アート界で有名な猫、竹内栖鳳の《班猫(はんびょう)》をじっくり眺める

2022年10月29日(土)12時0分 JBpress

文=藤田令伊 


アートの世界で有名な一匹の猫

 猫人気が不動である。ユーチューブにアクセスすると、膨大な数の猫動画が出てくるし、街を歩けば猫カフェが至るところに現れる。スーパーマーケットには猫のエサやおやつが呆れるほど並んでいるし、猫関連の市場が馬鹿にならない規模に成長していると聞く。

 あるいは、かつてライオンやチーターといった猛獣をアフリカの大地に追いかけた世界的な動物写真家が、いまはライフワークとして(?)猫を追い続け、その様子がBSのレギュラー番組として放送されたりもしている。もはや世の中猫さまさまといった風情である。

 アートの世界にも有名な一匹の猫がいる。名前は「班猫(はんびょう)」という。描いたのは、日本画家の竹内栖鳳。班猫の「班」は、猫の体のまだら模様からつけられたのだとしたら、一般的には「斑」の字を当てるのが妥当なのだが、栖鳳は「班」と書いており、「班」にもまだらの意味があるので、所蔵美術館では「班猫」とそのまま表記している。

 一見ごく当たり前の猫の絵に見えるかと思う。だが、仔細に見入っていくと、ただごとではない絵であることが明らかになってくる。

 独特の姿態を見せている猫である。首をぐるりと右へひねり、体は背中が見えているのに、顔がこちらを向いており、つまりは首のところでほぼ180度曲がっている。人間では考えられない柔軟さである。

 こちらを見つめる猫の瞳はエメラルド色で、これも見る者を惹き込む要素となっている。いくぶん恨めし気にも見える目つきで、そのため思わず猫の心理を詮索したくなるような気分が掻き立てられる。

 猫の首の曲がり方には一種の演出がある。猫の首がこれほど曲がるのはあることだとしても、首の長さがちょっと長すぎるのだ。本来はもう少し短いはずだが、栖鳳は首を伸ばして描き、頭の位置を実際より下方に置いているふしがある。そのことによって猫は上目遣いとなり、先述のように鑑賞者の気をよりひく効果をもたらしている。

 右前足が唐突に右斜め下へ突き出されているのも見る者の注意をひく。まるで体から足が生えているかのようで(実際そうなのだが)、いささか奇妙な印象がなくもない。体を支えているというほどには足に体重がかかっているようではなく、あえて出している感があり、それが奇妙な印象につながっている。これも破調を狙った栖鳳の工夫と見る。

 また、体毛の一本一本がごく細い筆でていねいに描かれていて、手触りまで伝わってくるほどである。これは毛描きという技法で、円山応挙もよく使ったものだ。

 さらに背景が興味深い。まったく何も描かれていないのだ。が、決して不自然な印象はない。それは相当に難しい表現である。背景に何もないことで、当然のことながら、われわれはますます猫に注目することとなる。

 と見ていくと、何気ない猫の絵に見えるのだけれど、その実、栖鳳はさまざまな工夫を凝らして本作を描いていることがわかる。おそらく、考えに考えた末に仕上げたのであろう。猫一匹にかけた想いの強さのほどがしのばれる。

 ちなみに、作者が作品に込めた想いや工夫を見抜くには、「時間をかけて鑑賞する」ことがおすすめだ。ふだん、みなさんはひとつの作品にどれくらいの時間をかけているだろうか。私が美術館で実際に人々の鑑賞時間を測定した際には、1点あたりおおよそ30〜40秒であった。アメリカの研究者でも同様の調査をした人がいるが、やはり40秒前後という結果であった。

 3、40秒程度の時間でどれほど深く作品に迫ることができるか、正直、疑問である。もし、これと思った作品と出合ったら、ためしに3分間ほど向き合ってみるとよい。きっと、パッと見ただけではわからなかったことが次々に見えてくるはずである。


元々は栖鳳が飼っていたわけではない?

 ところで、栖鳳がこれほど意を尽くして描いたこの猫だが、じつは元々栖鳳が飼っていたわけではなかった。あるとき栖鳳が沼津で滞在していた折、近くの八百屋の前の荷車の上で昼寝していたところを見かけ、栖鳳はその姿に中国南宋の風流天子・徽宗皇帝が描いた猫を思い出し、絵心が掻き立てられたのだという。

 栖鳳は飼い主の八百屋のおかみさんに交渉し、猫を譲り受けて京都の自宅へと連れ帰った。そして画室で自由に遊ばせ、その様子を丹念に観察して本作を仕上げたのだった。

 偶然の出会いから名作が生まれたわけである。猫のどういうところが栖鳳の心をそこまで動かしたのだろうかと想像しながら見るのも一興である。

 本作には後日談も残っている。絵が完成したのち、この猫はふらりとどこかへ行って消えてしまったというのだ。考えようでは、まるで栖鳳に本作を描かせるために現れたようにも思われ、ちょっと不思議な話ではないか。

 なお本作は、現在、12月4日まで山種美術館で開催されている「【特別展】没後80年記念 竹内栖鳳」に出品されており、今回は特別に撮影できるよう取り計られている(撮影はスマートフォン・タブレット・携帯電話に限る)。実物の「班猫」と出会う絶好の機会なので、お出かけになってみてはいかがだろう。

筆者:藤田 令伊

JBpress

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