冷蔵庫から猫の首…軍艦島伝道師・黒沢永紀が「軍艦島と池島」を紹介! 遊廓・朝鮮人労働者の裏話や軍艦島のダンジョンも!

2022年10月26日(水)17時0分 tocana

 今夜7時に放送される「林修の日本ドリル」(フジテレビ系列)では、”第二の軍艦島”とも言われている池島が紹介される。2015年に世界文化遺産に登録されたことで、その名を世間に大きく知らしめた軍艦島だが、現在は安全上の問題から大部分が立ち入り禁止エリアに指定されている。一方、軍艦島を約30キロほど北上した場所に浮かぶ池島は、坑道含め島内を広く見学できるとあって観光客からの評判も高く、人気のスポットになりつつあるようだ。


 この2島を巡る『池島散策&軍艦島周遊ワンデイツアー』の就航にあわせて、2018年6月に『軍艦島 池島 長崎世界遺産の旅』(筑摩書房)が刊行された。過去にトカナでは、この本の発売を記念して紹介記事を掲載している。書籍では触れられなかった秘密も明かされているため、いま一度再掲する。


※ こちらの記事は2018年6月27日の記事を再掲しています。


●話題沸騰! 参加者満足度150%の軍艦島&池島ワンデイツアーを書籍化!


 世界遺産の登録で長崎旅行の定番となった炭鉱跡の「軍艦島」とおなじ長崎県にあり、21世紀まで操業した九州最後の炭鉱、池島炭鉱があった「池島」。この2島を1日で巡る究極の産業遺産ツアー『池島散策&軍艦島周遊ワンデイツアー』の就航にあわせて、軍艦島と池島の魅力を徹底解説した書籍が、今回紹介する『軍艦島 池島 長崎世界遺産の旅』(筑摩書房)。著者の黒沢永紀(くろさわ・ひさき)は、約20年にわたって軍艦島を取材し、数多くの書籍やDVDを発表している軍艦島伝道師。2018年からは、自ら企画したワンデイツアーのガイドも務めている。写真には秘境探検家の酒井透も参加したオールカラーのビジュアル・ガイドブックだ。



●早すぎた未来都市 軍艦島


 軍艦島といえばその名の通り、まさに軍艦のように見える外観をご存知の方も多いだろう。世界でも類を見ない唯一無二の島影は、圧倒的な破壊力で見る者に迫ってくる。さらに軍艦島の凄いところは、その見た目だけではない。国内初の鉄筋集合住宅をはじめ、国内初の海底水道、国内初の屋上菜園、国内初の特殊な接岸桟橋など、数々の国内初の挑戦に成功し、最盛期には世界最大の人口密度を誇った島だった。また、炭鉱マンの給料は破格に高く、その裕福さは、家電三種の神器の島内普及率が国内最速だったことからも見てとれる。反面、すべてのインフラとライフラインを外部供給に頼った軍艦島は、現代の大都市にも通じる“早過ぎる未来都市”だったといえるだろう。文明開化の時代にはニッポンの近代化に貢献し、大戦間時代には帝国主義を推進し、戦後復興から高度成長の時代には経済の発展を縁の下で支えた軍艦島は、20世紀のニッポンをそのまま凝縮したような島でもあった。


 そんな凄い軍艦島が、2009年以来観光上陸できるようになったのは嬉しいが、見学できるのは島のほんの一部で、軍艦島をもっとも特徴づける住宅棟群へは、近づくことすらできない。住宅棟群は、往路または帰路の船上から眺めるだけというのが残念だ。また、炭鉱遺産といいながら、炭鉱施設がほとんどなく、爆撃を受けた戦地のような瓦礫を前に、想像力をフル稼働しなくてはならないのも軍艦島の現状である。書籍では、そんな現状をふまえつつ、船上から見える特徴的な物件を中心に、それぞれの物語を解き明かしていく。



●究極の炭鉱都市 池島炭鉱


 かたや池島炭鉱は、高度経済成長のはじめ頃に創業した、国内では最後発にあたる炭鉱で、次々と最新の機器を導入し、完全オートメーション化を目前まで実現した、究極のハイテク炭鉱。実用化世界初の石炭選別機や国内初の海水淡水化装置、そして数々の巨大重機を導入すると同時に、大規模な産業事故とよべるものが一つもなかった池島炭鉱は、いわば国内の石炭産業がたどり着いた究極の炭鉱だった。


 また、炭鉱のシンボルでもある立坑櫓(たてこうやぐら)から発電所、石炭の生産工場や船積み施設まで、すべての炭鉱施設が現存するのは、数多ある国内の炭鉱跡でもこの池島だけ。さらに、炭鉱アパートから歓楽街まで、炭鉱街のすべてがほぼ往年の姿で残る池島は、文字通り、リアルな炭鉱テーマパークだ。


加えて、実際の坑道や、島内を広範囲にわたって見学できるのも池島の魅力のひとつ。近年、植物が盛んに繁茂し、自然に浸食されつつある炭鉱街は稀にみる異空間を現出。どこを切り取ってもインスタ映え間違いなしの、フォトジェニックな光景が人気をよんでいる。また、元炭鉱マンのガイドと一緒に行く坑道は、実際に使われていたトンネル。トロッコに乗って、ちょっとヒンヤリする坑道へ入れば、気分は一気にインディアナ・ジョーンズ。軍艦島と一緒に池島を訪れた観光客の多くが、軍艦島よりも高い評価を下すのも納得がいく。


 しかし、掘れば掘るだけお金になる石炭の黄金時代を走り抜けた軍艦島に対して、石炭の斜陽時代に最後の闘いを挑んだのが池島炭鉱。数々の最新機器の投入は、限りないコスト削減の裏返しでもあった。そんな池島に、激動の時代を学ぶことは、いささか無理があるのも事実だ。


 軍艦島と池島の2島を巡ることで、はじめて可能になった炭鉱の歴史とその体感、それがこのツアーの真価といえるだろう。書籍では、ツアーで巡る行程に沿って、現在の池島の魅力をあますところなく伝えている。



●世界遺産三昧の長崎港


 実際のツアーでは船上からしか見られない長崎港の世界遺産群も、多くの非公開部分とともに内部まで紹介。三菱重工長崎造船所の巨大な第三船渠や100年前から稼働し続ける分厚い鋼鉄製のポンプ。ユネスコの調査員が絶賛した、国内初の国際海底ケーブルの陸揚庫など、普段は見られない施設の貴重な内部も公開。旧グラバー住宅から大浦天主堂まで網羅した遺産群は、長崎という土地で繰り広げられた壮大な歴史絵巻のワンピースとして機能し、すべてが一体となってニッポンを近代化に導いたことを教えてくれる。


 面白いのは、軍艦島と池島を比較したコーナー。テーマ別に比較することで、より2島の違いがわかる作りになっている。軍艦島の大きさが池島港とほぼ同じだったり、軍艦島と池島では、石炭の採掘方法や坑内の移動方法が違っていたりと、目から鱗のトリビア情報。軍艦島の竃がある台所には驚かされるが、池島のザ・昭和の団地も魅力的だ。


 さらに、ご当地グルメを中心にした長崎の食案内から、世界新三大夜景に認定された煌めく夜景の撮影ポイント、そしてインスタ映えする市内のスポットまで、ツアー以外の時間を過ごす長崎情報も満載。近年注目を集める産業遺産観光を何倍も楽しむための新しいガイドブックといえるだろう。


 さて、書籍の内容に沿った話はこれくらいにし、せっかく軍艦島と池島のコーナーなので、書籍では触れなかった裏話などをいくつか。


●キリシタン専用の霊安所<軍艦島>


 軍艦島になかったものの一つ、それが火葬場だ。土地が狭い軍艦島では建物が密集しているため、葬煙が島内に回るのを避けて、火葬場は軍艦島から北方700mの中ノ島にあった。ただし霊安所は島内にあり、おもに病院で亡くなった方々を安置したのは、病院の裏と護岸に囲まれたひっそりとした場所だった。子供時代を島で過ごした元島民からは、近づいてはいけない場所といわれていたと聞く。


 閉山後に軍艦島の特集を組んだ西日本新聞の記事に、この場所を撮影した写真が掲載された。そこには、通常の霊安所とは別に、大きな十字形の彫り抜きがある構造物が見てとれる。十字形といえば思い当たるのはキリスト教。はたしてこの霊安所は、キリスト教信者のためのものだったのだろうか。


 県民の20人に1人がカトリック信者といわれる長崎県。当然軍艦島にもカトリック信者はいた。ただし島内に教会堂はなく、中心的な信者の部屋に集まってお祈りを捧げていたようだ。くだんの十字マークをくり抜いた霊安所が、カトリック信者専用のものかどうかは、今のところ分かっていない。しかし、カトリックが盛んな長崎ならではのエピソードと言えるだろう。


 ちなみに池島にも教会堂はなかったが、対岸の教会が運営する「愛児園」とよばれた保育園があり、日曜のミサなどはそこで行われていた。また、山田洋次監督の名作『家族』は、長崎県の伊王島にあった伊王島炭鉱を舞台にした映画で、冒頭のシーンに白亜の馬込教会が映し出されていた。潜伏キリシタンの歴史とともに、長崎とカトリックは切っても切れない深い縁で結ばれていることを、あらためて実感する。



●遊廓<軍艦島>


 軍艦島には、大正時代の頃から遊廓があった。遊廓といっても廓で囲まれた一般的な遊廓とは違い、表向きは料亭のようなもので、朝まで客相手をする遊女がいる店だが、元島民はみな遊廓とよんでいた。
 昭和に入ると、島の南西部にできた木造商店街の一角に店を構え、戦後もしばらく営業を続けていた。遊廓は、本田、森本、そして吉田の3軒。本田は、県議でもあった本田伊勢松氏が経営する料亭で、戦前の長崎新聞に当時の様子が記されている。「県会議員本田伊勢松氏の経営する料亭本田屋が多情多彩の情緒をもって炭粉にまみれた坑夫たちの荒くれた心身を愛撫してくれるのも炭坑端島のもつ柔らかな一断面である。」軍艦島にとって遊廓がとても重要な存在だったことがうかがえる記事だろう。


 吉田は、実は朝鮮人が経営する店で、従業員もお客も朝鮮人だった。吉田を知る元島民の話によると、働いていたお姐さんと島民はとても仲がよく、また朝鮮の子供たちも、日本人と同じ軍艦島の学校へ通っていたという。


 逆に、戦後故郷へ帰ることができなかった朝鮮人もいた。戦前から軍艦島へ渡って仕事をしていたため、戦後故郷へ帰ろうとしたものの、嫌日の同胞から締め出され、結局軍艦島へ戻って来て、閉山まで飲食店を営んでいた。


 強制連行という言葉とともに語られることの多い徴用工問題。2017年に韓国で公開された映画『軍艦島』では、戦中の軍艦島事情に関して、いささかフィクションが過ぎた表現をされていたようだが、一日も早く国際問題の解決を進めてもらいたいものだと思う。



●最後の秘境<軍艦島>


 現在の軍艦島で、最後の秘境といえるのはおそらく地下トンネルだろう。軍艦島にはいくつかの地下トンネルがある。そのうちの1つが、島の中央に聳える元々の岩礁部分の中央を一直線に貫くように掘られた防空壕トンネルだ。戦中に、以前からあったいくつかのトンネルを繋ぎながら造られたシェルターだった。何箇所もある出入口はいずれもクランク状や迷路状に造られていて、防空壕だったことを今に伝えている。また、第一見学所からその坑口の跡を見ることができるボタ棄てトンネルや、おもに坑内の排水に使われた疎水卸と呼ばれる斜坑と接続するなど、複雑に入り組んだその様相はまさに地下迷宮!


 このトンネルが現在も残っているのは、島の沈下状態を調査するために、トンネルの中心に基点を設け、定期的な測量のために閉山まで使われていたからだ。操業時の写真を見ると、坑内には軌道が敷かれ、トロッコも頻繁に往来していたようだが、現在はそのほとんどが撤去され、手掘りのトンネルだけが残っている。


 また、鉱業所の地下には、トンネルコンベアとよばれた2本の地下トンネルも残っている。こちらは、地下に落とした製品炭を、船積み施設までコンベアで運搬した施設の跡で、土地があまりにも狭い軍艦島だからこそ考案された、他の炭鉱にはない唯一の施設。コンクリート素巻きの方形トンネルにいくつかのホッパーを施工しただけのシンプルな構造には、原料産業がいかに費用対効果を最優先に操業していたかを垣間みるようだ。



●冷蔵庫に猫の頭!<池島>


 池島炭鉱は、2001年に閉山した後、その施設を生かして、海外の技術者向けの研修センターとして稼働していた時期がある。「石炭技術海外移転五カ年計画」と名付けられた計画は、最先端の日本の炭鉱技術を、ベトナムとインドネシアの炭鉱技術者に伝えることを目的として、2002年から約5年間行われたものだった。


 その研修時代のある日。研修センターを運営する三井松島リソーシスの社員の家族が、ベトナムの研修生からホームパーティーに誘われた。和気あいあいと焼肉パーティーを楽しんでいたさなか、飲み物がなくなったので冷蔵庫にとりにいった社員の娘さんが扉を開けると、なんと冷蔵庫の中には、ラップにくるまれた2つの猫の頭が! もちろんパーティーで食べていた肉も猫の肉だったのだ。招待された三井松島の家族は、食欲が失せて、早急にその場を立ち去ったという。


 中国南部からベトナムのエリアでは、いまでも猫食文化があり、研修生は何の疑問も抱かず、島内の猫を捕獲しては食べていたのだろう。猫を食べる習慣のない日本人にとってはいささかつらい話だが、イルカやクジラを食べる日本人をヨーロッパ人が見ても、同じ感想を抱くのではないだろうか。


 かく言う日本でも、戦後まで犬は食べていた。赤犬と呼ばれる毛並みの赤い犬で、いまでも韓国から中国、そして東南アジアでは普通に食され、日本国内でも犬料理を供する店があるほど。現代では、猫と同様、犬を食べることもなかなか想像しがたいが、つい50年前にはあたりまえだったこと。食の感覚というのは意外に柔軟性があるのかもしれないと思わされる。


「池島散策&軍艦島周遊ワンデイツアー」開催
ご予約はコチラから(https://www.gunkanjima-concierge.com/plan04/)
又は、「池島散策&軍艦島周遊」で検索して下さい。


【書籍情報】
『軍艦島 池島 長崎世界遺産の旅』
文・構成:黒沢永紀/写真:酒井透、黒沢永紀
筑摩書房/B5版/160ページ/オールカラー
6月28日発売!

tocana

「軍艦島」をもっと詳しく

タグ

「軍艦島」のニュース

「軍艦島」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ