「失敗した死刑」を5つ紹介 斬首、八つ裂き、電気椅子…非人道的で無残な死刑執行

2022年10月28日(金)20時0分 tocana

 人類が集団で生活するようになってから死刑は人間社会の一部であった。しかし、現代においては、多くの先進国で人道的な観点などから死刑制度は廃止されている。一方、日本ではいまも絞首刑が行われており、今年7月には「秋葉原無差別連続殺人事件」の加藤智大元死刑囚の刑が執行された。死刑があることで、犯罪発生を抑止できるなどという理由が挙げられることがあるが、実際の効果は不明である。ところで、死刑の歴史を振り返るとわかるのが、我々が死刑の執行にどれほどお粗末であるかということだ。死刑制度の是非を問うためにも、過去に起こった「失敗した無残な死刑のケース」を5つ紹介する。


失敗事例1:斬首
トマス・クロムウェル

 イングランド王国テューダー朝第2代の王、ヘンリー8世の最も忠実な側近として仕えていたトマス・クロムウェルは、その有能さゆえに多くの政敵がいた。


 敵対する勢力は共謀して巧みにクロムウェルを失脚に追い込み、王からの信頼を完全に奪い去った。クロムウェルは1540年に反逆罪で逮捕され、私有地も剥奪されて裁判なしで死刑を宣告されたのだ。


 1540年7月28日にロンドンのトリニティ・スクエア・ガーデンで死刑が執行されたのだが、この時に執行を担当した処刑人は手際が悪く、何度もクロムウェルの頭部に打撃を与えて血まみれにした挙句にようやく斬首したという。まるで畜殺のような凄惨な地獄の光景が繰り広げられたことを目撃者は書き残している。


失敗事例2:斬首
メアリー・ステュアート

 スコットランドの女王、メアリー・ステュアートは実に悲惨な最期を遂げている。


 エリザベスの暗殺を計画した罪で死刑が宣告されたメアリーの死刑執行は1587年2月8日にフォザリンゲイ城で執り行われた。


 斧による斬首刑を前に、下着姿で目隠しされたメアリーは跪いた姿勢で台の上に頭部を乗せた。そして処刑人がメアリーの首めがけて斧を振り下ろしたのだ。


 しかし不幸なことに最初の一撃の狙いは外れて彼女の後頭部を直撃した。元女王はこの時にはまだ死ねなかったのだ。


 焦った処刑人はすぐに斧を持ち上げて2度目の打撃を加え、メアリーは絶命する。しかし頭部を完全に斬り落とすことができず、3度目の打撃が必要であった。


 処刑人は神に報告するために彼女の頭部の髪をつかんで持ち上げたのだが、メアリーはかつらだったため、血まみれの頭部が途中で落ちて無残にも床を転がり回ったという哀れな顛末も繰り広げられたという。


失敗事例3:絞首刑
ウィリアム・デュエル

 ウィリアム・デュエル(当時17歳)は、ロンドンのアクトンでサラ・グリフィンのレイプに加担した罪で死刑判決を受け、1740年11月24日にイギリスのタイバーンで絞首刑が執行された。


 首を吊られて約20分間ぶら下がったままにされた後、遺体は解剖学実習に使われることが決まっていたため外科病院に運ばれた。


 遺体が手術台の上に乗せらて解剖の準備が整ったところで、外科医はこの17歳の少年がまだ息をしていることに気づき驚く。


 その後しばらくして完全に息を吹き返したデュエルは立ち上がることもできて、翌日には体調は完全に回復したのである。絞首刑は失敗したのだ。


 当局は彼をどうしたらいいのか頭を抱えたが、デュエルはひとまず刑務所に送り返された。同一人物に死刑を2度執行することはできないということなのか、デュエルは終身刑に変更されて刑務所で81歳まで生き永らえたのだった。



失敗事例4:八つ裂き刑
ロベール=フランソワ・ダミアン

 フランス王ルイ15世は1757年1月5日、ロベール=フランソワ・ダミアンの襲撃を受けてナイフで刺された。


 この時に着ていた貴族の分厚い防寒着のおかげで、王はわずかな軽傷しか負わず、ダミアンはその場で逮捕された。


 王の暗殺未遂という重罪だったこともあり、死刑の中でも極刑である八つ裂きの刑がダミアンに言い渡され、すぐに刑が執り行われた。


 処刑場でダミアンの手足がそれぞれロープで結ばれ、それぞれを4頭の馬で同時に引っ張る手筈が整えられて刑が執行された。


 しかし馬がいくら引っ張っても、ダミアンの身体はバラバラにならなかったのだ。死刑執行人はダミアンの手足の腱を切るように命じられて処置が施され、その後は見るも無残な阿鼻叫喚の八つ裂き刑が繰り広げられたのである。


 目撃証言によると手足をもがれてもダミアンは絶命しておらず、その後に生きたまま火あぶりにされたという。


失敗事例5:電気椅子
ウィリアム・ケムラー

 ウィリアム・ケムラーはアルコール依存症で内縁の妻を手斧で殺害した罪で死刑を宣告された。そしてその処刑法はニューヨーク州が1888年に制定した電気椅子による感電死が初めて適用されたのである。


 1890年8月6日に行われた世界初の電気椅子による死刑では、当初人を殺すのに十分であると考えられていた1000ボルトの電流が17秒間流された。


 その後に一度は死亡したと宣言されたが、目撃者は彼がまだ息をしていることを指摘する。その直後、電圧を2倍にして再び電流が流されてケムラーは絶命した。現場は肉が焼け焦げた臭いが充満していたという。


 人々は彼は単に感電死したのではなく“料理”されたのだといって非難し、実際に司法解剖の結果、頭部の血管が炭化し、脳が熱で硬化していたことが判明した。そして電気椅子による死刑に疑問の声が投げかけられるようになった。


 歴史上で繰り返される“死刑失敗”だが、データによると1890年から2010年の間に、アメリカの死刑執行の3%、8776件中276件が失敗したと推定されている。そもそも死刑制度を廃止している国も多く、まだ死刑が続いている日本やアメリカでも引き続き死刑制度廃止についての議論が続いていくことになるだろう。


参考:「Ancient Origins」ほか

tocana

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