長の右筆の書状も展示されているから、筆跡の違いを見比べて見るのもよいだろう。
信長の筆跡はとても大胆かつ奔放で、力強さを感じるものである。あるいは、我々は信長という人の「人となり」を物語などである程度知識として入れているからそう見えるのかもしれない。しかしそういった先入観を抜きにしても、見比べれば信長の大胆さは一目瞭然だ。それほどの「違い」を、実物を見て体感してほしいと思う。
足利将軍家との対立。その生々しさが伝わる新発見文書
本展覧会のもうひとつの目玉が新発見の60通目の信長文書だ。まずはこの文書が出された時代背景と信長と細川藤孝の関係に軽く触れておこう。
信長は室町将軍家の足利義昭を擁立して上洛を果たし、幕府体制を樹立した。しかしそれは長く続かず、信長と足利義昭側近衆との対立が深まってゆく。足利義昭の側近衆であった細川藤孝は信長に通じ、のちに信長の家臣となる。新発見の書状は元亀3年(1572)のものと比定されており、信長がまだ義昭の側近であった藤孝と情報共有しつつ義昭との和睦を模索していた時期のものであるという。
その内容は実に生々しいもので、「今年はほかの側近衆からなんの音沙汰もない。自分に音信をしてくれるのは藤孝だけだ。今こそ大事な時なので、山城・摂津・河内方面の領主を味方に引き入れてください(意訳)」と書かれている。切実な信長の思いが綴られており、いかに信長が藤孝を頼りにしていたのかがこの文書から伝わってくる。
このような時期を経ていることを鑑みると、先の忠興宛の直筆書状が一層輝いてみえる。足利幕府との関係悪化を経て自分の味方になってくれた細川藤孝の嫡男が、自らの配下の武将となり華々しい武功を挙げている。これには信長も筆を取らずにはいられなかったのだろう。歴史は点ではなく線で結ばれているのだということが書状から伝わってくるのだ。
興味深い文書は信長書状以外にも
4階には信長からの書状のほかにも、重要かつユニークな書状が並ぶ。ひとつは細川藤孝の直筆書状。これまで藤孝の書と認識されていなかったが、2023年の調査により発見された。本状が出された時期は藤孝が古今伝授を受けた直後であると比定されており、細川家の歴史の中でも重要な位置付けの書状であると言える。
古今伝授は『古今和歌集』の秘伝とされる解釈を師から弟子へと伝えていくことであり、それを受けた藤孝の教養の深さを伝えるものだ。本状は京都にいる藤孝の家臣・的場甚右衛門らに宛てた手紙で、一向一揆の戦いに赴いている藤孝が遠隔地から差し出したものであるとされている。
的場に家作りを急かす内容から、居城である勝龍寺城に学芸のコミュニケーションの場を造ろうとしていたのではないかという。藤孝は勝龍寺城でも古今伝授を受けているので、勝龍寺城を文芸の場にふさわしいものに変えていこうとしたようだ。血生臭い戦場に立つ武将である藤孝の、教養人としてのもう一つの姿を見せてくれる一通である。
もうひとつは明智光秀からの直筆書状だ。本能寺の変からわずか7日後に書かれたもので、なぜ信長を討つに至ったかが書かれた貴重な史料である。この時すでに藤孝・忠興父子は信長の死を受けて剃髪し弔意を示していた。それに対して光秀は「当初は立腹したが思い直した」と綴っており、率直な感情を吐露している。そのことからも藤孝と光秀は実に密な関係であったことが窺えるだろう。そして自分に味方してほしいと願う光秀の切なる思いや臨場感が伝わってくる。
さらにもう一通、石田三成が忠興に宛てた書状についても言及したい。こちらは筆者が個人的に推したい文書だ。詳しい背景はわからないが、27歳の石田三成が24歳の忠興に、「いいことがあったから金を貸し付ける。忠興もいくらか金子を出資しないか」と提案している書状である。金銭感覚に鋭い三成らしい文書ではないか。
一般的に石田三成と細川忠興は不仲で、関ヶ原においても敵対関係にあったとされることから、若き日の両者がこのようなプライベートなやりとりをしていたということに驚きだ。のちのことを知る我々にとっては切なさすらも感じられる文書である。しかもこの書状は細川忠興が記した「風姿花伝」の裏紙から発見されたという。そのエピソード込みで大変興味深い一通である。
本展示の目玉となる書状を追ってきたが、歴史オタクたちが書状が焼かれるドラマを見て叫び声を上げる理由がお分かりいただけたのではないかと思う。400年以上も前のことが今のことのように伝わってくる生々しさ、臨場感が書状の醍醐味であり、この面白さに気がついてしまうとあとはもう「書状沼」一直線なのだ。もしかしたら発見されていないだけでほかにも面白い書状が眠っているのかもしれない。そう思うとロマンを感じずにはいられないのだ。
書状はその時々の、人の感情の一瞬一瞬を留めてくれるものである。本展覧会は厳つい鎧や得物が並んでいるわけでもない、華々しい合戦屏風絵があるでもない、一見すると地味に見える。そこには紙と、綴られた文字があるだけ。しかしその中には、織田信長と細川家と、それを取り巻く武将たちの切実なるリアルが存在する。繰り返しになるがこれだけのものを後世に残してくれた先人たちに感謝を込めつつ、ぜひその圧倒的な事実を目撃しにいくことをお勧めしたい。
「信長の手紙ー珠玉の60通大公開ー」
会期:開催中〜2024年12月1日(日)※会期中、一部展示替えあり
会場:永青文庫
開館時間:10:00〜16:30 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(10月14日、11月4日は開館)、10月15日、11月5日
お問い合わせ:03-3941-0850
https://www.eiseibunko.com/
筆者:みかめ ゆきよみ