美術界の権威と衝突した「尾竹三兄弟」、凄まじいインパクトを放つその魅力とは?展覧会から撤去された幻の絵も公開
2024年11月2日(土)6時0分 JBpress
(ライター、構成作家:川岸 徹)
官展や巽画会等を舞台に輝かしい活躍を見せた三兄弟の画家「尾竹三兄弟」。明治末期に時代の寵児として一世を風靡したが、その名は日本画壇から消えてしまう。泉屋博古館東京にて展覧会「オタケ・インパクト—越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」が開幕。美術界の権威に翻弄された三兄弟画家の真の姿を探る。
知られざる画家・尾竹三兄弟
若い頃から豊かな才能を発揮し、日本画壇の花形作家として活躍。だが、時の権力者と対立し、本流からこぼれ落ち、不遇の時期を迎えてしまう。それでもめげずに権威主義の改革を訴え、衆議院選挙に立候補するも念願かなわずに落選。いつしか日本美術史の中で語られる機会はほとんどなくなってしまった。
そんなドラマのようなストーリーを地で行った絵師がいる。長男・尾竹越堂(おたけ・えつどう1868〜1931年)、三男・竹坡(ちくは1878〜1936年)、四男・国観(こっかん1880〜1945年)の三兄弟だ。彼らは明治から昭和にかけて文部省美術展覧会(通称・文展)など数々の展覧会で成功を収め、画壇の寵児として一時代を築いた。
繊細で美しい線、バランスがよくそれでいて個性を感じさせる構図、時代の先を行く実験的な表現。尾竹三兄弟は圧倒的に「上手い」。そして、花形作家となったのも当然と思えるだけの「売れる要素」が詰まっている。では、なぜ彼らは無名なのか?
「はじめまして、尾竹三兄弟」。そんなキャッチコピーで開幕した「オタケ・インパクト—越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」。東京初となる尾竹三兄弟の展覧会で、彼らの作品を鑑賞しつつ、無名である理由に迫ってみたい。
売薬版画や挿絵で腕を磨く
新潟県で紺屋(染物屋)を営む家に生まれた尾竹三兄弟。家業の傍ら「国石」という号をもち文筆や絵を得意とする父・倉松と、食客として尾竹家に滞在していた南画家・笹田雲石から手ほどきを受け、作画のいろはを学んでいく。
だが、家業の経営が悪化。三兄弟は富山に移り、富山のクスリにおまけとして付いていた売薬版画や新聞の挿絵などで生活費を稼ぐようになる。絵は生活のためのもの。そう割り切りつつ、様々な物語を注文主の意向に沿って絵画化する挿絵の仕事は、画力を高める鍛錬になった。
その後、竹坡は京都円山派の川端玉章に師事し、国観は歴史画の大家・小堀鞆音に入門。二人は「よりお金を稼ぎ、立身出世するためにはどうしたらいいか」と考えた。その答えは「展覧会」。明治30年代、二人は次々に展覧会で入選を重ね、若くして頭角を現していく。
その躍進を支えたのは、挿絵の仕事で培った「何が求められているか」を読み解く力。明治37年作の尾竹竹坡《母と子(真心)》はアメリカ・セントルイス万国博覧会の出品作。母が幼子に母乳を与える場面を描いた作品で、欧米人に鑑賞されることを意識し、ラファエロの聖母子像の構図が取り入れられたとの指摘がある。
明治40年(1907)に創設された文部省美術展覧会(文展)では、国観《油断》、竹坡《おとづれ》がそれぞれに二等賞を受賞。弟たちの活躍に刺激を受けた越堂も文展を目指し、大正元年(1912)の文展では三兄弟揃って入選する快挙を成し遂げた。
三兄弟揃って落選
だが、翌年の大正2年(1913)に開かれた文展では、三兄弟揃ってまさかの落選。三兄弟の弟子たちもすべて選に洩れた。三兄弟に、何が起こったのか? その理由は当時でも様々な憶測を呼び、話題となった。
竹破と国観は、日本革新運動を率いた岡倉天心に、横山大観らに次ぐ世代の俊英として期待され、日本美術院の研究会にも参加していた。明治41年(1908)、国観はキリシタンの絵踏を題材にした《絵踏》を描き、国画玉成会主催の日本絵画展覧会に出品。しかし、開幕日の翌日に懇親会が開かれたが、その席で国画玉成会会長の岡倉天心と国観の兄である竹坡が展覧会審査員の選び方をめぐって衝突してしまう。竹坡は国画玉成会を除名となり、国観も兄に従って脱会する。
国観が描いた《絵踏》は、日本絵画展覧会の会場から撤去。結果、展示されたのは開催初日からのわずか4日間だけとなった。そんないわくつきの幻の絵画《絵踏》。保管していた国観の遺族が、2022年に泉屋博古館東京に寄贈。修理と表装が施され、本展でお披露目となった。
この《絵踏》には、乳飲み子から老夫婦、武士、農民、宣教師と思われる白人など、総勢41名の人々が描かれている。その一人一人の表情の描写が実に巧みだ。ためらうように聖母子像が表された踏絵をじっと見つめる女性。彼女を取り囲む群衆は、様々な表情を浮かべている。踏絵と対峙する彼女を忌々しげに見る者、心配そうに見守る者、我関せずと目をつぶる者。作品から、その場の重く淀んだ空気が流れ出てくる。
捲土重来の勢いで爆発
さて、画壇や日本美術界の権威を敵に回してしまった尾竹三兄弟。竹坡は美術界から権威主義を排除するべく、衆議院選挙に立候補するも落選。弟子たちが立ち上げた新しい美術グループ「八火会(後の八華会、八火社)」とともに、自らの手で展覧会を開催した。その動向は19世紀後半のパリで、美術界を牛耳っていたサロンから拒絶された若い画家たちが自身の手で展覧会を実施した「印象派」を連想させる。
「八火社展」はわずか3回と短命に終わったが、関係者から「数年来の忍黙不平がここに捲土重来の勢を以て爆発している」と絶賛された。その言葉通り、この時期の尾竹三兄弟の作品はとにかく素晴らしい。権威に対する反発と解放への思いが画面全体に宿り、すさまじいパワーを発している。
特に、竹坡の作品が圧巻。サメ、ヒラメ、カツオ、ウミガメ、イセエビ、アンコウなど、無数の魚介類が画面を隙間なく埋め尽くした《大漁図(漁に行け)》、従来の日本画のスタイルから逸脱した前衛表現が見られる《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》。個人的にはナビ派を思わせる平面的な色面構成がユニークな《庄屋》という作品に惹かれた。
展覧会を見て、こう思わずにはいられない。もし、尾竹三兄弟が権威に潰されず、日本美術界のメインストリームになっていたら……。でも、潰されたからこそ、アナキズムを意図したかのような、時代の先を行く作品群が生まれたのかもしれない。ひとつ言いたいのは、尾竹三兄弟を埋もれたままでなく、よくぞ掘り起こしてくれたということ。「オタケ・インパクト」が開催されたことに心から感謝したい。
「オタケ・インパクト—越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」
会期:開催中〜2024年12月15日(日)※前期:〜11月17日(日)、後期:11月19日(火)〜12月15日(日)
会場:泉屋博古館東京
開館時間:11:00〜18:00(金曜日は〜19:00)※入場は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(11月4日は開館)、11月5日(火)
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://sen-oku.or.jp/tokyo/
筆者:川岸 徹